5/17(金)は、里山越えで田尻行きの散策となりました(^.-)☆ <3/3>

 

 

 

 う〜ん、また蜘蛛の巣と、ぶら下がった毛虫との戦いが始まりますねぇ〜
 先導のGONsanは、スティックで祓いながら前進です。でも、スグに見晴らしの良い場所に出ましたネ(^.-)☆
 田尻の町を眺望出来ますから、早速、休憩となりました。あの山際の遊歩道は、3月の「田尻あんず祭り」の際に歩きました道なんです(^_^)v

 暫し眺望を楽しみましてからは、また前進。すると、またまた開けた場所が。どぅやら展望台のようですねぇ〜
 中央部に案内表示板がありますので確認しますと、「昭和53年6月 退職公務員一同」の記載が…ふ〜ん、退職されました公務員の皆様が協力して、ここを展望台として整備されましたのでしょうねぇ〜
 ここからは、田尻町・鞆町・弁天島・仙酔島・塩飽諸島(と、言いますよりも笠岡諸島と言いました方が分かり易いかも…)も一望できまして、まさに展望台。
 いぃ場所を整備されましたようですネ。
 それでは散策再開です。
 少し進みますと「金鶏古墳」の表示板が眼に入りましたけど、周囲を見廻しましても古墳はよく分かりません。
 WEB上で検索してみますと、

 
◆金鶏古墳
 紹介されたHPの位置情報では南西に50mの位置でしたが尾根のルート上にあり発見も楽でした。原型が分からない。


 …との記載で、ここを訪れました他の方も、よく分かりませんでしたようですネ。
 そして、少し先に「←拝み山 260m」「国見ヶ丘 40m→」の標識がありましたけど、直進の拝み山の道は分かるのですけど、国見ヶ丘への道は、よく分かりません。
 あまり難しく考えないで、進める道を進んでみたいと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 金鶏古墳(遺跡)の案内表示板には、

 ◆金鶏古墳(遺跡)

 ・沼隈郡誌に

 沼隈半島には古墳(昔の豪族の墓)が数多く存在していましたが、その多くは塚穴という種類のもので、それりより大きな高塚という種類のものは、福山市赤坂町早戸と、ここ田尻町の王ヶ峰の金鶏古墳のほかにはありません。この金鶏古墳は昔から金の鶏の物語を伝えておりましたが、明治10年頃に村人達によって掘られて、今は昔の様子を知ることはできなくなりました。(現代語に訳す)

 ・吉備高原考に

 江戸時代が終わり明治時代になった頃までは、ここに男松と女松が根元を一つにして生えていました。村人達はこの松を一本松と呼んで、遠くからの目印にしていました。また、この松を中心にして、この辺りは高い土の崖が築かれていて、その上が苔で覆われていました。不思議に思った村人達が掘ってみたところ、地下1メートルくらいのところに井戸のような縁があって、その底には約2メートル四方の石がありました。それよりは掘ることができなかったので工事を中止しました。やがてこの辺りは山畑となりました。
 金鶏古墳の言い伝えに「ここの地下には金が埋められていて、この金の持っている不思議な力で、毎年正月の朝には鶏の鳴き声が聞こえる」と、言い伝えられてきました。(現代語に訳す)

 
・註

 明治の初め頃、少しでも田畑をふやそうと努力が続けられて、山の頂上までが畑になりました。その時にこの辺りの古墳の石は割られて、畑の石垣になりました。今もこの時に造られた石垣を見ることができます。
 「耕して天に至る」勤勉であった村人達の姿が偲ばれます。

 ◎王ヶ峰の西側の麓には、横穴式の「王ヶ峰古墳」2基が、ほぼ完全な姿で残っています。(国見ヶ丘から西下へ20メートル)

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明るい町づくり協議会 ---
 福山市高島公民館・公民館運営委員会


 …と、こんな記載がありました(^.-)☆

 

 

 

 金鶏古墳の表示板から少し進みますと、「神楽台」の表示板の傍らに石が…この神楽台の説明は何にもありませんから、「神楽台」の役割は何でありましたのか分かりません(^-^;
 史跡探索でもありませんで散策を楽しんでいますので、あまり気にせずスルーです(^.-)☆
 そして、また進みますと、今度はブランコが…ここから先は下り道が続きます。途中、視界が開けまして、また瀬戸内の海を眺望です。

 ここから先は、またまた蜘蛛の巣と毛虫との戦いですネ(^-^)蛇も怖いし…
 周辺の景観を画像に納めます余裕も無く、黙々と下り道を歩行となりました。ら、ヤッと降りて来ましたのが最初に訪れました海岸でした(^_^)v
 そこから常夜灯まで戻って来ますと、「田尻遊歩道コース案内」の表示板が(^-^)
 ふ〜ん、このマップで見ますと、右半分部分のコースを散策して来ました事になりますようですねぇ〜仲々いぃ散策コースではありますけど、あまり訪れます方もおられませんようで、荒れた部分もありましたネ。
 また機会がありましたら、再訪したいとの気持ちも少々(^_^)v
 それでは、我が家へと帰る事に致します。

 途中、佐須良池脇の「お好み焼き・つくし」で遅ればせながらの昼食です。
 昼食を終えますと、鞆街道のバス道路を中村集会所方向にテクテク歩行が続きます。集会所手前辺りから水呑川の土手に入り我が家へと。
 その際にまた、この誰も住んでおられないように思われますこのお宅をパチリ。
 そして通りすがり際に振り返りますと、このお宅の塀に「売物件」の表示が…

 で、嫁さんに「ここは誰も住んで無く、売りに出されているのだなぁ〜」と尋ねますと、なんでも何年か前に亡くなられて、近くに暮らしておられる息子さんが売却先を求めている…との事。
 最近は、GONsanよりも嫁さんの方が情報通ですから、少々苦笑してしまいます。
 それにしましても、この場所はGONsanも結構よく通りますけど、この張り紙には今まで全く気付きませんでしたネ(^-^;
 少し凝られた庭で丁寧に手入れしておられたのに、ふ〜ん、そぅいぅ事でしたか…

 それはさて置きまして、今回の散策ルートをマップで確認しますと、こぅいぅルートでの散策でありました。
 蜘蛛の巣・毛虫…そして、蛇への恐れ等で仲々疲れますルートでありましたけど、タマにはこぅいぅ散策もイィのかも分かりません。が、再度出掛けるとなりますと、嫁さんは「NO!!」。
 GONsanも嫁さんに近い気持ちを抱きますネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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