2021/10/03(日) 備陽史探訪の会『四川滝山城跡探訪』に参加 <2/3>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 要所要所では、リーダーが、堀切・曲輪群等を説明です。
 山城としての志川滝山城は、地形によって大きく東西二つの部分に分かれており、後世の本丸に当たるのは西側の曲輪群でしたようです。
 前方が開けて来ましたので、ヤッと山頂部に到着しましたようであります。
 「城は、この四川谷の最奥部の、谷筋を二分するように東南に突出した標高三九二メートルの尾根を大規模な堀切によって独立させ、その東の山頂部を削平して山城としたもので、地理的には神辺平野の中心部からは隔絶した位置にあるが、山頂部からは南側の山波越しに神辺から更に福山方面を見通すことが出来、『備後外郡』と呼ばれた備後の山間部から備後南部の平野部への進出拠点としては絶好の位置を占めている。」ようですから、山頂部からの眺望が楽しめるものと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 ここが、四川ダムから見上げますと、丁度、正面で、山頂部の南端ですネ(^.-)☆
 ここからですと、神辺平野一帯が眺望可能で、その向こうには蔵王山も…確かに、ここに城を築きますと、備後の山間部から備後南部の平野部への進出拠点としては絶好の位置ではあります(^_^)v
 足元に眼を向けますと、基準点が設置されておりました。

 
◆基準点
 基準点とは、地球上の位置や海面からの高さが正確に測定された電子基準点、三角点、水準点等から構成され、地図作成や各種測量の基準となるものです。これらの基準点は、すべての測量の基礎として、公共測量、地籍測量、地殻変動観測等に使用されます。
 また、都市計画、都市基盤整備、電力・ガスの事業計画や管理、観光開発、交通網の整備、環境管理、福祉計画等に必要な地図作成に基準点が使用されます。


 そして、周辺には、登頂記念の表示板が…『2017.02.07 登 ○○○○』の記載ですけど、んっ!?…このお名前は、他の山頂でも眼にしましたような(^-^)
 つぅ事は、きっと、出掛けます度に、こんな表示板を作成し持参しておられますのでしょうねぇ〜

 

 

 

 

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