2021/04/27(火) 岡山県矢掛町「西方院」&「伽藍山」散策 <3/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「九合目」を過ぎましたから程なく山頂ですけど…うん、うん、前方が開けて明るくなって来ました。ヤッと山頂に辿り着きましたようであります(^_^)v
 山頂までの道程は、大した距離でもないのですけど、病み上がりのGONsanには、それなりにキツい上り道ではありました。
 2/24(水)に手術・3/5(金)に退院し、健全者に復帰し50日は経ていますのに、昨年11月〜退院までほとんど運動していませんでしたから、さすがにこの間のブランクは実に大きいようであります。結構、息が切れましたネ(^-^)
 山頂には鯉幟りが何体か掲げられておりました。
 そして、こんな案内板も…

 ★伽藍山極楽寺跡
 天平9年(737年)伽藍山頂に行基菩薩により本堂及び十二坊が開創された。寛永年間に東麓里山田ら東極楽寺五坊、西麓の江良に西極楽寺七坊が移転下山した。現在伽藍山両麓には極楽寺、西方院、大光院の三ヶ寺がある。

 ★伽藍山城址
 海抜292メートル、江戸時代後期山頂の極楽寺に猿掛城主毛利候出城(砦)として本丸が築城され、北に二段、南に三段の堡塁跡がある。宍戸安芸守舎弟備前(下道群鬼の身場主)が伽藍山城主であった。
 --- 備中府誌による ---

 ★十二の岩文字(現存する)
 古代インドから護法神として伝来した。伽藍山西斜面の岩に刻まれている帝釈天(東)・水天(西)・閣魔天(南)・毘沙門天(北)・伊舎那天(東北)・火天(東南)・風天(西北)・羅刹天(西南)・梵天(天)(以上平成18年発見)・地天・日天・月天の十二天である。

 ★条理制(八世紀頃行った耕地整理である)
 矢掛で最も高くどの位置からも望むことができる伽藍山と鵜江神社(東川面)を結ぶ南北線を基準線として行われた。条理(縦横)とは六町四方の耕地を一区として碁面の如く線を引いたものである。

 ★春・秋分の日
 群宮跡(小田)から伽藍山頂日照を、岩山神社(中)から伽藍山頂に日没が観察できる。矢掛神社は丑寅神社とも呼ばれ、伽藍山から四五度の丑寅方向にある。

 --- 矢掛宿誌による 平成18年建立 江良史談会 ---


 …と、案内板にはこんな記載が(^.-)☆

 

 

 

 

 

 

 

 

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