2020/08/07(金) 笠岡市神島「月照山 日光寺」散策(^.-)☆ <2/3>

 

 

 

 

 

 

 

 日光寺の境内と言うか庭園から眼下の瀬戸に眼を向けておりますと、すっかりノンビリとした時間が経過です(^.-)☆
 それでは、日光寺の山門に…
 山門入口には、「僧 月照」の句碑が…『月照』sanと言いましたら西郷隆盛sanと共に入水しましたあの「月照」sanなのでしょうか?…

 句碑には、こんな記載が…
 
『月と日の 名におふ山に 咲く梅の 花の色香は 久しかるらん 僧 月照の歌』と…

 早速、「月照山 日光寺」をWEB上で検索です。

 ◆月照山 日光寺

 ・本尊:薬師如来
 ・中興:天文三年慶覚法印
 ・江戸期から文人墨客が来遊数多くの詩歌残す


 神島のちょうど南側・外浦の町並みを抜けると、小高い山の中腹に石段が続く。山門が見えた時点で振り向くと、まさに絶景である。瀬戸内海に浮かぶ笠岡諸島の島々の問を縫うように航跡を残し連絡船や貨物船が行き交う。この笠岡諸島を見守るように建っているのが月照山日光寺である。
 江戸末期から数多くの文人墨客が止宿した寺院で、当時の景色をそのまま残している。
 天台宗を開いた伝教大師最澄作の薬師如来を本尊とする同寺の開基は不詳であるが、境内には文永十一年(1274)の銘の入った石仏があり、鎌倉時代にはすでに甍を垂れていたことが推測される。天文三年(1534)、慶覚法印によって中興された。
 江戸時代になると、備後国・福山藩主の水野勝成公は、この寺を祈願所として、月見の宴や茶会を催し代々にわたって参拝。現在、拝領の抹茶器が残されている。また、通称“梅寺”と呼ばれるように境内には古梅林が残っており、絶景に加え一段と季節の風雅の趣きを増している。
 以来、こうした風雅を楽しむため多くの文人墨客が来遊している。
 頼山陽の師でもある代官の菅谷弥五郎が寛政元年(1789)が止宿し、鎮守・金毘羅宮を勧請したのをはじめ、京都・清水寺成就院の住職で歌僧として知られる月照、中国の論語学者・胡鉄梅、菅茶山、頼山陽らが来遊。梅に関する詩歌数千種の短冊が残されている。
 また、同寺には国重文の「地蔵十王像」や県指定の石の地蔵などが残されており、県内でも有数の文化財の多い寺院である。境内は本堂、大師堂、宝蔵、庫裡、山門、客殿、茶室などの伽藍が並び、端正な佇まいをみせている。
 延享元年(1744)に開創された神島霊場の第三十一番札所でもあり、年間十万人余りの遍路で賑わう。かつては笠岡諸島の総菩提寺でもあり、島々の信仰を一堂に集めた古刹として現代にその法燈を伝えている。

 …と、こんな日光寺のようであります。
 ふ〜ん、「京都・清水寺成就院の住職で歌僧として知られる月照」sanも、この地を訪れておられますようですネ。その際に詠まれた句が、この句碑に刻まれていますのでしょうねぇ〜

 
◆げっしょう【月照】
 幕末の法相宗の僧。名は忍向、月照は号。大坂の人。京都清水寺成就院住職。近衛忠煕の知遇を得、尊王攘夷運動に奔走。安政の大獄に西郷隆盛と薩摩に逃れたが保護を得られず、西郷と海中に投身して没(西郷は助けられた)。(1813-1858)

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、山門を入り、本堂等に参詣です(^.-)☆

 

 

 

 

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