2017年 水呑学区ふれあい文化祭 <1/5> |
■2017年11月10日22:23
水呑学区「ふれあい文化祭2017」
11/04(土)〜11/05(日)の2日間は、「水呑学区『ふれあい文化祭』」の開催でありました(^.-)☆
で、GONsanは、毎年「水呑史跡めぐり」に参加です。
当日は、A.M.9:50までに水呑小学校に隣接の「井上記念館」に集合です。
A.M.9:40に我が家を出ますと、いつものように狭い路地を抜けて小学校へ(^-^)
ほどなく、雑草の生い茂りました60坪程度の売地の横を通りますが、この物件、仲々買い手が付きませんようですねぇ〜
進入路が1mにも充たない小道ですから、まぁ当然と言えばそぅなんですけど…
昔は家屋も存在しましたのでしょうけど、現況は更地。
建物の建設はせずに、農地として利用しますと適度な広さかも…ですが、農作業も結構キツいですからねぇ〜このままズッと売れませんままなのかも…
この場所を過ぎますと、今度は小さな祠(ほこら)の前を…
この祠に軽く会釈しまして通過しますのですけど、これは何を祀ってありますのでしょうねぇ〜GONsanが幼少時から祀ってあるのですけど…何となく古い歴史も感じますし、何か事情がお有りで、どなたか個人の方が祀られましたのでしょうけど…
まぁそのような事はさて置きまして、水呑小学校までヤッて来ました。
小学校正門脇には、県知事選のポスター掲示板が…何となく盛り上がりを掛けます広島県知事選。この調子では、またまた福山市の投票率は低くなりますのでしょうねぇ〜
水呑学区「ふれあい文化祭2017」第2日目は、A.M.10:00からのスタートですから、小学校校庭では準備の真っ最中(^.-)☆
こんな様子を横目に、GONsanは小学校に隣接の井上記念館に(^-^)
井上記念館前の広場では、「史跡めぐり」に参加の皆様が既に10数名お集まりでありました。
集合はA.M.9:50ですから、丁度いぃ時間にGONsanは到着となりました。
そして、暫くして「史跡巡りに参加の皆様は、お集まり下さい」の声で全員集合。ザッと眼で数えますと、20名ばかりの方々の参加のようでしたネ。
資料を頂き、お世話されます方から注意事項、そしてコースのご説明。
幸いに天気も良いし温かいですし、絶好の散策日和となりましたようです(^-^)//"
定刻より9分遅れで、いよいよ史跡巡りがスタートです(^.-)☆
井上記念館を出ましたのは、A.M.10:09でありました。
GONsanは、あちこち画像に納めながらの歩行ですから、史跡巡りでは毎回最後尾。こぅして後方から改めて参加者を確認致しますと、今回は総勢24名のようでした。
◆井上記念館
井上利八公:慶応2年(1866)〜昭和10年(1935) 衆議院議員
昭和11年に5千円と邸宅を水呑村に寄付 福山市教育委員会所有
昭和16年(1941)隣保館(公民館ホール)を建設、立正保育園を移設。昭和23年(1948)立正保育所となるも平成13年(2001)に白萩保育所と合併し山之神に移転。
平成14年より福山市より借り上げて使用。
狭い古道を歩行し、まず最初に訪れましたのが松室神社でありました。
◆松室神社
文禄4年(1595)に創建。妙顕寺22世、日潤筆の法華十界の本尊を納め神躰とする。
水呑に同名の松尾神社(洗谷・土井・鍛冶屋)の一つで、松室の地名により松室神社と称す。松尾神社の祭神は大山昨神(オオヤマズミノカミ)。
そして、この松室神社の右側下の斜面には「松室川」が存在で、現在でも飲用は可能のようですネ。「川」は『井戸・泉』とGONsanなんぞは理解しております(^.-)☆
◆松室川
水呑七泉の一つで、水呑の北から南に通ずる最古の縦貫道路に沿って小水呑のドーノキ川、高浦のトンコ川、山の神の明見川と高木川、土井の松室川、西のハタ川とセイゾーボー川があり、いずれも湧き水であるが、川の名が付いている。
…と、頂きました資料には記載がありました(^-^)//"
松室神社を後にしますと、次は妙顕寺にと向かいます。
途中の道脇の畑には、昔懐かしい宝酒造の陶器で創られました酒樽が(^-^)GONsanが幼少時には、宝酒造の工場周辺では、日常、ごく当たりまえとして眼にしておりました。が、今ではスッカリ眼にします機会も無くて…
それが久し振りに眼に出来ましたから懐かしいと言うか、チョッと感激です(^_^)v
◆旧宝酒造鞆工場と芦田川の伏流水
岡本亀太郎は大正九年六月鞆保命酒屋を株式会社に拡張し、水呑駅東側に分工場を建てる。昭和4年9月宝酒造はこの工場を吸収合併し、宝酒造鞆工場とし昭和四十年まで操業後閉鎖した。
水は洗谷に井戸を堀り送水管で工場まで送水、後、山本織物に水利権を売り渡す。
現在の宝団地が宝酒造鞆工場の存在しました場所ですネ(^.-)☆
まぁそれは良いとして、妙顕寺入口の「南無妙法蓮華経」と刻まれました法界石を過ぎますと妙顕寺境内に続きます石段を上がります。
そしてスグに仁王門。
◆仁王門
仁王門は寛永6年(1629)に建立され、再建を経て明治12年(1879)に現在地に移された。仁王尊阿形(右)・吽(うん)形(左)が祀られている。アウンの呼吸は、これからきたようです(^.-)☆
この仁王門は、中に入ることが出来まして、画像の仁王様は「吽(うん)形(左)」を撮りましたものなんです。
GONsanが幼少時には、この仁王様の下でベロ(舌)を出しますと、嘘つきは仁王様にベロを引き抜かれると祖母・両親によく言われておりました。ですからGONsanは、今でもそぅなんですけど、この仁王様の足元では決してベロなんぞ出せません(^-^;
勿論、今でも決して出せません(^-^)
理由は勿論、子供の頃以上に現在の方が嘘つきですから\(^o^)/
仁王門を過ぎまして、妙顕寺境内まで続きます石段の真ん中辺りに、右に進めば玉泉寺、左に進めば寿泉寺が存在です。寿泉寺の先には玄祥寺が…
・妙性山 妙顕寺
刀匠法華一乗として兄弟性、弟本性は龍華樹院日像上人の高徳を慕い度々上洛、その教化により妙性上人は延文元(1356)年、日像上人を開山として水呑の地に妙顕寺を建立した。京都妙顕寺を龍華と言うのに対し西龍華と呼ばれる。
・妙性山 玉泉寺
正保4(1647)年の創建。開基は水呑妙顕寺18世本迹院日意上人。一乗院妙性上人(妙顕寺開基)を開山に仰ぐ。
・法雲山 寿泉寺
正保4(1647)年の創建。開山は水呑妙顕寺18世本迹院日意上人。昭和43年(1968)に本堂を改築した際に身延山久遠寺藤井日静法王から山号を授与された。
・妙性山 玄祥寺
元和7(1621)年6月8日、水呑妙顕寺18世本迹院日意上人の創建。戦後、大水害に遭い堂宇を著しく損壊するが、昭和53年、現在の如く寺院を一新、面目を施す。通称祈願寺と呼ばれ、大黒天祭、鬼子母神祭には参詣者で賑わう。
…と、こんなお寺なのであります(^-^)//"
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