2014 水呑学区ふれあい文化祭 <1/4>

 ■2014年11月11日
 
11/1(土)〜11/2(日)の2日間は「2014水呑学区ふれあい文化祭」の開催でした(^.-)☆

 11/1(土)〜11/2(日)の2日間は「2014水呑学区ふれあい文化祭」の開催でした(^.-)☆
 で、GONsanは例年通り「史跡巡り」に参加となりました。
 
 大概、毎年この「史跡巡り」に参加しておりますから、特に物珍しい場所を巡る訳でもありませんけど、そぅは言いましても町内の行事ですから、何か一つくらいは参加しませんと(^-^)
 と言う訳で、今回の史跡巡りは竹ヶ端方面でありました。
 
 集合は、A.M.9:50に井上記念館。そして、毎年提供して頂いています六方学園さんのマイクロバスに乗車。
 井上記念館出発は定刻のA.M.10:00で、まず向かいますのは旧鞆街道を走行し向丘中学校校門が存在します「山分坂(さんぷんざか)」。
 
 ・山分坂(さんぷんざか)
 
 向丘中学の校門を峠とした旧県道。
 西に八王子山、東の向山の間を明治初期に切り開き現在の道路となった。2丈5尺切り下げたという。(1丈--10尺、1尺--30cm、2丈5尺--7.5m)
 
 …との事ですけど、山分坂は「三分坂」とも表示されます。山を三分切り開いたからとか、坂を上りますのに3分要したとか諸説あるようですけど、GONsanは「山分坂」に馴染んでおりますネ(^.-)☆
 
 向丘中学校が存在します向丘団地は、福山市内で一番最初に山を切り開き開発されました団地なんです。
 この向丘団地の開発を契機に、以降は市内の各地で団地開発が展開されて行きましたようですネ(^.-)☆
 
 挿入の画像は、たまたま一番前の運転手さんの隣りの席に座ったものですから、車窓から撮りましたものなんです(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹ヶ端の鞆鉄バス旋回場でマイクロバスから下車しますと、ここからはいよいよ史跡巡りの歩行です。
 皆さんの後方からアチコチ画像に納めながら、今回の参加者数を数えてみますと総員28名でしたでしょうか…
 
 大体、いつものメンバーですねぇ(^-^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 散策しながら、まず最初に訪れましたのが「諏訪神社」。
 
 ・諏訪神社:祭神 -- 健御名方神(タテミナカタノカミ)
 ・護法大権現:文久4年(1864)以前、通称「権現」さんと呼ばれている。
        鏡・木札を御神体として旧8月17日祭礼。
 ・史跡名:恵美神社
      諏訪神社の境内:祭神 -- 事代主命(コトシロヌシノミコト)
              古代より漁師が豊漁を願い祀る。
              以前、小山の上にあった。明治20年頃の建立の地神石碑あり。
              祭礼 -- 旧9月2日 御神体 -- 石
 
 …と、こんな資料を貰いましたが、今回のガイドsan、あまり詳しい説明はされませんでしたネ(^-^;
 
 諏訪神社を後にし、またウォーキング続行です。
 そしてヤッと来ましたのが、現在は閉ざされました入江。
 昔は、ここまで海でしたけど、今では雁木が昔の面影を残しておりましたネ(^.-)☆
 
 ・雁木
 
 雁木(がんぎ)は、船着場における階段状の構造物。岸壁と違って、潮の満ち干や河川の流量変化による水面の上下に係わらず昇降や荷役が出来るため、近代以前の船着場で多く見られる。
 また、埠頭の一部が雁木となっている場合もある。
 現代の港湾設備では浮桟橋が設置されるため、雁木が設置される事は少なくなっている。
 
 そうそう、福山市漁業協同組合の建物の前を通り過ぎましたけど、看板の名前がモダンになっておりました。「マリンバンク広島信漁連」と(^-^)//"

 

 

   

 

 

 

 

 

 次は、竹ヶ端旧港より南方山の手に60m入った所に存在します最上稲荷。
 明治初年頃、備中高松稲荷よりその分霊を祀っているとの事。
 最上稲荷に上がります石段脇には、法界石塔が存在です。
 
 資料には、
 
宇田理生氏屋敷内。建立年代--不明。自然石にて高さ約1m。南無妙法蓮華経・日蓮大菩薩の刻あり。当家にて法界万例霊を祀っている。
 
…との記載が。

 

 

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