2020年 三原市小泉町「白滝山・龍泉寺」 <1/5> |
■2020年05月06日22:07
5/4(月)は、龍泉寺(白滝山)・大峯神社(黒滝山)を散策でした(^.-)☆
GWも後半に入りました5/4(月)は、白滝山・龍泉寺(三原市小泉町)と、黒滝山・大峯神社(竹原市忠海町)をノンビリと山歩きとなりました。
出掛けます時には曇天で、白滝山からの瀬戸内を臨みます絶景は、とても視界に入りませんでしたけど、気温は随分高かったですネ(^-^;
前日、嫁さんにも「一緒に行く?」と声は掛けましたが、「ヘビ・毛虫が多いから行かない。独りで行ったら…」と、いつも通りの予想通りの返答でありました。まぁ内心、「付いて行く…」とでも言われましたら、足手まといですし邪魔くさいなぁ〜とイヤでしたので、喜んで我が家をサッサと後にしましたが(^.-)☆
こんな時期ですから、訪れます方は多くないかも…と思いましたけど、二人連れの友人、ご夫婦、2〜3人の若者グループ、GONsanのような単身者、数人のご家族連れ…と、まぁそれなりに少なくはありましたけど、こんな方々との擦れ違いはありましたネ。
山歩きですから着用も面倒なのではありますけど、皆さんチャンとマスクは着用でありました。勿論、GONsanも(^-^)
この日の山歩きを、また画像でご案内したいと思います(^-^)//"
白滝山・龍泉寺の駐車場に到着は、A.M.10:00少し前。既に、3台の車が駐まっておりました。我が家を出ましたのは何時でしたかハッキリと憶えてはおりませんけど、確か、9:00前に出ましたような…
ですから、約1時間程度要したものと思います(^-^)
この日の天気予報は、朝方雨もあがり午後は晴れ間も…でしたような。駐車場は濃霧状態でしたから、白滝山からの瀬戸内眺望は叶いませんのでしょうねぇ(^-^)//"
参道を龍泉寺に向かっておりますと、平成30年07月の西日本豪雨の爪痕が…キレイに舗装され復旧してはおりますが、崖下を覗き込みますと、当時の豪雨の激しさが伺えます。
◆平成30年7月豪雨
平成30年7月豪雨(へいせい30ねん7がつごうう)とは、2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方を含む全国的に広い範囲で記録された、台風7号および梅雨前線等の影響による集中豪雨。同年7月9日に気象庁が命名した。別称西日本豪雨。
・名称
一連の豪雨について、2018年7月9日に気象庁が「平成30年7月豪雨」と命名している。西日本を中心に北海道や中部地方など被害が広範囲となったため、地域名を入れない形での命名となった。気象庁が豪雨で名称をつけるのは、2017年の「平成29年7月九州北部豪雨」以来である。
一方、報道機関等では気象庁による命名前から、単に「西日本豪雨」と称している事例が多く、気象庁の命名後も「西日本豪雨」の名称を継続して用いている報道機関も少なくない。
暫く進みますと、ほどなく龍泉寺に到着です。
本堂前の境内には、参拝を終えられました3名の若者。今から下山されますようでありました(^.-)☆
◆白龍山 龍泉寺
〒729-2361 三原市小泉町4543 0848-66-3384
白龍山は、瀬戸内海国立公園内にあって標高342mの岩山である。山頂には龍泉寺があり、今から約1250年余り前の天平勝宝元年(749年)に行基(668-749年)が諸国遊行中、忠海に泊まった時に、夢の中に金童子が白龍山の山頂に現れて招くのを見て白龍山に登られて、霊木より本尊十一面観音菩薩(座高1m)を作られ開山したと言われている。この寺は、後に瀬戸内海に勢力を拡大していった小早川家の一族「小泉氏」の菩提寺となった。
本尊以外には、平安時代の多門天立像と不動明王立像がある。十一面観音菩薩をはじめ、いずれも広島県の重要文化財に指定されている。
◆白滝山
白滝山は三原市の南西部、竹原市との境に位置する標高350mの山です。山頂は巨大な花崗岩となっており、その上にたつと南に瀬戸内海の島々、遠くに石鎚山脈、四国山地、北は吉備高原、中国山地と360度の絶景が広がります。また、一帯は、白滝山生活環境保全林として整備され、遊歩道をめぐりながら樹木を観察することができます。
山頂の巨大な花崗岩は地元では、八畳岩と呼ばれています。
壁面には等身大の半肉彫りの仏像群があります。これが麿崖仏で、豊作と平安を祈り江戸時代初期に作られたと考えられています。南側にあるのが釈迦三尊像で、北側にあるのが十六善神像です。釈迦三尊像は、それぞれ雲に乗り、中尊は釈迦如来座像で、脇侍は迦葉・阿難尊者立像です。十六善神像は、3面に分けて9体・5体・2体が彫られています。
…と、こんな「白龍山・龍泉寺」でありますようです。
龍泉寺のご住職sanは、外人さんが務めておられますので有名ですけど詳細は分かりませんので、WEB上で調べてみますと、こんな記載がありました(^.-)☆
◆曹洞宗の龍泉寺
・仏縁に導かれ、地域に支えられながら歩む禅の道
標高340メートルの白滝山の山頂には壁面に磨崖仏(まがいぶつ)が彫られた巨大な岩がそびえ、その岩の上からは瀬戸内の島々や中国山地までが360度見渡せます。
その巨岩の袂に、曹洞宗の龍泉寺があります。
この寺では現在、禅の修行のためにアメリカから来日し、日本に帰化して住職となられた武田道育さんが、修行の日々を送っています。
・アメリカからやってきた碧い目の住職
龍泉寺は、奈良時代の僧、行基が開いた寺で、もとは真言宗の寺でしたが、江戸時代に禅宗の1つ、曹洞宗に改宗し、現在に至ると伝わります。
境内は瀬戸内海に面していて、そこからの景色は息を呑む美しさです。その絶景を求めてか、境内には登山客の姿も見られます。
「素晴らしい眺めでしょう。きれいに晴れていれば四国山地まで見えるんですよ」と、登山客とも気さくに言葉を交わすのは、龍泉寺の住職、武田道育さん。
住職とお会いしてまず驚くのは、その瞳が碧いこと。ペンシルベニア州出身の道育さんは、地元の大学で学んでいた頃、座禅の本を読んだことがきっかけで禅宗に興味を持ったといいます。
「ちょうどアメリカで禅が広まり始めた頃でした。私も若者らしい悩みや不安を抱えていた時期でしたが、身も心も一切の執着から離れ、自分と宇宙が1つになるという禅の教えを学んで、心を落ちつかせることができたんです」と、当時のことを振り返ります。
・三原へと導かれた不思議な仏縁
アメリカの道場で座禅を習った道育さんは1975年、禅について学ぶため、本の情報を頼りに来日しました。
福井県小浜市の発心寺(ほっしんじ)の道場へ入門しますが、在家のままでは長年に渡って修行することができないため、来日の翌年には出家を決意します。
「自分に務まるのか不安でしたが、良い師匠や周りの人たちに支えられ、今日に至ることができました。仏縁に恵まれたんですね」。
約20年に渡り同寺で禅の修行を積んだ道育さん。環境を変えて1人で修行をしたいと思い始めた頃、訪れた竹原・忠海にある少林窟(しょうりんくつ)道場でさらなる仏縁を得ます。
その頃、龍泉寺には別の寺の住職さんが兼任されていました。その住職さんと知り合う機会があり、思いを伝えると寺を管理しながら修行の場として龍泉寺に入ることを許可されました。
そして修行に励み、2002年には帰化し、その5年後には副住職となりました。
仏縁がつながり、2012年に住職となる晋山式(しんさんしき)が執り行われました。
・地域とのつながり そして世界へと広げたい教え
外国出身の自分が檀家の方々に受け入れられるか不安だったという道育さん。
「でもそれは杞憂でした。地域の皆さんが暖かく迎えてくださって、今でも私の日々の暮らしのこととか、寺のこととか、よく面倒を見てくださるんです」。
寺の掃除をするために、わざわざ山を登ってきてくれる方もいるのだとか。また境内にある桜の老木の手入れなども、地域の方が率先して行っているそうです。さらに、昨年の豪雨災害の時も檀家の方々に支えられたといいます。
「寺に登る道路が寸断され、今も完全には復旧していないんです。でも皆さんが危険な道を登って水や食料、自家発電用のガソリンを届けてくれました。本当にありがたいことです」。
誠実な人柄で、地域の方たちに信頼され、愛される道育さん。
地域の病院や老人介護施設などでも禅の教えを説き、伝える活動を行っています。またアメリカやヨーロッパなどで仏道の指導を行う通訳として海外を回ることもあるそうです。
「世界のいろんな人に、お釈迦様の教えは素晴らしいと伝えたい。昔の自分と同じように悩んでいる人に、仏道という道があることを伝えたい。それを上手に伝えるために、自分自身もさらに修行して、もっと勉強しないといけません」。
道育さんの碧い瞳は、禅の教えと自分自身を真摯に見つめているのです。
取材申し込み・お問い合わせは こちら(担当窓口:三原市経済部観光課)
-- https://miharabito.com/article/article-286/ --
…と、こんな住職様でありますようです(^-^)//"
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