2021年 鞆の浦 de ART 2021 <1/13>

 

 

 ■2021年10月02日20:23
 9/26(日)は、お寺・町並みを散策しながら『鞆の浦de Art 2021』巡りでした(^.-)☆


 9/26(日)は、鞆のお寺・町並みを散策しながら『鞆の浦de Art 2021』巡りとなりましたGONsanです(^.-)☆
 A.M.10:00前に我が家を出まして、広島県営鞆町鍛冶駐車場到着が、A.M.10:07でありました。
 で、早速、散策開始となりますけど、まずは、駐車場から弁天島をパチリです(^_^)v

 今年の4月でしたか…WEB上に、こんな記載がありました。


 ◆鞆の浦de Art 2021 開催

 --- 鞆の浦のんびり日記 2021.04.11 ---
 (http://tomonoura.jp/blog/article/%E9%9E%86%E3%81%AE%E6%B5%A6de_Art%E3%80%802021%E3%80%80%E9%96%8B%E5%82%AC)

 昨年開催することが出来なかった、「鞆の浦de Art 2021」開催にむけて準備することとなりました。
 会期:9月26日(日)〜10月17日(日)
 会場、作家の選定等進める予定です。
 内容は決まり次第ホームページに掲載予定で。


 …と、こんなご案内で、開催日も近付いて来ましたが、ひょっとしたら、今年もまた開催は難しいのでは…と思っておりましたら、9/21(水)に届きました「福山商工会議所メールマガジン」に、「鞆の浦 de ART 2021」のお知らせが(^.-)☆

 ◆「鞆の浦 de ART 2021」のお知らせ

 --- 福山商工会議所メールマガジン 2021/09/21 ---

 鞆の浦町全体を舞台に歴史的建造物と現代アートの展覧会「鞆の浦 de ART」イベントを開催します。
 かつて潮待ちの港として栄えた歴史ある鞆の浦の町並みを散策しながら、さまざまなジャンルのアーティストによるアート作品をお楽しみください。
 詳細ページ -- http://tomonoura.com/


 …との事で、今年は開催されますようであります(^_^)v
 開催期間は、9月26日(日)〜10月17日(日)。
 昨年から色んなイベントが中止に追い込まれておりまして、今年の「鞆の浦 de ART 2021」も中止とばかり思っておりましたから、チョッと嬉しいGONsanなのでありました。
 と、言う訳で、開催初日に鞆行きとなりましたGONsanなんであります(^.-)☆
 それでは、まず最初に「安国寺」に向かってみたいと思います。


 ◆鞆の浦の観光スポット 安国寺

 --- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12670/ ---

 安国寺は、南北朝動乱の戦死者を弔うために、足利尊氏・直義兄弟が国ごとに造ったお寺です。この鞆の浦にある「備後安国寺」も、「1339(暦応2)年に尊氏が建立した」という『鞆浦志』(1748年)の記載から、室町時代の建物と考えられていました。
 しかし、後の調査によって鎌倉時代に、金宝寺として創建されたものと判明。歴史も深く、県史跡の枯山水や国重文の釈迦堂など見所も満載の備後安国寺。第2土曜に開かれる座禅会も人気です。

 ・じっくり見て回りたい、文化財溢れる古刹
 国の重要文化財「安国寺釈迦堂」を筆頭に、作庭家・重森三玲が復元した枯山水庭園や本尊の「阿弥陀三尊像」、それに、「法燈国師坐像」など、文化財の宝庫です。
 安国寺恵瓊(えけい)が手を加えた枯山水庭園を眺めながら、「禅の心」を感じてみてはいかが。

 ・当時の鞆の浦の商人の財力を表す、贅沢な唐様建築
 国重文の「釈迦堂」の軒には唐様(からよう)の組物が見られます。組物というのは、軒を支える部材のことです。唐様建築は材料が2〜3倍かかるものなので、財産家しか造れないんです。
 当時の鞆の浦の商人が、いかに財力を持っていたかが分かりますね。

 ・他にもまだまだある、備後安国寺のこんな見どころ
 安国寺は桜でも名高い。花咲く季節を迎えると、釈迦堂前の桜は美しくライトアップされます。「阿弥陀如来立像」と「法燈国師坐像」も、桜の後ろで優しく照らされ、その光景はまさに幽玄。
鞆の浦の花見のベストスポットのひとつです。

 ◆備後安国寺(びんごあんこくじ)

 --- ふくやま観光・魅力サイト https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/sights-spots/94874.html ---

 鎌倉時代に創建され、室町時代に足利尊氏により安国寺と改称された臨済宗のお寺。
 釈迦堂と堂内の木造阿弥陀三尊像・木造法燈国師坐像はいずれも国の重要文化財に指定されています。
 釈迦堂裏には枯山水庭園があり、堂前には国の重要美術品の石造地蔵菩薩像があります。水野勝成が子どもの安穏を祈り建立安置した「子安観音菩薩」は、子授けや子育てにご利益があると評判で、遠方からも祈願に訪れています。

 ◆安国寺(福山市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 安国寺(あんこくじ)は、広島県福山市鞆町後地にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は瑞雲山。 釈迦堂は国の重要文化財に指定されている。

 ・歴史

 文永10年(1273年) - 無本覚心(法燈国師)を開山として金宝寺(安国寺の前身)創建、釈迦堂(仏殿)建立
 文永11年(1274年) - 阿弥陀三尊像を造立
 暦応 2年(1339年) - 足利尊氏による再興
 室町時代 - 寺号を「安国寺」と改める
 安土桃山時代 - 毛利輝元、安国寺恵瓊(1579年)による再興
 江戸時代初期 - 京都妙心寺の末寺となる
 大正 9年(1920年) - 法堂を焼失
 昭和 2年(1927年) - 釈迦堂が重要文化財(当時の国宝)に指定される
 昭和17年(1942年) - 阿弥陀三尊像、法燈国師像が重要文化財(当時の国宝)に指定される
 昭和30年(1955年) - 境内が広島県の史跡に指定される

 ・重要文化財(国指定)

 釈迦堂(附:柱聯) - 室町時代中期建立、禅宗様建築
 木造阿弥陀如来及両脇侍立像(附:像内納入品一括)
 阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊。阿弥陀如来像内に文永11年(1274年)に仏師覚尊が造立した旨の銘がある。総高 313cm(光背)、中尊像高 170cm。一光三尊仏(三尊像が1枚の大きな光背を負う形)で、「善光寺式阿弥陀三尊像」と呼ばれる形式である。像内納入品の経巻、横笛、短刀なども重要文化財に指定されている。

 ◆広島県の文化財 - 備後安国寺

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-206120600.html ---

 この寺は,もと金宝寺と称し愚谷和尚(ぐこくおしょう)が創建し、師の法燈円明国師(心地覚心)を開山に仰いだという。足利尊氏が元弘の乱(1331年)以来の戦没者の冥福を祈って国ごとに安国寺を設けたとき、この寺を備後の安国寺とした。一時衰退し天正7年(1579)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が再興したが、大正7年(1918)釈迦堂(しゃかどう)の背後にあった本堂が焼失し、現在、釈迦堂1棟(重要文化財)と庭園の一部に石組やソテツの巨樹が残る。

 

 山門をくぐります前に、備後安国寺の案内板に眼を通しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 
◆備後安国寺

 --- 県史跡 昭和30年1月31日指定 ---

 瑞雲山臨済宗安国寺は、鎌倉時代の文永年間(1270年代)金宝寺として創建されました。当時は、三門・仏殿・法堂・衆寮などの七堂伽藍がありました。南北朝時代足利尊氏により安国寺と改称されました。現存する釈迦堂は金宝寺の仏殿として建てられたものです。境内全域は県史跡に指定され、釈迦堂と堂内の木造阿弥陀三尊像・木造法燈国師坐像などは国重文に指定されています。地蔵堂にある石造地蔵菩薩坐像は、重要美術品に指定されています。


 それでは、境内に…
 境内に入りますと、いきなりアート作品が眼に入りましたけど、先に庭園の方に向かってみたいと思います。
 安国寺のパンフレットと、TOMONOURA de ART 2021のパンフレットが置いてありましたので、各1部戴きます事に…ですが、傍らに料金箱も置いてありますから、無料で戴く訳にもいきませんで、気持ちだけ100円投入です(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 眼に入りますモノ凡てを順番に画像に納めていましたら、こんな案内板がありましたネ。

 ◆木造阿弥陀三尊像の拝観について

 木造阿弥陀如来像及び両脇侍像は現在保存・修理のため、下記の期間は当該仏像の拝観をすることができません。
 ご拝観を予定されていた皆様にはご不便をお掛け致しますが、文化財を後世に伝えるための修理ですので、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

 <保存・修理期間>
 2020.06 ← 両脇侍像(修理) → 2021.03 ← 阿弥陀如来像及び光背(修理) → 2022.03

 事業名:重要文化財「木造阿弥陀如来像及両脇侍像、木造法燈国師坐像」保存修理事業

 --- 宗教法人 安國寺 ---

 ◆国重文 木造阿弥陀如来および両脇侍立像 -- 鎌倉時代 --

 鎌倉時代に流行したいわゆる善光寺如来。この種木造としては日本一最大なものである。一光三尊の巨大な船形光背(高さ3.13m)をもち、本尊の高さ1.7m、脇侍1.3mの等身像である。寄木造りで胎内に銘文をもち、文永11年(1270)金宝寺の尊像として勧進され、胎内納入品として経巻、念仏記、勧進帖、願文、袈裟(けさ)、横笛、短刀、漆塗箱、数珠など12件20点が存在し、文永11年3月の銘記などがあり、重文に指定されている。

 ◆国重文 木造法燈国師坐像 -- 鎌倉時代 --

 法燈国師は安国寺の創建者と伝える愚谷和尚の師で、開山とされている。この像は国師69歳の寿像で内部に水晶五輪塔と法燈国師の建治元年(1275年)12月18日付の文書と寛文4年の修理記が存在した。


 「← 史跡庭園」の案内表示に従って、庭園に向かってみます事に(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 ◆楷の木

 中国山東省済寧曲阜にある孔子の墓所「孔林」には弟子の子貢が植えた「子貢手植の楷」の子孫が今も美しい姿をとどめている。
 日本へは大正4年、白澤保美博士が初めて孔林から種子を持ち帰り、育てた苗を各地の孔子廟や儒学に関わりの深い場所に配布した。その中の2株が、岡山県閑谷学校で今も見事な紅葉を見せている。
 しかし、楷は雌雄異株のため日本で自然に殖えることはなかったが、昭和38年に、朝比奈貞一博士が人工交配に成功し、多くの種子が得られるようになった。
 平成に入っても孔林の楷は各地で育てられ、ここに植えられている2本の楷も足利市から贈られたものである。
 足利市の本貫地である栃木県足利市には足利学校があり、そこに大正世代の楷の木が植えられている。鞆の安国寺は、足利尊氏が諸国に置いた安国寺の一つで、足利の縁でこの地に楷の木を植えることにした。

 --- 福山市教育委員会 ---

 ◆県史蹟 安國寺本堂跡

 ・創建の由来

 瑞雲山安國寺は(臨済禅宗)暦応2年(西暦1339年)法燈國師の法孫愚谷尚が足利尊氏(鎌倉時代)の命に応じて以前の金宝寺を安國寺と改名して開創されました。
 一時地方宗教界の権威を握り末寺九ヶ寺寺領境内頗る広かりしが足利氏失すると共に漸く衰頽し殿字荒廃せしを一時恵瓊長老が京都南禅寺より住し(天正元年)(1572年)毛利輝元を大檀越として再営に着し釈迦堂及び庭園が再興されしが恵瓊長老京にて処刑され徳川の世に移るや又々荒廃せり其の後寛文の初め仁山和尚再興もあり又万國和尚松永承天寺より移住し領内六郡に石五分の化を課し本山に摸せる方丈の本堂を再建せりと云う。広く廻廊になり庭園を眺めらるゝ本堂は近在に無き素晴らしき本堂であったろうと想像されます。
 其の堂宇庭園も明治大正頃には無檀家故に住する者も無く庭は土砂に埋り堂宇荒廃し大正9年11月30日雨宿りの浮浪者が火を失して蒼古七百年来の仏像法具遂に灰となりかろうじて隣寺の和尚法燈國師の像を持ち出されしと云われています。
 現在は境内地と共に県史蹟として保存されております。-- 山主日 --

 ◆安国寺庭園

 --- 県史跡 昭和30年1月31日指定 ---

 この庭園は枯山水式庭園で、白砂や岩石で滝や流水を表し、室町末期の作庭と推定されています。三途の川には石橋がかかり、蓬来山には岩石で仏様を表し、蓬来式庭園ともいいます。中央部の鶴島にはソテツを配し、亀島には松を植え、鶴亀式庭園ともいいます。鶴亀式庭園は戦国時代に流行し、武将は自分たちや主家の繁栄を願い、作庭しました。そして石橋の矢穴や長さ高さが桃山期の手法で1599年(慶長4年)安国寺恵瓊が改造したといわれています。

 ◆安国寺(あんこくじ)のソテツ

 --- 県指定天然記念物 昭和36年(1961年)4月18日指定 ---

 ソテツは九州南部から琉球列島に分布する常緑の裸子植物であるが、関東以西の各地で植栽され巨大な株に生長している名木・大木も少なくない。
 安国寺のソテツは安国寺釈迦堂(重文)の背後にある枯山水の庭園内にあり、2株となっている。根廻りは5.65mと5.45m、樹高約9mで、県内有数の大木で庭に風情をそえていたが、白蟻と台風の被害を受けて倒れ、現在その根株から新しい葉茎が伸び、昔日の面影をわずかにとどめている。

 

 

 

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