2016年 12/11(日)は、久し振りに松山行きとなりました(^.-)☆ <13/14>

 

 

 

 

 

 

 庭園内にはどなたもおられないのかも…と思っておりましたら、何処からかご家族連れの賑やかな声が…
 で、そちらの方に向かって行きますと、ヤッと1組のご家族連れに遭遇です(^.-)☆
 そして、この方々を何枚かパチリ(^_^)v

 周辺を見廻しますと、「勝山亭 ⇒」の案内板が眼に入り、順路に沿って上がって行きましたら「勝山亭」が存在です。

 ◆勝山亭(かつやまてい)
 桂離宮等の建造物を参考に、林泉庭の上に建築されました。城山が「勝山」と呼ばれていたことから、この名がつけられました。

 ここからは庭園内が見渡せましたので、またパチリ(^_^)v
 暫し眺望を楽しみまして降りて行きますと、眼に入りましたのが「水琴窟」。

 ◆水琴窟(すいきんくつ)
 江戸初期の茶人・建築家・造園家である小堀遠州により考案されたという造園技術の最高傑作です。
 水滴の量、瓶の大きさ・質・焼き方、周りに埋めるグリ石など、様々な条件によって音色が変わるため、一つとして同じ水琴窟はないといいます。また、同じ水琴窟でも、時間帯や季節によって音色が異なります。
 水滴が地中の瓶を通って、受皿に落ち、反響する音に魅了される人も多いようです。


 …と、松山城二之丸史跡庭園のホームページには、こんな記載がありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノンビリと画像に納めながら庭園内を散策しておりましたら、いつの間にか訪れます方も増えて来ましたネ(^.-)☆
 少し賑やかになってきましたようです。

 ◆大井戸遺構

 露出していたのは西半分だけで、東半分はいろりで火をおこしていた「焚火之間」が覆っており、その基礎部分が残存しています。
 石段を上ったところにある一段低いところが床下通路跡で、火災の際、木桶で水をくみ上げ、地下通路を経て運搬していたものと考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大井戸遺構脇の案内板には、「誓いのコイン」10ルーブル金貨のお話しの記載が…
 金貨をよくよく見てみますと、確かに「タチバナカ」と読めますけど、「チ」と「ケ」は実に紛らわしいものであります。
 が、調べた結果「竹場ナカ」sanと言う日本赤十字社の女性看護師sanが実在していましたとか…

 いゃいゃ、実に感動してしまいます(^.-)☆
 この10ルーブル金貨が、この大井戸遺構から発見されましたのですねぇ〜
 調査当時の写真を見つめておりますと、一層感動してしまいましたネ(^-^)//"

 

 

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