2016 水呑学区ふれあい文化祭「水呑の史跡巡り」 <3/3> |
次の訪問は、妙見(明見)川でありました(^.-)☆
・妙見川
水呑七泉の一つ。場所は、水呑町字妙見1441。池は後に造設されたものと思われる。
妙見川の存在は神社創立前。
GONsanのご幼少時には、妙見池はもっとキレイだったように思うのですけど、今では水面全面に藻が張って(^-^;
池の水の入れ替えが全く行われませんからなのでしょうか…
この妙見池を眼にします度に、何とかならないのだろぅか…との想いが生じてしまいます(^-^)//"
妙見池に隣接しますのが、妙見(明見)神社です(^.-)☆
◆妙見(明見)神社
山之神町内と浜町内の境界辺りに位置する。
祭神 -- 天御中主命、開運妙見大菩薩
御神体 -- 形像は座像で右手に剣を持ち、左手を頭上に、左の人差し指の2本を正面に向けている。
法界石 -- 1919年(大正8年)3月建立
常夜灯 -- 1816年(弘化3年)正月建立
百度石 -- 百度石は信仰する人達が祈願する目印である。
親、兄弟姉妹、子供等の入学祈願、病気平癒等の願掛けする所、百度石より神殿まで百回往復する。
戦争中は祈願は多かったようです。
…と、こんな妙見(明見)神社であります。
石灯籠から芦田川大橋を覗いてみましたら、望遠鏡で眺めたような感じで画像が撮れました(^-^)//"
妙見(明見)神社を後にしますと、次は「水呑村啓蒙所跡」。
◆啓蒙所
水呑では1872年(明治5年)創設。1873年「水呑村160番学校」と改称。1876年「水呑小学校」と改称された。
参考までに、今から150年前には妙顕寺において三村日修上人が教えていました。また中村では伊藤雄硯氏、竹ヶ端では宇田大吉氏、洗谷では門田喜十郎氏らが自宅で家塾を開いていたと云われている。(水呑町史より)
水呑村啓蒙所跡を去りますと、今回の史跡巡り最後の訪問場所であります水呑公民館横、妙顕寺への参道入り口に存在します大法界。
水呑で一番大きい法界さんです。
◆法界
法界とは、宇宙万物の総称であって、仏法の広大なことを海に例えていう言葉である。広大な宇宙、宇宙の本体と云われている。
これは通称「大法界」と云う。天保4年(1833年)癸己年3月吉良辰。
この大法界の右側に隣接のお宅を、GONsanが幼少時には『ふだば』sanと呼んでおりました。これは、江戸時代こちらのお宅が「札場」でありました関係で(^.-)☆
◆札場
福山藩よりの連絡・伝達分を掲示、伝えた役所。
…と言う訳で、今回の史跡巡りは、ここでオシマイとなりました(^-^)//"
史跡巡りを終え水呑小学校にと戻って来ますと、ステージでは福山商業高校の皆様による「ダンスパフォーマンス」で盛り上がっておりました(^.-)☆
GONsanも、暫し立ち止まり拝見です。
時間を見ますと、もぅ少しで正午です。
「体育館の作品会場でお手伝い…」と嫁さんは言っておりましたので、今から我が家に帰りましても誰もいないのですけど、これでGONsanは退散です。
史跡巡りも、もぅ何度も参加しておりまして目新しいモノはありませんから、来年はパスしようかな…とも思いますGONsanなのでありました(^-^)//"
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