2015/06/19〜2015/06/21 中村講中・身延山夜行3日間参拝の旅 <5/11>

 

 

 

 

 

 

 

 

 清水真崎灯台方向に散策開始間もなく、最初に遭遇しましたのが「甲飛豫科練の像」でありました。
 ふん、ふん、三保の松原の一角には、戦時中に予科練教育航空隊が存在しましたようですねぇ〜

 ◆清水海軍航空隊

 清水海軍航空隊(しみずかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。20,000人にも及ぶ空前の志願者を募った予科練甲飛第14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。三保の松原の一角を用地に転用して開かれた。

 ★沿革

 昭和19年9月1日 -- 静岡県清水市(現静岡市清水区)に落成・開隊。第19連合航空隊に編入。土浦海軍航空隊より甲飛第14期前期320名転入。
 昭和19年12月頃 -- 奈良分遣隊より甲飛第15期前期の一部転入。
 昭和20年3月1日 -- 19連空解散。横須賀鎮守府隷下第20連合航空隊に転籍。
 昭和20年4月1日 -- 甲飛第16期入隊(最後の予科練生)。水上・水中特攻訓練に教程変更。
 昭和20年6月1日 -- 予科練教育凍結。
 昭和20年6月30日 -- 解隊

 3期にわたって教育を推進したが、航空機に搭乗する機会を得た者はいなかった。解隊と同時に、生徒は全員下田に司令部を置く第十五突撃隊、江浦に司令部を置く第十六突撃隊に振り分けられ、特攻兵器訓練に明け暮れる中で終戦を迎えた。

 ★主要機種
  教育訓練部隊のため、航空機の配属はない。

 ★歴代司令
  上田俊次(昭和19年9月1日--昭和20年6月30日解隊)


 …と、こんな清水海軍航空隊のようですネ。
 碑文には、こんな記載もありました。

【碑文】

 太平洋戦争の末期 ここ三保の地に清水海軍航空隊ありき
 大空に雄飛せんと集いし若人海軍甲種飛行予科練習生が日夜厳しき教育と訓練に明け暮れは所なり
 往時の面影すでになし われら再び戦争の惨を起こさず 今ここに久遠の平和を念じつつ記念の碑を建立す

 昭和六十三年八月吉日
 清水海軍航空隊所属
 第十四、十五、十六期海軍甲種飛行予科練習生一同
 清水海軍航空隊清空会 関係者一同


 …と、こんな記載が。

 海浜に眼を向けますと早朝から大勢の釣り人が…
 平和な日々から遡りますこと丁度70年前の時代のお話しですねぇ〜そぅなんですネ、今年は終戦から丁度70年経ますのですねぇ〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く三保の松原の歩道を歩いておりましたら、「危険 立入禁止」の表示板が(^-^)

 ◆危険 立入禁止
  無断で飛行場内に立ち入ると航空法により罰せられます
  三保飛行場長


 …と、こんな表示板が(^.-)☆
 では、早速入ってみる事に致します(^-^) が、ご覧の通り雑草が存在します滑走路。WEB上で検索しましたら、こんな記載がありました。

 ★三保飛行場

 三保飛行場(みほひこうじょう)は、静岡県静岡市清水区三保にある飛行場。空港法の分類では場外離着陸場。

 ・概要
  社団法人日本飛行連盟が管理運営しており、静岡県と赤十字飛行隊の訓練飛行場として位置づけられている。よって離着陸ができるのは、日本飛行連盟の会員で、且つ赤十字飛行隊に登録されているもののみである。飛行計画は、東京航空局東京空港事務所へ申請する。


 …と、こんな飛行場のようですネ。
 普段あまり頻繁には利用されていませんようですから、雑草の存在も納得のGONsanでありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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