2015/06/19〜2015/06/21 中村講中・身延山夜行3日間参拝の旅 <8/11> |
◆神廟(しんびょう)
徳川家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ廟です。
当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、三代将軍徳川家光公によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っています。家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。
神楽殿には、模型作品が奉納され展示してありました(^.-)☆
◆神楽殿
神楽殿という名称が付いていますがこの建物では神楽は行われず、武家奉納の絵馬を掲げたと伝わっています。
そして、その傍らにはこんな「『プラモデル』の始まりは静岡から」との掲示が(^_^)v
ふ〜ん、そうなんですか…WEB上で検索してみますと、うん、うん、こんな記載がありましたネ。
★日本におけるプラモデルの歴史
--- 昭和初期 プラモデル前史 ---
昭和初期、プラモデルの誕生が1936年(昭和11年)であることから明らかなように、日本にプラモデルは存在しませんでした。
当然、プラスチック製の玩具も模型も存在しません。
だからといって、玩具や模型が存在しなかったというわけではありません。
当時の玩具はブリキや木材やセルロイド(1856年に作られた合成樹脂の一種)でできていました。模型は加工しやすく強度もある木材が主構成材でした。
現在、静岡に模型メーカーが多いのはこのことによります。
静岡は、良質な木材を産出する日本アルプスから河川が流れ込む木材の集積地で、古来より木材加工が盛んであり、教材目的の木材加工を行う科学教材会社や木製玩具会社も多数、この地に生まれ、それがこれらの模型メーカーの源流となったのです。
タミヤ、ハセガワ、アオシマ(青島文化教材社)、フジミ、イマイなどは、そういった静岡の木材加工を源流とする模型メーカーです。
なお、バンダイも静岡に工場を持ちますが、この流れの模型メーカーではありません。
当時、模型は日本軍の戦闘機を中心とした航空機が人気で、ソリッドモデル、ライトプレーン、グライダーあるいはモーターグライダーなどが主流だったようです。
飛行機の模型は実際に作って飛ばしてみるなど、模型は科学教材として正式な授業に組み入れられることもありました。
1941年(昭和16年)12月、日本は、アメリカを中心とした連合国の対日石油禁輸などの経済制裁に対し、東南アジアで産出される資源を獲得するために、そこを植民地としていた連合国と戦争を始めました。
日本は資源地帯は押さえたものの、連合国が行った潜水艦による輸送船攻撃等のシーレーン攻撃が激しさを増すにつれ物資は日本に届かなくなっていき、日本本土では様々な物資が不足していくようになりました。
当時は天然素材に依存していたゴムも例外ではなく、ゴムを動力源にして動くタイプの模型は作れなくなり、模型店は開店休業に近い状態になったそうです。
そぅでしたか…プラモデルには、こんな歴史がありますのですねぇ(^-^)//"
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