2021年 日本のビール王「馬越恭平ゆかりの地」散策 <2/4> |
『馬越恭平資料館』を充分拝見させて頂きましたので、退室し、再度、生家敷地内の建物を拝見します事に…
拝見します限りでは、整備される事も無く、極力、昔のままの状態に維持しておられますのでしょうねぇ〜敷地内を拝見しておりますと、それなりの歴史を感じてしまいました(^.-)☆
馬越恭平sanの生家とお別れしますと、次は、「旧馬越橋跡」へ。
馬越橋跡には『旧馬越橋跡』と刻まれました石碑が…その後方に、現在使用しています「(新)馬越橋」が…石碑に隣接し、『馬越恭平翁 生誕の地(木之子地区振興協議会)』の看板も設置されてありました(^.-)☆
旧馬越橋は、この石仏が置かれています場所に架かっていましたのでしょうネ…
石碑・旧馬越橋跡の裏面というか裏側には、こんな記載が…
旧馬越橋は、馬越恭平翁 寄贈により昭和11年10月9日落成。以降、風雪に耐え地域発展に貢献した。
平成元年新橋起工、仝4年3月竣工により撤去した。
ここに、 これを建立する。
--- 平成4年3月 岡山県 ---
それでは次に、「馬越恭平翁」の墓所があります「三光寺(さんこうじ)」に向かってみます。
◆三光寺(さんこうじ)
・火災除け秋葉の火祭り(8月15日夜7:30〜)
・「海雲方丈」によるカラオケ法話
・ビール王・紺綬褒章5回・郷土の大恩人「馬越恭平翁」の墓所
・短歌雑誌「水甕」創設入社・藍綬褒章「井上雪下先生」の墓所
・禅問答石(享禄元年作)
・所在地 -- 岡山県井原市木之子町5145
・TEL -- 0866-62-4017
◆三光寺 -- 馬越恭平の墓
木之子町にある三光寺は曹洞宗のお寺ですが、このお寺には「東洋のビール王」と言われた馬越恭平の墓があります。
恭平は弘化元年(1844)、当時の後月郡木之子村の医師馬越元泉の次男として生まれ、大阪鴻池家の丁稚として働きますが、三井の益田孝に認められ、三井物産の前身で井上馨が興した先収会社に勤め、後に三井物産の常務理事になります。
そして傾きかけていた日本麦酒(ブランド名:恵比寿ビール)に招かれ、銀座に我が国初のビアホールをオープンするなど、卓越したアイデアで再建を果たすと共に、ビール市場の拡大に大きく貢献しました。日本麦酒は明治39年(1906)に札幌麦酒(ブランド名:札幌ビール)、大阪ビール(ブランド名:朝日ビール)と合併して大日本麦酒となり、そのシェアは79%に達したということです。恭平は大日本麦酒の社長を務め、後に帝国銀行頭取や衆議院議員の他に、井原笠岡軽便鉄道(現井笠鉄道)の初代社長にもなっています。
大日本麦酒は終戦後に過度経済力集中排除法により、日本麦酒(現サッポロビール)と朝日麦酒(現アサヒビール)に分割されました。
三光寺駐車場に到着しますと、まず眼に入りますのが「三光寺竜宮門」であります(^.-)☆
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