2020/10/25(日) 安芸灘とびしま海道走行 <3/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫し「であいの館」からの眺望を楽しみますと、日が暮れませんうちに岡村島まで走行です。
 上蒲刈島 -- (豊島大橋) -- 豊島 -- (豊浜大橋) -- 大崎下島 -- (平羅橋) -- 平羅島 --(中の瀬戸大橋) -- 中ノ島 -- (岡村大橋) -- 岡村島 と走行し、岡村島の最東端にと到着です。
 このまま岡村島を一周し岡村大橋まで戻ろうとしますけど、最東端から先の道は狭そうで、車一台がヤッと走行可能な状況なのかも分かりません。
 はてさて、どぅしたものか…と、まずはこの最東端からの景観を数枚パチリ。
 ここからは来島海峡大橋がキレイに眼に入りました(^.-)☆

 そぅしておりましたら、若者の女性二人がヤッて来まして、GONsan同様に先に進もうか…引き返そうか…と思案中。結局、GONsanが画像に納めています間に引き返して行かれましたネ。
 で、GONsanはどぅしたものか…
 その内に地元の方らしき方が来られましたので、「このまま先へ、車での走行は可能ですか?」と尋ねますと、「走れるけど、ズッと狭い道だから、前方から車が来れば擦れ違いは不能…」との事。
 嫁さんもGONsanも三流ドライバーですから、そんな道でしたらとても走れません。
 躊躇なく引き返す事となりました(^-^)//"


 ◆岡村島

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島である。ミカンなどの果樹栽培と漁業が盛ん。愛媛県今治市だが安芸灘とびしま海道にて、本州広島県呉市と陸路でつながっている。

 ★地理・自然
 今治港の北西約17キロの位置にあり、大下島、小大下島ととも関前諸島を形成している。東に小大下島、西に大崎下島(広島県)がある。大崎下島との間の御手洗瀬戸に中ノ島、小島がある。集落は島の南東部でフェリーの寄航する岡村港のある岡村に集積し、今治市関前支所(旧村役場)もこの集落にある。

 ★架橋
 岡村島は、日本本土(北海道・本州・四国・九州・沖縄本島)と橋で繋がっている島の中では熊本県の樋島・下須島・通詞島(ともに7橋)と並んで一番橋を渡る回数が多い(しまなみ海道を除く)。さらに、所属する県庁までの通過架橋を比較すると17橋という桁違いの橋数を誇る。
 (岡村島)→岡村大橋→(中ノ島)→中の瀬戸大橋→(平羅島)→平羅橋→(大崎下島)→豊浜大橋→(豊島)→豊島大橋→(上蒲刈島)→蒲刈大橋→(下蒲刈島)→安芸灘大橋→(本州)→新尾道大橋→(向島)→因島大橋→(因島)→生口橋→(生口島)→多々羅大橋→(大三島)→大三島橋→(伯方島)→伯方橋→(見近島)→大島大橋→(大島)→来島海峡第一大橋→(アンカーブロック4A)→来島海峡第二大橋→(馬島)→来島海峡第三大橋→(四国)
 このほか、北接する広島県の離島大崎上島への架橋(安芸灘諸島連絡架橋8号橋)、大下島などを経由してしまなみ海道沿線の大三島に架橋する構想(関前諸島架橋構想)がある。

 ★歴史
 古くから斎灘の海上交通の要衝にあたり、平安時代から空海や菅原道真らが立ち寄ったいわれがある。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれた。江戸時代中期には隣島の大崎下島の御手洗港などとともに潮待ち港として栄え、1740年(天文5年)には島南端の観音崎に灯明台が築かれた。
 江戸時代に宮浦村と里浦村とが合併して岡村となり、松山藩に属していた。天保9年に隣島の小大下島を二分してその一部を岡村と合する。1890年(明治23年)に岡村島と大下村の合併により越智郡関前村となる。明治時代中頃から柑橘類の栽培がはじまり、大正時代にはみかんの島として知られるようになった。村役場がこの島に置かれるなど、関前諸島の中心として機能してきた。昭和の大合併は離島という特性のため、経験しなかった。

 ★行政
 ・愛媛県今治市に属する。
 ・1890年に岡村島と大下村の合併により越智郡関前村となる。
 ・2005年1月16日に今治市と合併して同市の一部となり、現在に至る。

 ◆岡村大橋

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 岡村大橋(おかむらおおはし)は、広島県呉市の中ノ島と愛媛県今治市の岡村島を繋ぐ道路橋。

 ・概要

 1995年8月完成。元々は広島県と愛媛県の合同事業「大崎下島地区広域営農団地農道整備事業」により建設された農道橋であり、現在は呉市と今治市が管理している。本州と安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ安芸灘諸島連絡架橋の一つであり通称「安芸灘7号橋」、大崎下島広域農道の一部を構成する。なお、岡村島は本州つまり広島県とは橋で繋がっているが、愛媛県側とはつながっておらず交通手段はフェリーのみである。
 この橋の中間が県境であり、道路にそれが表記されている。なお海上の県境を跨ぐ農道橋としては、この橋が日本唯一のものである。この橋の下が大崎下島御手洗港と大崎上島沖浦漁港を結ぶフェリー航路である。
 大崎下島広域農道「安芸灘オレンジライン」にある平羅橋・中の瀬戸大橋・そして岡村大橋のうち、中の瀬戸と岡村は全く同じアーチ橋であり、ほぼ同じサイズの橋である(平羅橋が違う理由は当該項目参照)。2012年公開のアニメーション映画『ももへの手紙』にこの2つの橋がモデルとなったアーチ橋が登場する。

 ◆中の瀬戸大橋

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 中の瀬戸大橋(なかのせとおおはし)は、広島県呉市の平羅島と中ノ島を繋ぐを繋ぐ道路橋。

 ・概要
 1998年10月完成。元々は広島県の「大崎下島地区広域営農団地農道整備事業」により建設された農道橋であり、現在は呉市が管理している。本州と安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ安芸灘諸島連絡架橋の一つであり通称「安芸灘6号橋」、大崎下島広域農道の一部を構成する。
 大崎下島と岡村島の間にある平羅橋・中の瀬戸大橋・岡村大橋の3橋含めた大崎下島広域農道は「安芸灘オレンジライン」の愛称で呼ばれる。この中で、中の瀬戸大橋は1995年先に完成した岡村大橋と全く同じ種類のアーチ橋であり、架設工法も同じである。2つのアーチ橋の違いは、中の瀬戸の方が全体的にやや大きく、それに伴い橋脚が1基多いことである(岡村大橋の諸元、および平羅橋が違う理由は当該項目参照)。2012年公開のアニメーション映画『ももへの手紙』にこの2つの橋がモデルとなったアーチ橋が登場する。

 ◆平羅橋

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 平羅橋(へいらばし)は、日本の本州と安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ安芸灘諸島連絡架橋のうち、大崎下島と平羅島を繋ぐ道路橋である。

 ・概要
 1995年(平成7年)8月1日開通。県の大崎下島地区広域営農団地農道整備事業つまり大崎下島広域農道として整備された農道橋であり、完成後に呉市に移管したものである。
 安芸灘諸島連絡架橋のうち、本土側から5番目にあたることから「安芸灘5号橋」とも呼ばれる。その8橋のうち一番小さい橋であり、唯一のコンクリート橋である。

 

 

 海岸沿いを「岡村大橋」に引き返しておりますと、岡村大橋・中の瀬戸大橋・平羅橋の三つの橋が眼に入ります場所が…同時に三つの橋を眺めますには、この辺りが最適なのかも(^.-)☆
 岡村大橋に到着しますと少しだけ停車。ササッと何枚かパチリです。この橋の向こうは広島県、手前は愛媛県ですネ。
 もっと時間がありましたら、境界線上を跨いで画像に納めたいところですけど、それは叶いませんでしたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

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