2021/01/25(月) 笠岡市甲弩「甲弩神社」散策(^.-)☆ <3/3>

 

 

 

 

 

 

 

 

 境内を見廻してみますと、甲弩神社拝殿の左側には鳥居がありまして、その左に「甲弩神社境内社殿配置略図」が設けられています。これを拝見しますと各社殿がよく分かります。
 この社殿配置略図の、そのまた左側には「木山賢治宮司頌徳碑」が…「頌徳碑(しょうとくひ)」は、偉人や先覚者などの徳をほめたたえる文章を刻んだ碑なんでしょうけど、WEB上で「木山賢治宮司」を検索してみましても、何にも出ては来ませんでしたネ。どんな方でしたのでしょうねぇ〜
 この甲弩神社から比較的近くには、小説家・木山捷平sanの生家がありますけど、「木山賢治宮司」sanと「木山捷平」sanは、ご親戚なのかも…GONsanの勝手な想像ですけど(^-^;

 そして、社殿配置略図で「神楽舎」と記されたコンクリートで固められた場所なんですけど、神楽舎ですから、
 @宮中、賢所(かしこどころ)の前庭の神楽を行なう御殿。
 A皇大神宮の神楽を奏する御殿。また、神社で神楽を奉納する御殿。…なのでしょうけど、四方に缶ビールの空き缶を潰して、逆さに適当な間隔で置いてありましたけど、これは何で?…
 確認はしてみませんでしたけど、この箇所には釘か何かが有りますのかも…

 この「神楽舎」前の脇参道を挟み山側には、こんな遊歩道が上に向かって続いています。社殿配置略図にも「遊歩道」として記載。
 この遊歩道を進みますと、「甲弩宮山古墳群」にと向かいますのかも…
 WEB上で「甲弩宮山古墳群」を検索してみますと、A〜Eまで5基の古墳が存在しますようです。が、近年は整備されていませんようですから、知識無く出掛けましても、どの部分が古墳なのか分かりませんかも(^-^)
 …と言う訳で、勿論、GONsanは向かいません(^-^)

 それではこの辺で、甲弩神社境内からお別れです(^-^)//"

 

 

 

 

 

 脇参道をノンビリとキョロキョロ見廻しながら下っておりますと、心字池まで戻って来ました。
 永い歴史を感じます立派な「心字池」に、これまた立派な「甲弩神社」…氏子の皆様も後世まで維持・管理して行かれますのも、何かと大変でしょうねぇ〜
 また、いつの日か、再訪の機会がありましたら、「甲弩宮山古墳群」を散策してみたい気持ちも生じます…と、言いますより、この甲弩神社のスグ近くに「神護寺」が存在しますので、そちらの方を訪れてみたいものであります(^-^)//"

 
◆長尾山神護寺(ながおさんじんごじ)

 市指定 史跡
 所在地:笠岡市甲弩/所有者:神護寺
 指定年月日:昭和35年12月26日


 甲弩にある来迎院神護寺は、真言宗大覚寺派に属し、もとは神宮寺と称していた。開基は行基菩薩と伝えており、本尊は阿弥陀如来である。近接する甲弩神社の別当寺として創建されたともいわれる。
 神宮寺は、古くは大坊・中坊・般若坊・正円坊・長福坊・上学坊の6坊を有した大寺であった。うち2坊は山口に移され、上学坊は山伏寺となったが廃滅し、長福坊は長福寺となっている。また、長尾山では大坊のみが残って今日の神護寺となった。室町時代には小田氏の庇護を受けて、本堂(県指定重要文化財)を再建している。

 

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