2020/02/01(土) 円通寺・円通寺公園散策 <2/5> |
公園内を上に上がって行きますと、こんな文学碑が…
★井手訶六文学碑案内
人類が根源的な愛によって統一される究極の理想を思いえがきつつ、病苦と家庭的不幸のただ中から小説「新しき生へ」を創作、天下に発表したのは井手訶六が二十四才、大阪朝日新聞紙上であった。
懸賞小説当選者としての彼の文名は言うに及ばず、郷土水島灘の美しい風光があまねく知られることになったのである。
苦闘は苦闘からのがれるためであり、今日の不合理に甘んじているのは、明日の真理へ達せんがための準備であるとした彼の作家精神は、その後発表した小説「炬を翳す人々」「十字路の乙女」にも貫かれている。
彗星の如くその若く美しい光芒を放って消えた郷土作家井手訶六は、永く私達の胸に記憶されることであろう。彼は明治三十一年に生れ昭和三年、玉島勇崎西浦の生家で、三十才の短い生涯を孤独のうちに病歿した。
--- 玉島文化協会 ---
…と、井手訶六文学碑案内には記載がありました。早速、WEB上で「井手訶六」を検索してみますと、残念ながら何も出ては来ません。
で、『小説 新しき生へ』で検索してみましたら、ふ〜ん、福山市とも縁があります方でした(^.-)☆
■井手訶六(いで・かろく)
☆・生い立ちと学業、業績
・生い立ちと学業
岡山県浅口郡玉島(現倉敷市玉島)の生まれ。号は蹄霜。井手鐵處の弟である。
父は県会議員をつとめたリ、地方銀行の頭取にもなった名土だったが、放埒な生活のすえ没落。一家は離散し、父は再起をはかって朝鮮半島へ渡った。
訶六は福山市会議員の某家へ養子となって、誠之館中学へ進み、各学年とも首席で通すほどの秀才ぶりであったが、のちには井手家へ戻り、金光中学へ転校する。
文章を書くのが好きで、誠之館4年生の時、数百ぺージの日本歴史を書いて教師をおどろかせたという。大正6年(1917年)、肺結核で金光中学を中退。
・業績
大正8年(1919年)には「落日讃」と題する作品を朝日新聞懸賞小説に応募して選外佳作まで行く。
翌々大正10年(1921年)、再び同懸賞に「霹靂(へきれき)」を送ってついに一等入選となった(新聞連載の時は「新しき生へ」と改題)。
おりからの大正デモクラシーの潮流にのって新しい杜会をめざす青年像をえがいて好評、続いて「炬(ひ)を翳す(かざす)人々」「十宇路の乙女」と長篇2本を発表したが、流行性感冒で病没。
長篇作家誕生を期待されたが、今やどんな文学事典にもその名を見出せないのは淋しい。
…と、こんな記載がありました(^-^)/"
円通寺公園内の一番高い場所は「白華山頂上」と言うみたいです。この白華山頂上には色々石碑が存在しまして、その中の一つが「童と良寛」であります。
脇碑には、こんな記載がありました(^.-)☆
★脇碑に次のとおり刻まれている
◆童と良寛像について
良寛は越後に生まれ22才の時 円通寺10世大忍国仙和尚の徳を慕って随従し 自来約20年間禅の修行を重ねた
師国仙は印可の偈に 良也如愚道転寛 と讃えた
大愚良寛としての素志は この玉島の地に於て大成されたのである
後年 豊かな人間性と悟境の深妙を 詩歌や書に托し その風韻は広く世の人々に敬慕されている
ここに遺徳を偲び ともに心のやすらぎを願って この像を建立した
-- 昭和51年5月16日 玉島ライオンズクラブ --
◇像の銘板
原型:平田郷陽 制作:宮本隆 玉島ライオンズクラブ20周年記念 昭和51年5月16日
童と良寛像の右側設置の案内板には、
◆案内板「童と良寛」
円通寺は元禄年間、学徳すぐれた徳翁良高禅師によって開山せられ今日に至るまで数多くの名僧が出ている。
良寛は宝暦8年、越後の出雲崎に生まれ安永8年(1779)円通寺住職、国仙和尚が越後に旅された時、和尚の徳を慕いはるばる玉島へついて来た、時に少壮22才であった。以来約20年間国仙和尚のもとで絶えず修行を重ね、禅学にすぐれ崇高なる人格を完成された。
子供らの仲間として、かくれんぼや手まりつきなどに興じた無欲てんたんな良寛の逸話は広く世に知られている。
また数多くの遺墨は、重要文化財に指定され、その書は良寛の面目翁如たる人格をそなえている。この像の題字「童と良寛」は 遺墨の中から集成拡大したものである。
良寛は文芸にすぐれた両親の天分をうけつぎ、歌人として、また漢詩人としても有名で、世事にこだわらない独特の味わいを持つ数多くの作品は、相馬御風氏の著書によっていっそう広く世に紹介された。
円通寺公園のすばらしい風光は聖僧良寛修行の地として玉島の誇りである。
このたび我らはこの聖地にふさわしい石像を建立し、良寛の遺徳を偲ぶことにした。
原型は無形文化財人形作家、平田郷陽氏の作である。
昭和41年5月15日開眼 玉島ライオンズクラブ
(場所)岡山県倉敷市玉島柏島 円通寺公園内 白華山頂上
そして、この白華山頂上の中央部には、大きな平らな石があるのですけど、説明の石碑には「百年石」と読むのか否か、良く分かりません(^-^;
何と刻まれてありますのでしょうネ…
それでは、今から円通寺方向に下って行きたいと思います(^-^)//"
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