2017年 紅葉を求めて「神勝寺」散策 <4/7>

 ◆鎮守堂

 中国の伽藍神に起源を持つといわれ、日本の寺院においても仏教が伝わり、神仏習合が進む中で、寺院にも神祇が祀られるようになった。
 この伝統に倣う形で、当山に降りかかるあらゆる災い事を鎮め境内や伽藍を守る神として建立された。「弥勒の里天満宮」と称し、学問の神としても有名な福岡県太宰府の太宰府天満宮を勧請し祀っている。

 ◆安楽堂

 故人の遺骨を納め供養する場としてだけではなく、分骨して納め供養する功徳によって、より多くの福業を得、安楽に導くために建立された納骨堂である。
 正面に阿弥陀如来、両脇に聖観世音菩薩を安置し、掛札には「仏説阿弥陀経」中の「極楽という国に住む人々は、一切の苦しみがなく、ただ様々な楽しみだけを受けるので、その国を極楽と名付ける」という意味の一節が元永源寺派管長篠原大雄老大師の筆により揮毫され、この一節から「安楽堂」と命名された。


 一通り拝観しましたら、鐘楼門へと引き返しです。
 また、紅葉を楽しみながら散策続行です(^.-)☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆秀路軒

 秀路軒は、天明の大火(1788年3月7日)で焼失した表千家の残月亭、不審菴およびその路地を、古図を基に中村昌生氏の設計により再現された茶席である。
 特に天明の大火のあとでは、表千家の建物や庭のあり方が変化したが、焼失前の姿は堀内不識斎によって詳しく描きとられ、他にも全体の間取図や茶室部分の詳細が少し伝わっている。それらによって、かなり忠実に復元されている。号は開基夫妻の名前に因んで神勝寺開山である元建仁寺派管長竹田益州老大師によって命名されたものである。

 現在の表千家と大きく異なるのは、残月亭の南側に不審菴が接して建ち、その南に露地がつくられているところである。内腰掛からまっすぐ不審菴へ向かって苑路がのび、その右側には大きな枯池が横たわっているのが、昔の露地の特色であった。
 この露地は中根金作氏の指導のもと、みごとに昔の姿が再現されている。この茶席は開基遺愛の席であった。

 

 

 

 

 

 

 ◆五観堂(神勝時うどん)

 場所 --- 五観堂
 メニュー --- 神勝寺うどん 1,000円
 営業時間 --- 11:00〜14:30

 神勝寺うどんは、臨済宗の僧堂(修行道場)で雲水(修行僧)が食べている形式です。臨済宗の僧堂では共通して「四九日( しくにち)」と称して四と九のつく日の齋座(昼食)に湯だめうどんの形で食べます。
 また年に何度か信者さん等からの寄進による「うどん供養」という日にも同じような形でうどんを食べます。基本的にうどんはいくら食べても良いことになっていますので、雲水は平均7〜8玉、多い者で10玉以上食べる強者もいます。

 ・禅僧にとって懐かしい神勝寺うどん

 四九日の午前中には平生以上に丁寧な掃除を行い、剃髪をし風呂に入ることが許されています。雲水にとって一番のご馳走はうどんで、禅僧にとって僧堂のうどんは懐かしく忘れられないものです。なぜなら、僧堂での食作法は読経と鳴らしもの以外の一切の音はご法度ですが、うどんを食べる時だけは豪快な音を立てて食べなくてはならないのです。

 ・四九日に食べる由来

 三つには心を防ぎ過貪等を離るるを宗とす。
 四つには正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
 五つには道業を成ぜんが為にまさにこの食を受くべし。

 持鉢を使い食事のありがたさを感じることができれば食に対する考え方が少し変わるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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