2014年 中村講中の皆様と石川〜新潟県方面へのお寺詣り(^.-)☆ <9/10>

 

 

 

 琵琶湖大橋を渡りましてから奥比叡ドライブウェイを上り比叡山国宝殿前の駐車場に到着しましたのは、12:59でありました(^.-)☆
 予定より40分遅れの到着と言ったところでしょうか…
 
 昼食は延暦寺会館ですから、そこまでは大講堂・根本中堂・大黒堂…等を眺めながらノンビリと歩行となりました(^-^)
 昼食後、1時間少々時間がありますので、後でまたユックリと散策です。
 
 とりあえず昼食となりました(^-^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食は、この「延暦寺会館」で行いました。
 
 ◆延暦寺会館
 
 延暦寺の宿坊で、一般の人でも宿泊が可能です。
 お部屋・大浴場からは眼下に琵琶湖の絶景を眺め快適なときを過ごせます。また早朝より根本中堂でお朝事の参加や、ご希望により写経・座禅の修行体験も出来ます。
 
 …と、頂いたパンフにはこんな記載がありました(^.-)☆

 

 

 昼食を終え延暦寺会館の入り口に出て来ますと、なんと突然の土砂降り開始。夕立みたいなものでしたが…
 傘もないし、今から散策開始と言うのに…と、少々困惑顔のGONsanでありましたが10分も経ない内に止みましてラッキー(^_^)v
 
 急いで、独りで、散策開始となりました(^.-)☆
 
 大書院前の石段を上がり、文珠楼にお詣りです。
 
 ◆文殊楼(比叡山延暦寺)
 
 慈覚大師円仁が、中国五台山の文殊菩薩堂を倣って建立した文殊楼。
 智慧を司る文殊菩薩さまがまつられていることから、学業成就・合格祈願に訪れる受験生も多いです。文殊楼には、合格祈願の絵馬がたくさん奉納されています。
 
 内部には急な階段が両側にあり、この階段がもの凄く急角度(^-^;
 上がるのはまだしも、降りるのは結構一苦労でありました(^.-)☆
 
 二階の内部は、ほとんど真っ暗でロウソクの明かりのみ。
 それでも、とりあえず3枚ばかりパチリとなりました。
 撮れてないかも…と危惧しながら後で確認してみますと、うん、うん、ストロボ無しでもそれなりに撮れておりましてまたまたラッキー(^_^)v
 
 ですが、後で知りましたけど、撮影禁止でしたのですねぇ〜
 誠に申し訳ないです(^-^;
 とにかく暗くて、撮影禁止の表示には気付きませんでしたよ(^-^)
 
 文殊楼の反対側の石段を下りて行きますと、正面には根本中堂が存在です。
 
 ◆延暦寺・根本中堂
 
 ・概要
 
 伝教大師最澄が788年(延暦7年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、不滅の法灯と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。
 
 中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。
 
 ・沿革
 
 1443年(嘉吉3年)年に南朝復興を目指す後南朝の日野家などが京都の御所から三種の神器の一部を奪う禁闕の変が起こると、一味は根本中堂に立て篭もり、朝廷から追討令がでた事により幕軍や山徒により討たれる。
 
 現在の根本中堂は、織田信長比叡山焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、1634年(寛永11年)より8年の歳月をかけて再建されたもの(完成は1641年・寛永19年)。
 1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。
 
 中に入りますのは有料ですので、スルーとなりました(^-^)//"

 

 

 

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