2020/05/23(土) 福山市神辺町上御領「奈良原遺跡」散策(^.-)☆ <6/8>

 

 

 

 

 

 

 

 

 「陰陽石」正面周辺の景観を暫し見廻しました後で、陰陽石の背後(方向的には西となるようです)に進んでみます事に…
 少し進んで行きますと、「国界石2」の表示板が…このまま進んで行きますと『国界』と彫られた石が「国界石5」まで5個存在しますのでしょうねぇ(^-^)//"

 

 

 このまま進んで行きますと、国界石3・国界石4・国界石5と存在しますのでしょうけど、今回は「国界石2」の地点から「陰陽石」に引き返しです(^.-)☆
 引き返しておりますと、陰陽石の背後と言うか手前には「遥拝石」と表示されました石が…

 「遥拝石」に関しましては、WEB上にこんな記載が…

 ◆奈良原古墳の古代ロマン おつきさん -- 2020-02-02 --
 (https://yamap.com/activities/5544949/article)

 古墳群と巨石に会いに
    私も行こう奈良原古墳!

 何とそこは驚くほどのパワースポットでした。
 陰陽石「お月山」
 備後と備中の境界 五つの「国界石」 
 別の山にある「布衣頭塚」へいとづか

 上から見ると カシオペア座のWに配置され、北極星の位置に巨大な布衣頭塚が狂いなく鎮座しているらしい。大きな岩塊をどのようにして正確に配置したのか。
 謎は解明されていないようです。

 備後と備中の人々が冬至の朝お月山に集まって、お月山の石の割れ目に登る朝日を遥拝石から拝んでいたそうです(^.-)☆

 ◆「お月山」で新たな発見!

 --- 2017年01月07日 13:34御領の古代ロマンを蘇らせる会 ---
 http://blog.livedoor.jp/geibi/archives/50389434.html

 「お月山」については、陰陽石の割れ目から登る冬至の日の出、カシオペア座状に配置された「国界石」、その中心線延長上の北極星的「布衣頭塚」、といった暦や天文的要素を紹介してきましたが、さらにそれを補強するものが見つかりました。
 冬至の日の出を拝む場所である「遥拝石」、その上面に陽刻状に1本の線が入っていることを以前にも紹介したことがあります。人工なのか自然なのか定かでありませんが、とにかく不自然であることは確かです。

 以前もこの線について気になりコンパスで確認したところ、中途半端な方位を指していたので大した話題にもしませんでしたが、今回改めてこの方位について調べてみたところ、驚きの事実が明らかになりました。
 方位磁針のN極が指す方向を磁北と呼びますが、実は、磁北は真北ではないのです。…エッ、そんなことは知っている?
 恥ずかしながら私、今回初めてそれを知ったわけです。f^_^;
 このズレを「磁気偏角」といい、日本各地でおよそ3〜9°の差が出るそうです。そして、磁北点は年を経るごとに徐々にズレていっているとのこと。日本付近では西向きに磁北点が傾き、備後地方だとおよそ6〜7°の西偏角となるようです。
 で、改めて先程の写真を見てみると…

 これは驚きです!
 遥拝石は冬至の日の出を拝むだけでなく、「天帝」である北極星を拝むことも意識して設定されていた?!
 「再生の太陽」(冬至の日の出)と「宇宙の主宰神」(北極星)両方の力を受けられるスーパーパワースポット!
 この「遥拝石」の線については、今まで誰からも聞いたことがありません。地主のF様と一緒に巡った際にも、この石の上に立ちながら何も聞かされませんでした。
 この線が人の手によって入れられたものだとして、いつ頃の仕業なのか、どうやって測り、どうやって加工したのか、そして何の為に…疑問が尽きません。

 因みに、陰陽石の三日月像と弘法大師像は、大正4年に奈良原西講によって刻まれたものですが、「遥拝石」や「国界石」の位置設定はその時とは思えません。
 というのは、地元の古老の方々は、「お月山」と言えば冬至のカボチャ汁・蕎麦の接待という話はされますが、冬至の日の出や「国界石」の配置、「布衣頭塚」との位置関係などについては知らなかったと言われます。

 地主のF様も、磐座研究者から教えてもらったと話しておられました。
 大正期に陰陽石の彫刻を施した方々が天文的配置を意図されていたとすれば、その意味合いや謂われなどが次の世代に伝わっているはずで、私がお話を聞かせて頂いた方々は第2世代の方々ですから、そうした内容を全く知らないはずがないと思うのです。
 ということは、もっと古い時代の遺跡と考えるべきでしょう。
 「お月山」周辺、超ミステリアスです。


 …と、こんな記載がありました(^.-)☆
 それでは、「お月山・陰陽石」とお別れし「布衣頭塚」に向かってみます事に(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 案内表示に従い「布衣頭塚」へ向かって行きますけど、道は整備されておりますから歩き易いですし、スンナリと「布衣頭塚」に辿り着くものと思っておりました。
 暫く進んで行きますと、途中に大きな石が…この石を通り過ぎて、また暫く進行です。
 そぅしましたら、三叉路へ(^-^;
 えっ、ここには案内表示はありませんし、直進してイィものやら…左斜めの上り道に進んでイィものやら…暫し思案のGONsanです。そして、結局、「布衣頭塚」に向かいますのは断念。次の機会となりました。
 無事に「布衣頭塚」にと辿り着きますと、挿入の画像のような立派な「布衣頭塚」を眼に出来ましたのですけど…う〜ん、残念(^-^;

 来た道をそのまま逆戻りで、当初の「布衣頭塚→」の案内表示の場所まで戻って来ましたので、奈良原遺跡にと進みます。
 その途中、往路では気付きませんでしたけど、「西山1号古墳 すぐ→」の案内表示が(^.-)☆
 で、「西山1号古墳」を訪れます事に(^_^)v
 案内表示板通り、「西山1号古墳」にはスグに到着です。でも、何で、こんな所にポツンと古墳が…別に、人里を見下ろせますような場所でも無いのですけど…
 まぁ、イィのですけど(^-^)//"

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →