2019年 石川県金沢市での挙式参列(^.-)☆ <1/22>

 

 

 

 ■2019年08月09日22:20
 嫁さんの甥の挙式で、8/2〜8/4の3日間は金沢行きのGONsanでした(^.-)☆


 8/2(金)〜8/4(日)の3日間は、嫁さんの甥の挙式で金沢行きを前々から予定しておりました。
 当初は、夜間走行を…と思っておりましたけど、もぅGONsanもジジィですし、いくら嫁さんとの交互運転とは言いましても疲れますし、8/2(金)A.M.8:10に福山を出発となりました。
 まずは、嫁さんがハンドルを握りGONsanは助手席。(結局、往路の大半を嫁さんの運転となりました。まぁいつも大概そぅなのですけど…)

 暫く山陽自動車道を走行し、最初の休憩が三木SA。そして、走行再開。そぅしましたら三木JCTの手前辺りでしたか…前方をコペンによく似た車が走行です。
 実によく似ていますけど、白ナンバーですから「んっ!?」のGONsan。で、カメラを取り出しズームを効かせて確認してみますと、やっぱりコペン。
 でも、何故、白ナンバーなのでしょうねぇ〜
 助手席ですから、早速、スマホで検索です(^-^)
 「白ナンバーのコペン号」で調べてみますと、ふ〜ん、なるほど。納得です。こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆ダイハツ コペンを白ナンバー化する方法!期間限定のオリンピックナンバー

 2020年に開催される東京オリンピックを記念して、「軽自動車でも白ナンバーを取得できる」という期間限定の制度がありますよね?(ラグビーワールドカップ仕様の白ナンバーもありましたが、今は申込期間が終了しています。)
 私もコペンローブS(mt)を購入する際、オリンピック白ナンバーを取得しました。ついでに希望ナンバーも取得。
 白ナンバーは、ナンバープレートの右上にオリンピックのロゴが入っています。
 コペンには、8〜10種類くらいの豊富なカラーバリエーションがありますが、黄色ナンバーは、デザインとしてインパクトがありすぎてボディーカラーとマッチせず浮いてしまう感じがしませんか?
 私の場合は、ディーラーでコペンローブSを購入したのと同時に、白ナンバー&希望ナンバーを申し込みしましたが、今現在すでにコペンを所有している方(黄色いナンバープレート)の方で新規に白ナンバーを取得したいと考えているコペンオーナー様もいらっしゃると思います。

 ・今は黄色でも、新たに白ナンバーを取得することはできる?
 今はコペンの黄色ナンバーでも、白ナンバーを申し込みすることで、コペンを白ナンバー化することができますよ。また、今の車のナンバーをそのまま引き継くこともできますし、新たに希望ナンバーを申請することもできます。

 ・コペンを白ナンバー化する方法は?
 コペンを白ナンバー化するには、白ナンバーの申し込みが必要ですが、申し込み方法は2つあります。
 @白ナンバー申し込み方法には、自分でネットから申し込む。
 Aディーラーや他車販売店、整備工場で申し込む。

 ・ディーラー、車販売店、整備工場で申し込む
 ディーラーや車の整備工場で、白ナンバーの申し込みができます。
 ディーラーに行って「白ナンバーを申請したいんですけど」といえばOK。
 ただ、ディーラーや車販売店で申し込みを依頼すると別途「代行手数料」が必要です。
 私は、申請手続きが面倒だったので、コペン購入と同時に、ディーラーに白ナンバーの申請を代行してもらいましたが、代行手数料は11,800円でした。この手数料は、ディーラーによって異なると思いますが、自分で申請したり、陸運局に足を運んだりする手間を考えると、そこまで高くない金額だと思います。

 ・自分でネットで申し込み
 白ナンバーは、自分でネットから申し込みすることができます。

 ・白ナンバーの登録期間はいつまで?
 今回の、軽自動車でも白ナンバーを取得できる制度は、ラグビー、オリンピック期間限定の制度です。
 ラグビー、オリンピックの取得期間は、ラグビー→2019年4月2日〜2019年11月29日
 オリンピック→平成29年10月10日から平成32年11月30日(予定)
 今からだとラグビーの白ナンバー取得受付期間は終了していますが、オリンピック白ナンバーはまだまだ時間の余裕があるので、是非この機会に白ナンバーを取得しましょう!


 …と、こんな記載で、よくよく確認しますと、先行のコペン号のナンバープレートの右上隅にはロゴマークがありますネ(^.-)☆
 山陽道から舞鶴自動車道に入り西紀SAでまた休憩。走行再開で、今回は嫁さんの里・若狭町を素通りです(^-^)
 この舞鶴自動車道は、何ヶ所か対面走行がありますし、片側1車線の箇所も。
 ですから、若狭上中IC〜敦賀IC(北陸自動車道)間でしたか…この間は大半が制限速度50kmですから、パトカーが先行しておりますと、もぅお手上げです。
 追い越す訳にも行きませんし、GONsanを含み後続の皆様はあきらめ顔。自動車専用道だと言いますのに、一般道にも劣ります走行となってしまいましたネ(^-^;

 パトカーとお別れしますと、ドッと疲れが出ましたので南条SAで休憩です。SA脇を流れますのは日野川でしょうか…河川敷がキレイでしたネ(^_^)v
 福井県を抜け加賀市に入りますと、金沢はもぅ少し。俄然、元気が出て来ます。とは言いましても、運転していますのは嫁さんですが。
 結局、6時間を要し金沢に到着。挙式・披露宴会場「アルカンシェル金沢」真ん前の「アパホテル金沢中央」にチェックイン。
 時間を見ますと、P.M.2:30でしたから、とりあえず「金沢城公園・兼六園」を散策します事に…ですが、挙式会場が真ん前ですから事前見学をする事に(^.-)☆
 
 アルカンシェル金沢に向かいますと、「担当者が挙式・披露宴会場をご案内しますので…」ですから、さすがにこれは辞退となりました。ご多忙の中、時間を割いて頂きますのは気が引けますから(^-^)
 明日、観れるのですから(^-^)
 それでは、今から金沢城公園・兼六園に散策です(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 百万石通りから石川四校記念文化交流館を横目に「いしかわ四校記念公園」を斜めに横断し、「金沢城・玉泉院丸口」へ。
 外人観光客のお二人が「玉泉院丸庭園」に向かっておられましたので、私達も後続です(^.-)☆

 ◆四高記念文化交流館

 四高記念文化交流館(しこうきねんぶんかこうりゅうかん)は、石川県金沢市にある文化施設である。

 ・概要
 石川県が2008年(平成20年)に旧第四高等学校(略称は「四高(しこう)」)に関する資料の展示と文化活動の機会を提供する目的で設置した。金沢市中心部の香林坊から兼六園につづく百万石通りに面し、後方にはいしかわ四高記念公園の緑地が広がる。建物は1891年(明治24年)築の煉瓦造り2階建てで国指定の重要文化財である。正面から見て左半分は無料ゾーンの四高記念館、右半分は有料ゾーンの石川近代文学館となっている。初代館長は加賀藩主前田家18代当主の前田利祐である。

 ・建物
 建物は1891年(明治24年)に建てられた旧第四高等中学校本館である。翌1892年(明治25年)の旧第四高等中学校開校から1950年(昭和25年)の旧第四高等学校閉校まで旧制高等学校として使用され、次いで1964年(昭和39年)まで金沢大学理学部として使用された。その後も金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館として保存・活用された。1969年(昭和44年)3月12日には貴重な煉瓦造りの初期公立学校であるとして重要文化財に指定された。
 1986年(昭和61年)、石川県立郷土資料館が本多の森公園に移転したことに伴い、隣接地にあった石川近代文学館が移転入館。2008年4月26日に現施設としてリニューアルオープンした。所有は文部科学省であり、石川県が文化庁から使用許可を受けている。

 ・石川近代文学館
 泉鏡花、徳田秋声、室生犀星など石川県ゆかりの文学者の著作や遺品などを集めた文学館である。有料ゾーンとなっている。2008年のリニューアル前は石川県が財団法人石川近代文学館に建物全体の管理を委託し、同財団が文学館の運営を行っていたが、リニューアル後は石川県が建物を公の施設として直接管理運営し、文学館エリアの運営を同財団に委託している。

 ・四高記念館
 明治から昭和にかけて使用されていた旧第四高等学校(中学校)の歴史を展示する四高展示室4室のほか、旧四高の教室を展示、講座等に利用できる多目的利用室5室、レトロな椅子やテーブルが備えられたレトロ体験室1室がある。同地が金沢市の中心部にあり、街中の活性化を図るため、無料ゾーンとして開放されている。

 ◆いしかわ四高記念公園

 いしかわ四高記念公園(いしかわしこうきねんこうえん)は、石川県金沢市広坂にある都市公園(地区公園)である。石川県が開設・運営している都市公園で、公園の名称はかつて公園内に開設されていた第四高等学校に由来する。
 旧名称は石川県中央公園(いしかわけんちゅうおうこうえん)で、石川県内では県中央公園あるいは中央公園で呼ばれていた。

 ・歴史

 1822年(文正 5年):加賀藩の学問所(藩校)「明倫堂」開設。
 1887年(明治20年):第四高等学校開設(1894年までは第四高等中学校)。
 1949年(昭和24年):新制金沢大学発足(第四高等学校の所在地は理学部の施設となった)。
 1963年(昭和38年):金沢大学理学部が金沢城内に移転。移転2年後から公園としての整備開始。
 1968年(昭和43年):4月1日:石川県中央公園開設。
 1972年(昭和47年):石川県政100周年記念事業として谷口吉郎設計のカスケード(公園内の滝)設置。
 1986年(昭和61年):香林坊市街地再開発事業により公園入口広場を新設。
 2006年(平成18年):指定管理者制度により植宗・吉村グループが公園の整備・運営を行う[2]。
 2014年(平成26年):6月25日:公園の名称を「いしかわ四高記念公園」に変更。

 ・公園再整備・名称変更
 石川県庁舎が2003年に移転した後、公園の緑地帯が拡大し県庁舎跡地との一体整備が必要となった。また、長年にわたって芝生の衰退や悪天候時の広場のぬかるみの発生、樹木の生育環境の悪化が顕著となり、2013年度から公園の再整備を実施した。また、公園の再整備に合わせて、公園の名称を旧制第四高等学校の開設地にちなみ、「いしかわ四高記念公園」にすることにし、公園整備が終了した2014年6月25日に名称を変更した。

 ◆玉泉院丸庭園

 ・庭園の概要

 玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園です。饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと考えられています。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、他に類を見ない独創的な庭園であったと考えられています。

 ・庭園の整備

 庭園は明治期に廃絶され、その面影は失われていましたが、平成20年から5年間をかけて実施した発掘調査の成果や、絵図、文献、その他類似事例等に基づき設計を行い、平成25年5月に整備工事に着手しました。
 整備にあたっては、遺構保存のため全体的に盛土を行い、その上に庭園を造成しています。また、外周部の石垣修築や入口部の整備など玉泉院丸一帯の整備も合わせて行い、平成27年3月、歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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