2017年 某協会福山支部の皆様と「和歌山方面研修旅行」行きでした(^.-)☆ <14/14> |
「ニタマ」たま二世駅長sanは、出社しておられましたけど、気持ちよさそうに眠っておられました(^.-)☆
◆たま(猫の駅長)
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たま(1999年(平成11年)4月29日-- 2015年(平成27年)6月22日)は、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めた雌の三毛猫。同駅名誉永久駅長。
2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。その主な業務は「客招き」である。任期はなく終身雇用であり、報酬は年俸としてのキャットフード1年分であった。
乗客数の増加・観光へのアピールへの功績から、同社からは「スーパー駅長」(後に「ウルトラ駅長」に昇進)・「和歌山電鐵社長代理」の肩書きを、和歌山県からは「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」「和歌山県観光招き大明神」などの称号を与えられている。たまの登場が火付け役となり、空前の猫ブームが招来され、ネコ専門のSNSサイトが開設されたり、2012年から2016年の4年間で飼い猫の頭数が30万匹増え987万匹となり、近いうちに飼い犬の頭数を抜くだろうと予測されるなど社会現象ともなり「ネコノミクス」なる新造語も生まれた。
たまは同駅の売店である小山商店(こやましょうてん)の飼い猫である。同居する雌猫のちび(2000年(平成12年)5月12日--)と、たまの母親であるミーコ(1998年(平成10年)10月3日-- 2009年(平成21年)7月20日)も助役に就任した。このうちミーコは死んだ後の7月26日に「永久助役」とされた。
★生い立ち
たまの母猫であるミーコは元々、南海電気鉄道時代の貴志駅舎南側にあった倉庫内の作業員詰め所で飼われていた。一駅隣の甘露寺前駅で生まれたという。やがてミーコは貴志駅で4匹の子猫を出産し、そのうちの1匹が三毛であった。兄弟達のうち1匹は死んでしまい、他の2匹は新しい飼い主に貰われていったが、一番性格のおっとりしたおとなしい三毛の子は「たま」と名付けられて、ミーコと一緒に小山商店で飼われるようになった。ちびは生後間もない頃に駅前に捨てられていたのを拾われ、たまが母親代わりとなって育てていた。
たま達は売店と倉庫の間に作られた猫小屋で飼われるようになり、昼間は売店の前で過ごすようになった。近所の人たちや駅の利用客にかわいがられるいわば「駅のアイドル」であった。また、たまは「必要以上に耳を掻く仕草をすると、次の日の降水確率は90%以上」という天気予報の特技があり、三毛猫が船を護るという言い伝えもあってある漁師から譲ってもらえないかと相談されたこともあったという。
★駅長就任の経緯
2003年、貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字解消が困難なことを理由に路線廃止を表明したが、岡山県を中心に公共交通事業を行っている両備グループが経営を引き継ぐこととなり、同グループの岡山電気軌道の子会社として「和歌山電鐵」が設立された。
この経営移管に際して、路線や駅の敷地は南海の社有地から貴志川町(現在の紀の川市)の公有地となり、倉庫は取り壊して駐輪場に、倉庫と駅舎の間はホームへの公道として整備されることになったため、そこに置かれていたたま達の猫小屋は立ち退きを迫られることとなった。困った飼い主が2006年4月1日に和歌山電鐵の開業記念式典を終えた後の小嶋光信社長(両備グループ代表と兼務)に「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」と相談した。小嶋自身は自宅では長い間紀州犬を飼っていたこともあって猫よりもむしろ犬好きであったが、このとき「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめきました」とたまにほれ込んだ小嶋の発案によって、「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、それ以前から駅の利用者に親しまれていたたま達を駅長などに任命することになった。これは和歌山電鐵移管後に合理化のために貴志駅を無人駅化したことも背景にある。猫に駅長を嘱託した例は日本の民営鉄道では初である。
さらに2014年1月5日には、たまは「ウルトラ駅長」に昇進、全ての駅長を統括する職となった。
★駅長勤務
駅長・助役への任命に際しては3匹それぞれに正式な委嘱状が交付され、たまには特製の駅長帽と金色の名札も支給されている。帽子は(人間の)社員が使っている物を小ぶりにしたもので、社内では唯一帽子に金色の線が入っている。小さ過ぎて作るのが難しく、完成までに半年余り掛かったという。2008年7月には夏用の制帽も支給されている。金色の名札は2007年10月10日に何者かに持ち去られたのか紛失してしまったが、このことを知った動物カメラマンから新たに手製の名札が贈られ、金色の名札が再支給されるまでの間代わりに身に付けていた。
たま駅長たちの勤務日は月曜から土曜日で祝日も勤務しており、基本的に昼間の勤務となる(時間は季節によって変化有り)。また、2270系「おもちゃ電車」のテープカットや利用促進のための「貴志川線祭り」などのイベントで伊太祈曽駅等に出張したこともある。
たまは大人しく、駅長就任から1年ほど経つ頃には堂々と風格が出てきたとも評されている。ミーコは人懐こい性格で、生前はしばしば娘のたまに代わって乗降客に愛嬌を振りまいていた。ちびは人見知りする性格で猫小屋にこもっていることが多い。2007年5月11日にはちびが専用ケージから脱走して行方不明となる事件も起こったが、5月16日5時頃駅に戻って来た所を乗客が発見し、保護された。
2009年7月20日、ミーコ助役は体調を崩して死に、初七日が明けた7月26日に「永久助役」となった。四十九日が明けた同年9月6日に両備グループのホームページにて公表された。
★死去とその後
2015年5月19日から鼻炎のため入院していたが、復帰することなく同年6月22日に急性心不全のために死んだ。
同月28日に和歌山電鐵主催の神道形式による社葬が貴志駅構内で営まれ、社長の小嶋光信が弔辞を捧げ、たまに「名誉永久駅長」の称号を追贈した。
「たま」の死後、和歌山電鐵は貴志駅に鎮座する神社の一つについて「たま神社」と命名し、2015年8月11日に社長の小嶋、仁坂吉伸(和歌山県知事)らが参列してたま神社の宮開き神事を執り行うと共に、神社に「たま」の銅像2体を設置した。
また、これと前後する格好で、同年7月22日から8月13日まで、岡山電気軌道の東山線全線に於いて「たま」を追悼する特別仕立ての電車を運行させた。この電車は「たま電車」車両(後記参照)を使い、車内の広告掲出箇所(窓上と中吊り部)に在りし日の「たま」をとらえた写真28枚を掲出したものとなっていて、運行初日(7月22日)には岡山市中区に所在する車庫内でセレモニーを挙行、招待された地元保育園児達が早速乗り込んで歓声を上げていた。
死後「たま」はTwitter公式アカウントで「天国行きの列車に乗り込んだ」とツイートしたが、その後「天国に到着したと小嶋社長に連絡を入れたら、“ たまは神(道形)式で葬式をしたから天国には行かないよ”という返事があり、天国の門番さんにも確認したら其の通りだった」とツイート。そのあと再び貴志駅へ戻り、現在は上記の「たま神社」に祀られた神様(兼・名誉永久駅長/県観光招き大明神)として、末永く駅の利用者を見守り続ける事となった。
「たま」の死は、生前と同様、海外メディアに於いても相次いで報じられた。死後2日経った6月24日に新華社通信や聯合ニュースなどの中国・韓国系メディアが伝えたことを皮切りに、翌25日にはイギリスBBCやアメリカCNNなどのテレビ局やAFPやAP通信などの通信社、デイリー・メールやウォール・ストリート・ジャーナル、リベラシオン、ツァイト等の有力紙に於いても報じられた。さらにはガーディアンやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなどの主要メディアが6月28日に営まれた「たま」の葬儀の模様も交えつつ報じた。
死後7ヶ月余り経過した2016年2月2日、和歌山県は、生前の「たま」が残した功績を同県として永く称えるべく、急遽創設した「和歌山殿堂」の第1号として殿堂入りさせることを決めた。これを受け、和歌山県立図書館2階に入っている文化情報センターに「たま」を象った青銅製レリーフ(縦45cm×横35cm)が、生前の功績を掲載したパネルや年表と共に設置されることになっている。
これに先立ち、同年2月16日の午前中にそのレリーフの除幕式を挙行、同式に於いて和歌山電鐵社長・小嶋に対するレリーフのレプリカ贈呈も行われることになっている。
たまの生誕18周年となる2017年4月29日には、日本および世界の11の国・地域のGoogle Doodleが、たま駅長仕様になった。
★駅長代行「ニタマ」の「たまII世駅長」襲名
2012年1月5日、駅長就任5周年記念式典において、新たに三毛猫「ニタマ」に対して「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」に任命する辞令が交付された。ニタマは仔猫だった前年春頃に、両備グループの地元である岡山市内の国道沿いで交通事故に遭いそうになっていたところを保護され、三毛猫という縁から和歌山電鐵の親会社である岡山電気軌道に譲られ、そこで人好きな性格をかわれて駅長見習いに抜擢された。ニタマという名前は「たまに似た二番目の駅長猫」という意味が込められている。土曜日、日曜日、祝日などたまが貴志駅を休む時には「貴志駅長代理」を務めることになる。同年2月18日には伊太祈曽駅にも猫用駅長室が作られて平日(水、木は除く)はそこで勤務する。
なお、たまの「ウルトラ駅長」昇進に伴い、ニタマが「スーパー駅長」の地位を引き継いで昇進している。
2015年8月10日のたまの50日祭を機に、翌8月11日には「たまII世駅長」を襲名し、ニタマは通称となることが発表された。
話しのネタにGONsan達が乗車しましたのは、和歌山電鐵貴志川線貴志駅〜伊太祈曽駅の区間でありました(^.-)☆
乗車の電車は、『いちご電車』でありました。
◆伊太祈曽駅
伊太祈曽駅(いだきそえき)は、和歌山県和歌山市伊太祈曽にある和歌山電鐵貴志川線の駅。駅番号は09。
2006年(平成18年)4月1日に当駅が南海電鉄から和歌山電鐵に譲渡されたが、その際に伊太祁曽駅から現駅名に改称された。和歌山電鐵は、駅名標やパンフレット等の表記について、折を見て修正していく方針としており、駅名標、案内サイン等は旧駅名がそのまま存在している。
当駅進入前と発車直後、車内では「鞠と殿様」をアレンジしたチャイムを鳴らす。
★歴史
1916年(大正5年)2月15日 -- 山東駅(初代)として開業。
1929年(昭和4年)11月 -- 社名変更により山東鉄道の駅となる。
1931年(昭和6年)4月28日 -- 社名変更により和歌山鉄道の駅となる。
1933年(昭和8年)8月18日 -- 貴志駅までの延伸により中間駅となる。同時に伊太祁曽駅に改称。
1957年(昭和32年)11月1日 -- 和歌山電気軌道との合併により同社鉄道線の駅となる。
1961年(昭和36年)11月1日 -- 南海電気鉄道との合併により同社貴志川線の駅となる。
2006年(平成18年)4月1日 -- 和歌山電鐵への継承により同社貴志川線の駅となる。同時に伊太祈曽駅に改称。
2012年(平成24年)1月5日 -- 三毛猫「ニタマ」が駅長に就任。
2017年(平成29年)1月5日 -- 三毛猫「よんたま」が駅長見習いに就任。
★駅構造
島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。
2000年(平成12年)10月からの日前宮駅、岡崎前駅の無人駅化、和歌山電鐵転換時からの貴志駅の無人駅化に伴い、和歌山駅を除いて貴志川線内では唯一の有人駅となった。ただし運賃等の支払いは電車内で行う形になっており、駅窓口ではもっぱら一日乗車券や和歌山電鐵グッズなどの販売を行っている。日中の列車の一部がこの駅で折り返しとなる。ここから先、貴志方面には、行き違いのできる設備が無いため、当駅で必ず上下列車の交換が行われる。
構内には車両基地があり、貴志川線で使用される全車両が配置されている。昼間時間帯では、通常は全6編成のうち半数の3編成のみが使用され、余った車両はここに留置される。和歌山電鐵の本社も本駅構内にあり、貴志川線の中枢となる駅である。
うん、うん、この三毛猫が駅長見習いの「よんたま」なんですねぇ〜
気持ちよく眠っているのかと思いましたら、シッカリ眼を開けておりました(^.-)☆「またカメラを手にした観光客の人達が…」とでも思っていますのかも(^-^)
とにかく、この伊太祈曽駅までの観光を終え、今回の研修旅行行程は凡て無事に終了です。
後はひたすら福山にと帰るのみ。
一泊二日のバス旅行ではありましたけど、それなりに楽しい旅でありました。GONsanにとりましては(^-^)//"
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