2021/05/31 福山市駅家町「二子塚古墳」散策 <1/4>

 

 

 

 

 ■2021年06月18日11:52
 5/31(月)は、福山市駅家町・加茂町の「古墳巡り」を何ヶ所か(^.-)☆


 5/31(月)は、ウォーキングを兼ねまして福山市駅家町・加茂町の「古墳巡り」となりましたGONsanです(^.-)☆
 で、我が家を出ましたのがA.M.9:30で、最初に訪れましたのが「二子塚古墳」。到着はA.M.10:10でありました。弥生ヶ丘住宅団地の一角に「弥生ヶ丘東公園」が存在し、その入口付近に数台駐められそうな駐車スペースが(^_^)v
 幸いに、訪れておられます方はGONsanのみで、楽々駐車となりました(^_^)v
 この駐車スペース傍らには、「史跡 二子塚古墳」の案内板が。この案内板には、こんな記載がありました。

 ◆史跡 二子塚古墳

 --- 2009年(平成21年)7月23日指定 ---

 6世紀の終わりごろから7世紀の初めごろに造られた前方後円墳です。

 【墳丘】
 墳丘の裾を巡る周溝を含めた全長は73mで、この時代の前方後円墳としては県内最大規模を誇ります。墳丘のほとんどが盛土で、種類の違う土を交互に突き固めながら積み上げています。

 【埋葬施設】
 前方部と後円部の双方に横穴式石室があります。
 後円部の石室は、両袖式で、玄室とそこに至る羨道に区分され、玄室と羨道を合わせた全長14.9mは県内最長です。さらに、羨道から墳丘裾まで石積みの側壁をもつ墓道が続くという幸造は、全国でも検出例があまりありません。
 また、玄室内で兵庫県産の気は凝灰岩(竜山石)を使った組みあわせ式の石棺が検出されています。
 前方部の石室は、天井石が掘り取られ、完全に埋もれていますが、こちらも全長12.5mという大規模な石室です。

 【出土遺物】
 後円部の石室内から須恵器、土師器のほか、金銅製の双竜環頭柄頭・鍔(つば)・鉄矛・鉄鏃などの武器類や金メッキされた杏葉・鞍金具、鉄製のくつわなどの馬具類などが出土しています。その中の双竜環頭柄頭は、県内はもとより、瀬戸内沿岸でも初の出土で、向かい合った2頭の龍がそれぞれ玉をくわえるという日本で他に例がないデザインのものである。

 --- 福山市教育委員会 ---


 そして、弥生ヶ丘東公園の入口にも、こんな案内板が(^.-)☆

 ◆池ノ内遺跡群(いけのうちいせきぐん)

 弥生ヶ丘住宅団地の造成に伴って行われた発掘調査で40haの中に7ヶ所の遺跡群が確認されました。
 団地の東側で、国史跡二子塚古墳の尾根に続くこのあたりは、池ノ内遺跡群と呼ばれ、弥生時代の竪穴住居跡約30軒、古墳時代の円墳4基、壺棺墓2基などが発見されました。
 竪穴住居跡からは、弥生土器と共に石鏃・石斧・石包丁などの石製品が出土し、古墳からは須恵器・土師器、馬や家などをかたどった埴輪(形象埴輪)・円筒埴輪などが出土しました。
 この公園がある場所は、特に池ノ内第2遺跡と呼ばれ、古墳時代前半の壺棺墓2基、箱式石棺2基が確認されています。調査の後、埋め戻して公園として保存しています。(遺跡所在地:福山市駅家町大字中島)

 --- 福山市教育委員会 ---


 それでは、「二子塚古墳」に向かってみたいと思いますけど、その前に、WEB上でチョッとだけ『史跡 二子塚古墳』の事前学習となりました(^-^)//"

 ◆二子塚古墳(福山市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 二子塚古墳(ふたごづかこふん)は、広島県福山市駅家町中島にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。以前から知られていた後円部の大型の横穴式石室が調査され、金銅装双龍環頭柄頭などさまざまな遺物が出土している。

 ・概要

 尾根上に位置する前方後円墳で、前方部を西南西に置いている。2002年から2005年にかけて福山市教育委員会により国史跡の指定をめざす発掘調査が行なわれ、墳丘と後円部にある大規模な横穴式石室などが調査されている。墳丘は裾部分に墳丘を画する狭い周濠を設けており、墳丘長は68メートル、後円部径41メートル、前方部幅30メートルの規模である。前方部にも全長12.5メートルの横穴式石室があることが確認されている。
 墳丘には埴輪や葺石は用いられていないことが判っている。2006年に「福山古墳ロード」Aコースに指定され、地元郷土史団体(備陽史探訪の会)と福山市の協働により案内板設置などの整備が行われた。

 ・後円部横穴式石室

 後円部の横穴式石室は両袖式で、長大な玄室と長い羨道をもつ。さらに羨門の前に石積の長い墓道を付設している。玄室の長さは6.7メートル、幅は奥壁に近いところで2.1メートル、玄門に近いところで2.6メートル、高さは奥壁付近で3.3メートル、玄門付近で3.4メートルである。
 羨道の長さは8.1メートル、幅は玄門部で1.6メートル、羨門部で1.9メートルで、高さは玄門部で2.2メートル、羨門部で2.6メートルある。墓道部は長さ10メートルほどあり、幅はところにより3メートルほどある。
 石室の用材は自然石を使用し、玄室の奥壁は1枚の大型で扁平な平石をほぼ垂直に立てている。玄室前半部には石棺の残骸があり、組合せ式石棺の底石がほぼ原位置に近い状況で遺存し、石棺の蓋石2枚や小口板2枚などが玄室内の堆積土中から、ばらばらに出土している。蓋石は扁平で、家形石棺の形状ではない。石材は播磨竜山産の凝灰岩である。また玄室奥からは鉄釘が検出されており、石棺とは別に木棺が置かれていたことが想定される。

 ・石室内出土遺物

 石棺が破壊されていたように、石室内はかなり攪乱されており、原位置を保つ遺物は少なかったが、それでも相当量の遺物が検出されている。それらには、金銅双龍環頭柄頭、鉄刀、鉄矛、鉄鏃などの武器類、楕円形杏葉や鞍金具などの馬具類、鉄釘、刀子がある。金銅双龍環頭柄頭は向かい合った2頭の龍がそれぞれ玉をくわえているデザインで国内では他に例がないものである。また土器類には土師器、須恵器が出土しており、特に須恵器は石室内各所から相当量出土している。

 ・年代
 出土した須恵器の高坏の透かしの特徴は陶邑窯の型式編年のTK209型式の中段階と新段階に属するものであることから、石室内の初葬の年代は7世紀第1四半期であり、それから、7世紀前半でもやや新しい時期にも追葬が行なわれた可能性が大きいという。西日本で最後に築造された前方後円墳の1つと考えられる。

 ◆二子塚古墳

 --- 福山市ホームページ ---

 古墳時代後期の前方後円墳。広島県東部地域の代表的な古墳で、全長68m、後円部の横穴式石室は全長14.9mと、備後地方最大の古墳です。
 2002年度からの発掘調査では、古代備後国の首長墓にふさわしい、墳丘や石室の存在が判明し、前方部と後円部の両方に横穴式石室があるのは県内唯一です。出土品は、杯や甕などの土器のほか、鍔(つば)、杏葉(ぎょうよう)などの金属製品で、全国的に例のないデザインの双龍環頭柄頭(そうりゅうかんとうつかがしら)もあります。
 2016年度に、石室と石棺が修復・復元されました。石棺には兵庫県産の竜山石(たつやまいし)が使用されており、当時のヤマト政権との強い結び付きが考えられています。
 1948年には県史跡、2009年には国史跡に指定されています。

 ◆二子塚古墳(ふたごづかこふん)

 --- 掲載日:2017年5月22日 更新 福山市 ---

 国指定史跡 昭和23年(1948年)9月17日(県史跡)指定
       平成21年(2009年)7月23日(国史跡)指定


 駅家町の平野部をみおろす東にのびる丘陵上に築かれた古墳である。墳丘は全長68mの前方後円墳で、後円部は直径41m、,高さ6.5m、前方部は幅27m、高さ4m、くびれ部は幅20mを測り、幅1.6〜4m、深さ0.4から1.8mの周溝が巡っている。
 埋葬施設は後円部、前方部の2ヶ所に横穴式石室が築かれており、前方部のものはかなり破壊されているが長さ12.6m(※)と確認されている。後円部の石室は花崗岩を使用した南に開口する両袖式横穴式石室で、規模は現状で、全長14.9m、玄室は長さ6.8m、幅2.1〜2.6m、高さ3.3m、羨道は長さ8.1m、幅1.6〜1.9m、高さ2.2〜2.6mを測り、県内では最長である。奥壁は1枚で、側壁は傾斜をつけて積み上げている。墓道の前には積石の墓道が造り付けられている。
 石室の中には兵庫県産の竜山石(凝灰岩)製の組合せ式石棺があり、副葬品は須恵器、土師器、鉄製武器、馬具などが出土した。中でも大刀の柄頭である金銅製双龍環頭柄頭は珍しい意匠である。
 石室の構造や副葬品から築造されたのは6世紀末から7世紀初頭と考えられる。遺物や石室の構造などに畿内との関係が認められ、近畿以西では最も遅く造られた前方後円墳の可能性がある。当時のヤマト政権と吉備勢力の政治状況を考える上で重要な古墳である。
 ※ 概数から実測値に修正(12m→12.6m)

 ◆広島県の文化財 -- 二子塚古墳

 --- 広島県教育委員会ホームページ ---

 二子塚古墳は、広島県の東部、備後地域に所在する標高50m前後の低丘陵上に所在する前方後円墳である。
 発掘調査の結果、墳丘長68m、墳丘の周辺には幅1.6〜4m、深さ1.8m程度の周溝が全周し、それを含めた総長は73.4mになり、備後地域を代表する大規模前方後円墳であることが明らかとなった。
 埋葬施設は、前方部と後円部に横穴式石室が1基ずつある。後円部のものは両袖式で、全長14.9mと吉備有数の規模を誇る。石棺は播磨の竜山石製の組み合わせ式石棺であった。
 副葬品は、須恵器・鉄製武器・馬具とともに、大刀に伴う金銅製双龍環頭柄頭(そうりゅうかんとうつかがしら)は珍しい意匠で注目される。副葬品の内容から、古墳の築造は6世紀末から7世紀初頭ころと考えられる。
 備前・備中地域においては、古墳時代前・中期に巨大な前方後円墳が築造されたのに対し、備後地域では、この古墳が突如として出現した。玄室内の石棺は、地元で採れる浪形石(なみがたいし)ではなく、畿内地域の前方後円墳などに採用された竜山石を用い、石室構造や出土遺物も畿内地域と関係があったことを示す。
 このように、二子塚古墳は、7世紀前後のヤマト政権と吉備との政治状況を知ることができる点で、極めて重要な古墳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「二子塚古墳」は公園として整備され、入口付近には、こんな案内板が設けられておりました。

 ◆史跡 二子塚古墳

 --- 福山市駅家町中島・新山 ---

 二子塚古墳は広島県の東部(備後地域)の標高約50mの丘陵上に造られた前方後円墳です。丘陵の南裾には古代山陽道が通り、東西交通の要衝に位置しています。この古墳は、墳丘、石室共に大規模であることから1948(昭和23)年、広島県史跡に指定されました。福山市教育委員会はこの古墳を保存し活用することを目的に、2002(平成14)年度から内容を確認するための発掘調査を実施しました。
 その結果、墳丘長68m、後円部直径41m、前方部幅27mで墳丘の周辺には幅1.6〜4m、最大深さ1.8m程度の周溝が全周し、それらを含めた総長は73mになることが明らかとなりました。墳丘は、自然地形を整地したのち、盛土部分は何種類かの土が交互に積まれていました。後円部墳丘なかばに平坦地がある、二段築成の古墳と考えられています。
 埋葬施設は前方部と後円部に横穴式石室が1基ずつあります。後円部の石室は両袖式で、全長14.9mと吉備地域有数の規模を誇ります。石棺は播磨の竜山石製の組み合わせ式石棺でした。副葬品としては須恵器などの土器をはじめ、金属製の武器や、馬具があり、中でも大刀の飾りである金銅製双龍環頭大刀柄頭が出土し注目されました。瀬戸内沿岸では初の出土で、立体的な表現の二頭の龍がそれぞれ玉をくわえ、せびれがつくという意匠は全国的に例がないものです。

 前方部の石室も両袖式で、奥壁から羨道入り口までの長さは12.6mでした。玄室の側壁は2段目から一段4段目の石まで残っていましたが、大部分の石材が抜き取られていました。
 副葬品の内容から古墳は、今から約1,400年前、6世紀末から7世紀初頭頃の築造と考えられます。
 備前・備中地域においては、古墳時代前期から後期後半にかけて巨大な前方後円墳が築造されたのに対し、備後地域では古墳時代中期から後期後半にかけて目立った前方後円墳は築かれませんでしたが、この時期にこの二子塚古墳が突如として出現します。また後円部の横穴式石室は特に大型で、玄室内の石棺は備中で採れる波形石ではなく畿内地域の前方後円墳の石棺に採用された竜山石を用い、石室構造や出土遺物からも畿内地域と関係があったことを示します。
 二子塚古墳は、前方後円墳が消滅する時期において、日日本では最も新しい時期に築造された前方後円墳の一つで、7世紀前後のヤマト政権と吉備との政治状況を知ることができる点で、きわめて重要な古墳です。

 
--- 福山市・福山市教育委員会 ---

 …と、こんな案内板のほか、「史跡二子塚古墳と周辺の主な後期・終末期古墳」の案内板も(^.-)☆
 この近辺には、結構な数の古墳が存在しますけど、時間が許せば順番に巡ってみますのも楽しいものと思います。

 それでは、前方部から拝見です。
 前方部の羨道入り口には、「前方部石室」のこんな案内板がありました(^-^)//"


 ◆前方部石室

 2013(平成25)年度の第5次調査で、石室の規模と平面形が明らかになりました。玄室は長さ5.1m、幅2.0m、羨道は長さ7.5m、幅1.6〜2.0mの両袖式の横穴式石室です。玄室と羨道を合わせた石室全長は12.6mで、規模の大きいものです。
 天井石は凡て抜き取られ、石材の大部分が失われていましたが、最も残りの良い奥壁寄りで4段(高さ2.6m)の石積が残っていました。
 床面は保存のため部分的な調査に止めていますが、玄室の床面まで調査した第1次調査1トレンチでは、床面に敷かれた河原石や十数点の土器が出土しました。玄室は全面に河原石が敷かれていたと考えられます。前方部石室では、後円部でみられるような墓道はありませんでした。
 現在、石室は埋め戻して保存しており、羨道の入り口の側石のみを見ることが出来ます。

 

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