2021/11/16(火) 紅葉を求めて佛通寺散策 <4/6>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木橋を渡り参道に戻ってきますと、「開山堂 →」の案内表示が眼に入りましたので、開山堂に上がってみます事に。
 上り口から石段を見上げますと、女性がお一人先行です。ふ〜ん、意外と、開山堂に向かわれます方は少ないようですネ。

 

 

 

 

 

 

 ノンビリと上がりながら、途中で振り返ってみますと、一人、二人…と、適当な間隔を開け開山堂に向かっておられます(^.-)☆
 暫く進み、もぅ少しで石段ともお別れの所で、分岐路が…右に進めばスンナリと開山堂に…左に進み石橋を渡れば斜面に設置されました石仏を眺めながら、少しだけ遠廻りで開山堂へ…
 GONsanは、迷わず左方向へ(^-^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 石仏を眺めながら上がって来まして、「佛通寺含暉院開山堂」にと到着です。手前が開山堂で、その隣りが「佛通寺含暉院地蔵堂」ですネ。
 開山堂・地蔵堂の前には、説明板が設置してありますので、眼を通してみますと、こんな記載でありました(^.-)☆

 ◆国重要美術品 石造宝篋印塔

 --- 昭和24年4月13日指定 所在:三原市高坂町許山 ---

 佛通寺含暉院開山堂の内陣の片隅に、大通禅師像と並んで建てられている。堂内にあるため、風雨の被害を受けていないので保存は良好である。
 塔身はやや細く月輪と蓮華を彫り、月輪中に梵字が彫り込まれている。
 総高156.7cm、室町時代の作である。

 --- 三原市教育委員会 ---

 ◆三原市重要文化財
  木造佛通禅師 一躯・木造大通禅師 一躯


 --- 昭和37年5月28日指定 所在:三原市高坂町許山 ---

 佛通寺含暉院開山堂の内陣の中央に安置してある。いずれも玉眼入りで法衣を着け、両脚を前にたれ、台座に腰をかけている。向かって右が佛通禅師(即休)、左が大通禅師(周及)で、肖像彫刻として特異な個性的表現があり、面相の写真は特に優れており、室町時代の特色をよく表している。
 坐高は、いずれも50cmで、寄木造りである。室町期の京都作で、福知山天寧寺の像と同一である。
 佛通寺の名は、開山の大通禅師が中国(元)留学中の師、佛通禅師の徳をしたって師の名を寺名としたものである。

 --- 三原市教育委員会 ---

 ◆国重要文化財
  佛通寺含暉院地蔵堂 一棟・付 須弥壇 一基


 --- 昭和24年4月18日指定 所在:三原市高坂町許山 ---

 佛通寺は、応永4年(1397)、小早川春平が愚中周及を迎えて開いた臨済宗の大寺である。その後、火災によって創建当時の建物は、今では禅師の塔頭含暉院の堂だけである。
 この地蔵堂は、応永13年(1406)の建築である。(「佛通禅寺住持記」による。)
 様式は折衷様で、けた三間、はり間三間、一重、宝形造り、本瓦葺き(もとはかやぶき)で均整のとれた美しい室町時代の建物である。
 含暉院地蔵堂の中央億よりに縦2m、横11m、高さ1mの須弥壇(唐様)がある。

 --- 三原市教育委員会 ---


 残念ながら、記念行事等の開催がありませんと、堂内の見学は不能です(^-^;

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