友人が地震調査で熊本に… <1/2> |
■2016年04月29日
友人が、地震調査の応援に…
昨日、友人からこんな画像の送信が…
九州新幹線の全線復旧に伴いまして、早速、地震調査の応援に熊本行きとなりました様子。
何かとご多忙なのに、チョッとした時間を利用され届けて頂きましたのでしょうネ…
説明文がありませんけど、ふん、ふん、これは水前寺公園入り口なのでしょうねぇ〜灯籠のようなモノが転倒し損壊。この修復にはとても手が廻りませんのでしょうネ…
そして、これは熊本城の石垣でしょうか…
加藤清正公の像の画像も…
■2016年05月01日
友人から本日送信がありましたのが、この画像。
まだ比較的新しそうな建物ですけど、ふ〜ん、歯医者さんの建物なんですねぇ〜
Googleマップで捜してみますと、昨年2月時点で撮られましたものがありました。
挿入の画像がそぅなんですけど、1階駐車場部分の建物を支えます支柱…耐震計算が不充分でしたのでしょうねぇ〜素人目にも明らかなようにも見えますけど、充分計算の上、建設されたのかも分かりません。が、やはり想定外の地震でしたのかも…
耐震構造なんぞには全く知識がありませんGONsanですから、何とも言えませんけど、う〜ん、地震は実に恐いですねぇ(^-^)//"
■2016年05月04日
本日また、このGW中も熊本で地震調査をしています友人から画像が届いておりました。
きっと熊本での宿泊場所が水前寺公園近くなのでしょうねぇ〜また水前寺公園の画像を…
先日、テレビニュースで知りましたのですけど、水前寺公園の池は湧き水を利用していますとの事。
それが、地震の影響で池の水が干上がったとか…
友人からの画像を拝見致しますと、いゃいゃ、全く凡て干上がった訳ではないようですけど、随分水位が低下。
色んな所に地震の影響が出ていますようですネ。まだまだ未確認の色んな出来事もあるのかも分かりませんねぇ(^-^)//"
■2016年05月05日
今朝、友人がまた画像を届けてくれました。今回は、熊本洋学校教師館「ジェーンズ邸」を。
ふ〜ん、私は出掛けた事はありませんで、ジェーンズ邸の存在すら知りませんでしたけど、こんな建物がありましたのですネ。
WEB上で検索してみますと、こんな記載が…
★熊本洋学校教師館「ジェーンズ邸」
熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(くまもとようがっこう きょうしかん ジェーンズてい)は、熊本県熊本市中央区にあった歴史的建造物。
熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。長崎から招いた大工が造った。
コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。明治9年(1876年)洋学校は閉鎖された。西南戦争で焼け残り、県の官舎となった。
その後、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の宿舎にあてられた。ここで、佐野常民の博愛社の創設が許可されたので、日本赤十字の発祥の記念ともなっていた。後に熊本市中央区水前寺に移築保存されていた。
しかし、2016年(平成28年)4月14日に発生した熊本地震の前震により建物の壁が崩落する被害に遭い、同月16日未明の本震で建物が倒壊した。
熊本市は建物の修復は困難としている。
…と、こんな記載でありましたが、当時の新設時、技術的にチャンとした基礎工事が出来なかったのでしょうねぇ〜
今回の地震の前震・本震でまさに壊滅ですネ。
もぅ復元は難しいようですけど、歴史的な建物が一つ、また一つと無くなって行きますのは複雑な気持ちを生じますし、大変寂しいモノではありますネ(^-^)//"
■2016年05月09日
熊本に調査で出掛けています友人から、また画像を届けて貰いました。
熊本に出掛けて以来、ホテルへ戻りますのは連日P.M.9:00前後とか…疲労も随分お有りでしょうけど、本日が熊本入りしましてから初めての休養日でしたとか…
で、熊本城周辺を散策されましたご様子。
熊本城内には入れませんのでしょうねぇ〜
届きました周辺の画像を拝見してみますと、石垣や塀は損壊。
城内の石碑も回転しズレていますようですネ。
う〜ん、このビルもヒビだらけ…
シートを貼り補強はしてありますけど、大きな余震が未だに続いていますようですから、いつ落下しましてもおかしくありません状態なのかも…
改めて被害の大きさを痛感してしまいますネ…
■2016年05月11日
本日、また、熊本入りしています友人から水前寺公園の画像が届いておりました(^.-)☆
>今朝の水前寺公園です。
>だいぶ水が戻りました。
との事で、観てみますと、うん、うん、前回届けて頂きました画像と比べますと随分水位が戻っていますようですねぇ〜
地震の影響で、あのままドンドン水位が下がりまして水前寺公園の池は干上がってしまうのでは…と危惧していたのですけど、この調子では元の状態に復旧しそうではありますねぇ(^_^)v
いつでしたか…TVニュースで「水前寺公園も被害が出ているので、当分の間、入場料は徴求しない…」と言うような事を耳にしたような…
で、友人に尋ねてみますと、
>私は朝早く行っていますので受付はいません。
>また近所の人がラジオ体操している常態なので、当分徴収はないのではと思っています…
との事でありました(^.-)☆
友人は水前寺公園近くのビジネスホテルに滞在していますので、毎日、周辺を早朝散歩しておられますのでしょうねぇ〜
とにかく、熊本城がダメ…水前寺公園がダメ…では、熊本を訪れます観光客の皆様は激減するのでは…と気になっておりましたけど、とりあえず水前寺公園は現状維持のようですねぇ〜
それにしましても、仕事とは言え友人も今回は熊本に長期滞在となりますネ。
確か、4/21に熊本入りされましたような…
と言う事は、今日で丁度3週間の熊本滞在です。
連日、ホテルへに戻るのはP.M.9:00前後と言っておられましたような…
さぞかしお疲れの事と思います。
ご自身の体調にも充分留意の上、業務遂行されますよう、ただただ祈るばかりですが…
本日届きました熊本からの画像は、少し離れた場所から撮られました熊本城でありました(^.-)☆
今日は終日、雲一つありません真っ青な空の下、気温も随分上昇し暑さを感じました福山市内。
画像を拝見します限りでは、熊本市内も同様だったものと思います。
南国だけに気温の方は福山よりはズッと高かったのでしょうけどネ…
これもきっと、早朝散策時に撮られましたのかも分かりませんネ(^-^)
もっとズームを効かせて撮って頂ければ良いのですけど、そぅは言いましても、慌ただしい時間の中で撮られ届けて頂いておりますから、贅沢は言えませんのですけど…
画像を拡大してみますと、どぅにか、熊本城の屋根瓦の剥げ落ちました状態が分かります。
TV報道でも再三眼に致しますけど、この修復には多大な費用・年月を要しますのでしょうねぇ〜
■2016年05月19日
5/12以降、熊本入りしています友人から画像が届きませんので、既に広島に帰られたのかも…と思っておりましたら、本日、一週間振りに届きました画像が、これなんです。
これは、以前にも届けて頂いた建物の画像なんですけど、この建物の下の駐車場には、ベンツ・クラウンの2台が潰れていますとか…
きっと高級車で、私のような庶民には中古車でも手に入らないものと思います。
なのに、未だ救出されず埋もれたままとは…実にお気の毒でなりません。
かと言って、この建物を持ち上げるのには、随分、手間ヒマを要しますでしょうし、熊本市内のアチコチの修復で優先順位もあるでしょうし…とにかく、お気の毒であります。
とりあえず、友人から届きました画像を転載です。
それにしましても、昨日・今日と日中は随分気温が上昇しています広島県内。
広島ですらこぅなのですから、熊本はもっと日中の気温は高いことでしょうねぇ〜
友人が熊本で、具体的にはどんな地震調査の業務を遂行しておられますのかは分かりませんけど、当然の事ながら、業務関連の画像は勿論、送信しては貰えません。
ただただ、過酷な業務遂行が続いているものと推察しますしか…
熊本滞在は来月も続くとの事のようです。
近いうち一度、広島に帰り、また再度、熊本に向かいますとか…
友人もGONsan同様に決して若くもありませんから、ご自身の体調を心配してしまいます。
この建物の修復は、いつになりますのでしょうねぇ〜
歯科医の業務再開は当分難しいでしょうし、患者さんもさぞお困りの事でしょうねぇ…
何と申し上げてイィものやら…
日本国内で、いつ、何処で発生しますか予測は大変難しい突然の地震。
こぅした画像を届けて頂きます度に、地震の破壊力の凄さを何度も感じてしまいます。
いつの日かGONsanにも、こんな環境が、突然と訪れますかも分かりませんねぇ(^-^)//"
■2016年05月24日
5/22(日)に届けて頂きました画像は、「健軍神社」でありました。
こんな短文のメッセージ付きで。『健軍神宮にお参りして来ました…やはり被害がありました…』と。
早朝に、健康維持のため散歩しておられますようですから、その際の一コマなのかも分かりません。
◆健軍神社
健軍神社(けんぐんじんじゃ)は、熊本県熊本市東区にある神社である。阿蘇神社(阿蘇市)、甲佐神社(こうさじんじゃ、甲佐町)、郡浦神社(こうのうらじんじゃ、宇城市)と共に阿蘇四社とも称せられる。
・祭神
健磐龍命、天御中主神、仲津彦神、仲津姫神、神渟名川耳命(綏靖天皇)、阿蘇津姫命、草部吉見神、速甕玉命、彦御子命、比東芬q命、新彦命、若比当ス、若比古命、新比売命、弥比当ス等を祀るが(天御中主神、仲津彦神、仲津姫神の3柱以外は全て阿蘇神社祭神)、もともとは境内にある国造社の神、火(肥)国造の祖である健緒組(たけおくみ。健緒純にも作る)と見る説もある。
健緒組は『肥前国風土記』や『肥後国風土記』逸文によれば景行天皇の時代に肥(火)君(ひのきみ)の姓を賜ったといい、『国造本紀』によれば崇神天皇朝に火国造に定められたという。
・由緒
熊本市内で最古の神社と言われている。社伝によれば欽明天皇19年(558年)に阿蘇神社の大宮司が同神社を勧請して創祀し、異賊征伐の為に社号を「健軍」と称したといい、後に阿蘇四社の一として阿蘇神社の別宮とされた。
初め「健軍宮(たけみやぐう)」や健軍村竹宮(たけみや)と呼ばれ、または十二社大明神とも称せられて、健軍荘(たけみやしょう)(現在の日赤病院周辺や小峰や新外、江津湖周辺の広い地域)の産土神社であった。
明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和以降「たけみや」が「けんぐん」と音読されるようになり、地域名も託麻郡健軍村から熊本市健軍町となった。地域の基礎とも言える神社である。
…と、こんな神社のようですネ。
被害状況の説明がありませんから、よく分かりませんけど、この石碑は地震の影響でヒビが入っているのかも分かりませんねぇ(^-^)//"
■2016年05月28日
熊本滞在も随分長くなりました友人から、本日届きました画像は、天草からの画像でありました(^.-)☆
こんな短文メッセージ付きで(^-^)
「今日は久し振りの休暇で天草に行って来ました。長い道のりだったけど、大江天主堂にも行って来ました。天草五橋はもう一本作っていましたネ…」と、こんなメッセージでありました(^.-)☆
さぞお疲れの事と思いますけど、本日は休養日に当てられましたようですねぇ〜
そぅですか…本日は休暇で本渡まで行かれましたか(^-^)
いゃいゃ、今はもぅ「本渡市」ではなくて「天草市」なんですねぇ〜私は「天草市」と言いますより「本渡」と言いました方がピンと来るのですけど(^.-)☆
それにしましても、大江天主堂まで出掛けられましたとは…熊本市内からですと随分の距離を走行されました事でしょう(^-^)
私も本渡に出掛けた事がありますけど、2004年の4/22〜4/26の5日間でしたか…
この時は陸路でなく福岡空港から天草空港に飛んでいますから、天草五橋は通っていないのですよ(^-^;
でも、そのうち「天草六橋」と言わなければなりませんのかも…
本渡市内にも天草四郎絡みの色んな史跡が存在しますけど、滞在中は、早朝には大概、本渡市内を眺望出来ます「十万山公園」まで早朝ジョギングでした。
天草キリシタン館・殉教公園…等も強烈に印象に残っておりますが、江戸時代初期のキリシタン島原の乱における一揆軍の最高指導者とされています「天草四郎」も凄い方でしたのでしょうねぇ〜
届けて頂きました画像を拝見しながら、既に12年前の事となりますけど、本渡滞在の5日間の日々が、実に懐かしく蘇ってしまいました(^-^)//"
■2016年06月04日
友人の熊本滞在もスッカリ長くなってしまいましたけど、昨日届きました画像が、これなんです(^.-)☆
地震調査で訪れました便を利用され、立ち寄られましたのでしょうか…
それとも、昨日は休養日で、気分転換で訪れましたのでしょうか…
メッセージがありませんから、きっと、随分お疲れなのでしょうねぇ(^-^)
観光案内板の画像を頼りに撮影場所を捜してみますと、観光スポットとしましては「大観峰」では…と推察のGONsan。
ですが、この観光案内図には現在地の名前がありませんから、今一、定かでありません(^-^;
で、友人に「LINEで位置情報を送信して…」と依頼です。
すると、届きました位置情報が、推察通りやはり「大観峰」でありました(^_^)v
束の間の、この大観峰での大パノラマを楽しみながらの休養…それとも休息…いずれなのかは分かりませんけど、少しはお疲れも癒やされたのではないかと思います(^.-)☆
それにしましても、長期滞在となってしまいました友人です。
熊本入りしましたのは、確か4/21でしたような…今日までのこの間は、一度も広島には帰っておられませんから、疲労もピークなのかも分かりませんネ…
にも拘わらず、時々こぅしてお忘れなく、GONsanに近況報告を兼ね画像を届けて貰っております。
嬉しいのですけど、私も友人も相応のジジィですから、ご健康面には心配な感じが…
いつでしたか、一度、広島に帰る予定とも言っておられましたが、この調子では、いつまでも帰れませんのかも…
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