2022/01/22(土) 福山城石垣見学会℃Q加 <3/4>

 頂いた資料の中には、「福山城400年博」のパンフレットもありました。
 「神辺二番櫓跡西側石垣」見学前に、パネルの写真から拝見です(^.-)☆
 明治初年撮影の「外堀西側より望む本丸・二之丸西側櫓群」、昭和10年頃撮影の「西側上空より望む福山城跡」ですけど、残存しておりましたら、さぞ立派な福山城でしたのでしょうネ…
 石の切り出し・石運び・石垣構造等の図解入り説明もありましたけど、当時の工事の様子に想いも馳せまして、興味深く拝見のGONsanなのでありました。
 では、「神辺二番櫓跡西側石垣」発掘現場を見学です(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 担当者のご説明では、「この部分が石垣の一番底の部分。これらの石は、北木島等の笠岡諸島から運ばれた…」との事。
 まぁ、そうでしょうねぇ〜白石島、北木島等の属します笠岡諸島は、福山市に近いですし、船で運べば容易に入手出来ますから(^-^)
 でも、参加者のお一人が異論を…「この底石は、北木の石ではないと思うよ…」と。また、別の方も「箕島から採掘の石も結構あるよ…」と(^-^)
 当時の福山城の規模から勘案しますと、福山市近隣のあちこちから、可能な限り集めていましたのでしょうから、笠岡諸島・箕島産の石に限らず色んな場所からの寄せ集めなんだと思いますけどネ…
 まぁ、GONsanには、石が何処からヤッと来ましたのかは、どちらでもイィのですけど(^-^)//"

 

 

 

 

 

 「神辺二番櫓跡西側石垣」の見学後は、ここより少し上側の「神辺二番櫓跡南側石垣東側石垣東隅の入隅部(屈折部)」に移動し、見学です。
 ここは「屈折部」で、底石は平らになっておりますネ。つぅ事は、水路というか水の通り道のようであります。
 もっと発掘を行えば、右に曲がって水路部分がよく分かるのでしょうけど、今回の発掘調査では、ここまでとの事でありました(^-^)//"

 

 

 

 

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