2020/07/10(金) 「エフピコアリーナふくやま」散策 <2/2> |
外観は一通り拝見しましたので、それでは、中に入ってみます事に(^.-)☆
受付前のロビーで眼が止まりましたのが、この絵画。
作者は、『和田 貢』san。でも、どんな方なのか、こんなジャンルに造詣が深くありませんGONsanには、勿論、分かりません(^-^;
で、いつものように、WEB上で検索です(^-^)
ふん、ふん、こんな方でありました(^_^)v
◆和田 貢《幕間》2003年
和田貢は、1927年、芦品郡近田村(現・福山市駅家町)に生まれた。1945年に広島県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を卒業し、広島師範学校(現・広島大学教育学部)に進み、卒業後は広島大学広島師範学校女子部附属三原中学校(現・広島大学附属三原中学校)の美術講師を経て1950年から福山市立霞小学校、1970年から福山市立東中学校で教師を務め、1974年から福山市立女子短期大学の教壇にたち、1993年、福山市立女子短期大学名誉教授となった。
こうして教育と深く関わる一方、1948年福山美術協会の設立に参加。地元の文化発展にも貢献、画家としての創作活動にも熱心に取り組み続け、1952年、25歳の時、第18回東光展、第8回日展で初入選を果たすと、以後同会を中心に作品を発表し、1993年には東光会理事、2001年、日展で審査員を務め、2003年には日展会員賞を受賞することとなる。
1958年には、東光会福山グループの設立に加わり、作品研究会を開催。東光展に多くの受賞者を輩出し後進の育成にも努めた。こうした多忙を極める中、1960年、ミモザ(福山)にて初個展を開催したのをはじめ、白ばら画廊、イマヰ画廊、天満屋福山店にて個展を開催し、自身の画業とも真摯に向きあい、意欲的に作品を発表し続けている。
そのテーマは、初期は鞆の風景、1968年頃から人物へと移行。1991年頃からはサーカスを主題とした作品を数多く手掛けている。現在は日展会員、東光会名誉会員、東光会広島支部代表名誉会員、福山美術協会名誉会員である。本展はこの和田貢の初期から現在にいたる画業を辿る。
…と、こんな方のようであります(^.-)☆
挿入の画像の絵画に対してではありませんけど、こんな記載もありました。
《幕間》(2003年)(N0.25)は、和田貢 (1927 〜)の第35回改組日展出品作である。
二人の人物の表現には、彼の確かなデッサン力が、如何なく発揮される。そしてその立像と坐像を巧みに組み合わせて構築性のある画面がつくりあげられている。また、背景となる黄色と青色のコントラストが、画面全体に輝きをもたらし、画家の豊かな色彩感覚を物語る。デッサン力、構成力、色彩表現において、和田の代表作の一点といえるだろう。それは、この作品で日展会員賞を受賞していることからも裏付けられる。
現在、和田は、こうして日展会員として活躍し、東光会では名誉会員として作品を発表、さらに、東光会広島支部代表、福山美術協会名誉会員として福山の文化の発展にも寄与し続けている。
彼は「とにかく、描くことが好きでたまらないんだから仕方ない」と絵画制作への情熱を89歳の今も喜々として語る。その情熱は、若かりし頃、小学校の教師として時間に追われる生活の中にあっても、カンヴァスにむかうことを促した。そしてまた、第4回NHK図画コンクール(1960年)で、図工主任の優秀指導者として奨励賞を受賞するなどの実績は、教室での堅実な指導ぶりを証明する。その中で得た中央画壇における評価は、探究心あってのものといえるだろう。
和田貢の絵画制作に対するこの情熱と探究心は、画家になる決意をもって絵画を描き続けて70年、片時も色褪せることはなかった。この度の所蔵品展ではその足跡を紹介する。
…と。
う〜ん、また勉強になりましたネ(^.-)☆
それでは、そろそろ「エフピコアリーナふくやま」から退散です(^-^)//"
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