2020/08/07(金) 笠岡市神島「月照山 日光寺」散策(^.-)☆ <1/3>

 ■2020年08月20日22:02
 2020/08/07(金)・笠岡市神島「月照山 日光寺」散策(^.-)☆


 何処か出掛けてみたいけど、コロナ禍で人が集まります場所もイヤですから、どぅしたものか…と思案のあげく、8/7(金)の午前中は、またまた笠岡市神島に出掛けます事に(^.-)☆
 行き先は、以前から時間が許せば出掛けてみよう…と思っておりました「月照山・日光寺」。
 日光寺の麓辺りの海岸沿いのチョッとしたスペースに車を駐めさせて頂くことに…路上への無断駐車ではありますが(^-^;

 上り口が分からないかも…と、適当に歩いておりましたら、それらしき道が(^_^)v
 この狭い上り道が、本当に日光寺への参道かどぅか分かりませんけど、とにかく上がって行きます事に(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段、あまり使用しておられませんようにも感じられます、この上り道。無事に日光寺に辿り着きますのか一抹の不安も感じます。
 が、上り道の景観を何枚か画像に納めながら上がって行きますと、ヤッと上がりきったのでしょうか…前方が少し開けていますような…石灯籠が眼に入って来ました(^.-)☆
 境内の一部なのでしょうか…庭園なのかも…右手のズッと先には山門らしき建物も…
 左手側には民家が…そして、何やら石碑も…眼下には神島港なのでしょうネ…
 この民家方向から上がって来まして石碑前に続きます道が、日光寺への正規の参道なのかも分かりませんネ(^.-)☆

 ところで、この石碑には何が綴られていますのでしょうねぇ〜
 まず、眼に入ります石碑の裏面から眼を通してみます事に。

 旅の途上、飢えや病などにより死んだ人の屍を見て詠んだ歌を、行路死人歌と呼ぶ。歌に詠むことにより異郷に果てた人の魂を鎮めることは、自己の旅の安全を祈ることでもあった。
 この歌は、瀬戸内の海路の途中、神島(かみしま)の浜で客死した人の魂を鎮めるため、調使首(つきのおみのおびと)が作った歌である。
 神島は、笠岡市神島(こうのしま)とする説と、福山市芦田川西岸の神島(かしま)説とがあるが、江戸期の学者契沖の『万葉代匠記』以来、神島外浦に式内社神島神社を残すこの地とされている。
 いずれにせよ、歌はその死を悼んで哀切であり、万葉人のやさしさにあふれる。
 --- 奈良女子大教授・坂本信幸 ---


 と綴られ、その傍らには、こんな記載も…

 
万葉集成立千二百年、龍短歌会発会六十年を記念して、瀬戸内の海を望むここ月照山日光寺に歌碑を建立し、海路に果てた人々を永遠に鎮魂する。
 揮毫は、神島出身の歌人である龍短歌会代表 小宮山輝による。
 --- 平成17年11月5日 龍短歌会 ---


 後から表面を見てみますけど、これは歌碑のようですネ(^.-)☆
 そぅそぅ、それから眼下の神島港には、インド洋のモーリシャス沖で座礁した貨物船の船主、長鋪(ながしき)汽船鰍フ本社が存在しますネ。

 ◆モーリシャス島で長鋪汽船子会社の船が座礁事故により燃料流出 賠償請求は

 --- 2020.08.18 アラームボックス https://alarmbox.jp/blog/?p=7137 ---

 インド洋にあるモーリシャス島南東部の沖合を航行していた貨物船「WAKASHIO」が現地時間7月25日にサンゴ礁に座礁しました。
 乗組員にけが人はいませんでしたが、悪天候により離礁することができず、現地時間8月5日に燃料タンクに亀裂が発生。約1,180トンの燃料油が流出しました。船の周囲にオイルフェンスを設置していましたが流出は防げませんでした。
 船内の燃料タンクに残っていた燃料はすべて取り除かれ、本船上に残っていた約3,000トンの油は現地時間8月12日までにほぼ全量を回収されましたが、現地時間8月14日に船倉に残っていた100トンの燃料が流出し始め、回収作業を行っていました。
 さらに、現地時間8月15日には船体に亀裂が入り船体が真っ二つに分断されました。船内の燃料タンクは回収済みのため、さらなる油の流出は限定的としています。沿岸部へのこれ以上の被害を防ぐため、オーシャンタグを使って分断された船首側の牽引を行っています。

 ・追記
 現地時間18日に「WAKASHIO」の船長と、副船長2人が航海の安全を脅かした容疑でモーリシャス警察に逮捕されました。2人は保釈が認められず、取り調べを受けています。

 ・当社船 座礁及び油濁発生の件 長鋪汽船株式会社
 事故を起こした船舶「WAKASHIO」は、「長鋪汽船株式会社」の関連子会社「OKIYO MARITIME COPR」が所有する積み貨物船で2007年に竣工されました。船籍はパナマ、乗組員20人(インド人、スリランカ人、フィリピン人)、運航は「株式会社商船三井」が行っていました。貨物は積まれてませんでしたが、燃料の重油3,800トンとディーゼル油200トンが積まれていました。
 モーリシャスの海はサンゴ礁、マングローブ、海藻によって多種多様の生態系がつくられており、燃料流出による環境被害によってモーリシャスの観光業に影響が出る恐れがあります。モーリシャス政府は14日付の声明で、環境汚染による損失や損害の法的責任を追及すると表明しており、国民に被害を証明する書類や写真の提出を求めました。


 
◆長鋪汽船株式会社の歴史 -- 岡山県笠岡市神島外浦2776-2 --

 ・江戸末期:家業である海運業を受け継ぎ、備中・讃岐地方特産の塩を阪神方面に輸送。
 ・明治中期:帆船を所有し長門・仙崎地方産の竹材、日南地方産の木材・木炭を阪神方面に輸送。
 ・1930年:「長鋪船舶部」創立
 ・1931年:帆船に焼玉機関を導入、朝鮮米等々の輸送に従事。
 ・1932年:帆船時代の中、我国最初の内航鋼船を建造。
 ・1943年:政府の要請により他社と合併し「八光汽船株式会社」を神戸市に創立。終戦と共に所有船を失う。
 ・1958年7月:資本金を300万円として「長鋪汽船株式会社」創立。
 ・1968年9月:「神潮海運株式会社」を創立、同社へ480万円を出資。
 ・1975年3月:「神潮海運株式会社」を吸収合併し、新資本金を1,600万円とし、現在に至る。


 ふ〜ん、長鋪汽船郭anは、こんな歴史のあります海運業者なんですねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

ここが、日光寺への正規の参道なのでしょうネ(^.-)☆

 

 

 歌碑の表面には、こんな記載が…

 ◆飛鳥を愛する会 秋季現地講座 3
 --- 2016年11月02日 18:02 http://blog.livedoor.jp/wendy777/archives/66886689.html ---


 ◇備後の国の神島の浜にて調使首(つきのおみのおびと) 屍(しかばね)を見て作る歌 併せて短歌

 玉鉾の 道に 出で立ち
 あしひきの 野ゆき山ゆき
 にはたづみ 川ゆきわたり
 いさなとり 海道に出でて
 吹く風も おほには吹かず
 立つ波も のどには立たぬ
 かしこきや 神のわたりの
 しき波の寄する浜辺に
 高山を へだてに おきて
 浦ふちを 枕に まきて
 うらもなく 伏したる君は
 おもちちが 愛子(まなご)にもあらむ
 若草の 妻も あるらむ
 家問へど 家道もいはず
 名を問へど名だにも告らず
 誰が言を いたはしとかも
 とゐ波の かしこき海を
 直(ただ)わたりけむ
 -- 万葉集巻13-3339 調使首 --

 短歌
 浦波の来寄する浜につれもなく
 伏したる君が家道知らずも
 -- 万葉集巻13-3343 調使首 --

 道に出て立ち、野を行き山を行き、川を行き渡り、海路に出て、吹く風もおだやかに吹くことはない。
 立つ波もおだやかではない。海神が渡る、次々に寄せる波が、寄せる浜辺に、高い山を壁にし、入江の岸を枕にして、何も気にかけずに伏せっている君は、母父のいとしい子なのだろう。
 妻もいるだろう。
 家を尋ねても、家路を言わない。名を尋ねても、名前を言わない。誰との約束を大切にと、このうねり波が立つ、恐ろしい海を真っ直ぐに渡ってきたのだろうか。(13-3339)

 波が打ち寄せる海岸に何の思いもなく伏せている君の家路はわからない。(13-3343)
 -- 作者「調使首」は未詳です。--


 …と、WEB上には『飛鳥を愛する会』sanが、分かり易く綴っておられました。

 

 

 

 

 

 

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