2010年12月-2011年4月 年末・正月・春の景観 <9/14>
 ■2011年04月13日
 3/21(火)は久し振りに“しまなみ海道”を走行でした(^.-)☆O

 来島海峡SAを後にしますと、また走行再開です。
 何処に行くともなくドライブですから、さてどちらに向かったものか(^-^)
 とりあえず、西条方向に走行となりました。

 今治市を通過し暫くノンビリと走行していましたら、「四国八十八箇所61番“香園寺(こうおんじ)”に行ってみよう…」と嫁さん。
 と言う訳で、香園寺参詣となりました(^.-)☆


 ■香園寺

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 大聖堂所在地 愛媛県西条市小松町南川甲19
 位置 北緯33度53分35.6秒
    東経133度06分14.4秒
 山号 栴檀山
 宗派 真言宗単立
 本尊 大日如来
 創建年 (伝)6世紀末
 開基 (伝)聖徳太子
 正式名 栴檀山 教王院 香園寺 別称 子安大師
 札所等 四国八十八箇所61番

 香園寺は、愛媛県西条市(旧周桑郡小松町)にある真言宗系の単立寺院(元御室派の寺院)。山号は栴檀山(せんだんさん)。院号は教王院(きょうおういん)。本尊は大日如来。四国八十八箇所霊場の第六十一番札所であり、子安大師の寺として親しまれている。

 本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
 ご詠歌:後の世を 思へば詣れ 香園寺 止めて止まらぬ 白瀧の水


 沿革

 寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が創建し、このとき金衣白髪の老翁が飛来してご本尊を安置したという。天平年間には行基菩薩も留錫し、大同年間になると弘法大師が巡錫された。あるときこの地で身重な女が苦しんでいたが、大帥のお加持で安産した。この勝緑によって大師は唐から奉持した大日如来の金像をご本尊の胸に納め、栴檀の香をたいて護摩修法された。これにちなんで栴檀山香園寺と号した。
 大正のはじめ、住職の山岡瑞圓師は子安講を創始し、難産で苦しむ女性の祈祷をされた。子安講は発展し、「子安の大師」で知られる。
 寺は小松町のはずれにあり、山麓の一万坪の境内には、昭和五十一年建立の大聖堂(本堂、大師堂)250名収容の宿坊、庫裡などが建ち並んでいる。それだけに大きな団体や、巡拝日程の変更などで宿泊に因っている遍路など、受入れ体制が整っているだけに安心して参籠を願うことができる。


 …と、こんな由緒あります香園寺。
 さすがに「子安大師」で知られていますだけに、子供が授かりました若いお母さんのお礼参りのお姿が多かったですネ(^.-)☆
 それにしましても、開基が聖徳太子様とは実に歴史のありますお寺のようですねぇ〜

 とは言いましても、大聖堂(本堂、大師堂)が昭和51年の建立で近代的な建物ですから、見た眼には仲々長い歴史を感じられませんでしたけど…
 でも、お願い事は数多くさせて貰いましたネ(^_^)v

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 ■2011年04月14日
 3/21(火)は久し振りに“しまなみ海道”を走行でした(^.-)☆P

 別段行き先も決めておりませんドライブですから、ノンビリとした香園寺参詣を終えますと、後はヤッて来ました道を帰るのみ。
 時間はと見ますと、とっくにお昼は過ぎ去っておりまして、P.M.2:00少し過ぎ。

 空腹感も少々漂って来ましたから、帰路に適当な場所で食事を…と、キョロキョロしながらの帰路となりました(^.-)☆

 そんな時に何気なく眼に入りましたのが、この川でした(^-^)
 何という川なのかは知る由もありませんけど…

 今治市〜香園寺間には三つばかり川が存在しましたでしょうか…
 その中の一つが、この決して大きくはありません川なんです。
 川ですから、どの川にも当然のごとく水が流れておりましたけど、何故かこの川には水は存在しておりませんでしたねぇ〜

 普段はいつも水はありませんで、よほどの大雨でもありませんと水は流れないのかも分かりません。
 川底に溜まりました乾ききった砂が、そんな感じを与えてくれました。
 瀬戸内沿いの今治市一帯は、一年を通じまして降雨量は少ないのでしょうか…

 GONsanにはヤケに新鮮な景観として脳裏に残ってしまいました。
 水の流れない川…う〜ん、結構イィものでありました(^-^)//"

 

 ■2011年04月15日
 3/21(火)は久し振りに“しまなみ海道”を走行でした(^.-)☆Q

 今治市方面に走行しておりまして次に眼に入りましたのが、この菜の花畑(^.-)☆
 丁度満開で、黄色の色のキレイなこと!!


 ◆菜の花 アブラナ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 学名:Brassica rapa L. var. nippo-oleifera
 和名:油菜、菜の花、菜種、赤種
 英名:Rapeseed,Chinese colza

 アブラナ(油菜)は、アブラナ科アブラナ属の二年生植物。古くから野菜として、また油を採るため栽培されてきた作物で、別名としてナノハナ(菜の花)、ナタネ(菜種、厳密には採取した種子のこと)
などがあり、江戸時代には胡菜または菜薹と呼ばれた。

 実際にはアブラナ属の花はどれも黄色で似通っていることから、すべて「菜の花」と呼ばれる傾向がある。
 植物油の原料として栽培されているのは、ほとんどが別種のセイヨウアブラナ(西洋油菜、学名:B.napus)であり、在来種のアブラナは野菜として生産され、開花前に収穫されてしまう事が多い。

 原種は、西アジアから北ヨーロッパの大麦畑に生えていた雑草で、農耕文化と共に移動したと考えられている。漢代の中国に渡ると栽培作物となり多様な野菜を生むなど、東アジアで古くから栽培されている。日本では弥生時代以降から利用されたとみられる。

 本来は菜、つまり葉物野菜として利用され、古事記では吉備の菘菜 (あおな)、万葉集では佐野の茎立(くくたち)として登場し、花芽についても、延喜式に記されている。
 植物油の採取用に栽培されたのは江戸期からで、これは菜種油:菜の種から採った油という名からも伺える。また、一般にアブラナ属植物の種子からは油が採取でき、カラシナやカブも利用されている。

 丈夫で育てやすく、広く栽培されたなじみ深い作物だった。また、菜種畑は明るい黄色が畑を覆う「菜の花畑」として春の風物詩とされ、歌や文学作品の題材となるが、明治時代以降はセイヨウアブラナに置き換わっている。


 …と、こんな菜の花でありますけど、辺り一面に菜の花畑が広がりますと実にキレイ(^_^)v
 暗かった冷たい冬から一転、陽気な春到来と共に一帯に広がります菜の花畑…
 黄色の明るさが、嫌でも春の到来を実感させてくれましたネ(^-^)//"

 

 ■2011年04月16日
 3/21(春分の日)は彼岸会でお寺参りとなりました(^.-)☆

 3/21(春分の日)は、あいにく雨天となりましたけど、降雨の中、彼岸会でお寺参りとなりました(^.-)☆
 A.M.9:30開始で嫁さんは一足先に出かけましたけど、GONsanは所用で、お寺に出かけましたのはソロソロ終わります頃のA.M.11:30少し前。

 到着しますと読経の最中で、本堂の外で待機する事となりました。
 読経が終わりますと、お上人さんの法話と続きます。
 この間、ズッと本堂前の境内で、これに耳を傾けますGONsanでありました(^-^)

 この待機時間を利用しまして境内から我が町内を眺望です。
 見慣れた景観ではありますが、また数枚この眺望をパチリ。
 こんな空模様ですから、キレイな景観ではありませんでしたけど…

 昨年の彼岸会は、丁度、ふくやまマラソン大会と重なりましたから、この境内からマラソン大会の様子を眺めたように思います。
 今年は、彼岸会を一日ずらしての開催ですから、この境内からマラソン見物とはなりませんでしたねぇ〜

 境内の本堂前の一角に存在しますソテツの木…このソテツに眼を向けます度に、この花のようなモノに暫し眼が止まります。
 これは、ソテツの花なのでしょうか?…
 いつも、“いつかお上人に尋ねてみよう…”と思いながら尋ねます事もなく現在に至っておりますが…

 お上人の法話が終わりますと、彼岸会もおしまいで最後に塔婆を頂きお墓参り。
 ところで、塔婆の語源は何なんでしょう?
 ヒマですから、WEB上で検索してみましたら、うん、うん、ありましたネ(^.-)☆


 ◆塔婆

 「塔婆」とは「卒塔婆」の略語で、サンスクリット語のストゥーバがルーツです。
 昔、釈迦が入滅したあと、その舎利(遺骨)を納めた塔(ストゥーパ)を建てて供養したのが始まりです。
 それが日本に伝わり、三重塔や五重塔、多宝塔の意味となり、五重塔を模して五輪塔が建てられました。五輪塔を木で代用したのが角塔婆で、それが簡略化され年忌法要などに用いられる板塔婆となりました。現在では「塔婆」といえば板塔婆のことをいいます。

 五輪塔も板塔婆も人間の体を形どったもので、世界の構成している五大物質を表し、上から、空・風・火・水・地の梵字が書かれ、その下に故人の戒名が書かれています。裏面には大日如来を表わす梵字と、その下に建立する人の名前・建立年月日が書かれています。


 との事。
 ふ〜ん、そぅでありましたか…普段、何気なく使っています「塔婆」の言葉。こんな語源とは知りませんでしたけど、チョッと勉強になりましたネ(^_^)v

 そぅこぅしていますと、お土産と塔婆を手にされました方々が次々に本堂から出て来られます。
 肝心の嫁さんがいつまでも出て来ませんので、本堂に上がってみますと井戸端会議の真っ最中。GONsanは忙しいと言いますのに(^-^;

 後は降雨の中をご先祖様のお墓参り。
 そして、古い塔婆を持ち帰りです。とは言いましても自宅まで持ち帰りますのではありませんで、焼却して頂くためお寺の所定の場所に置いて帰ります。
 大概、お墓参りはGONchanも同行ですけど、彼岸会には連れて来ません。
 GONchanがいますと、何となく気ぜわしいのですけど、久々にノンビリとしたお寺・お墓参りとなりました(^-^)//"

 

 

 ■2011年04月17日
 3/23(水)の昼食時の一コマです(^.-)☆

 3/23(水)の昼食時、昼食を終え、いつものようにJR東福山駅貨物ヤードに眼を向けておりますと、眼の前を“昼食時のランナーsan”が軽快に通過です(^.-)☆
 “おっ、撮らなくちゃぁ!!”と、サッとデジカメを取り出しましたけどチト遅かった(^-^;

 ご覧の通り、軽快にアッと言う間もなく通過ですから、カメラを向ける事が出来ましたのは、残念ながらこんなアングル(^-^;
 相変わらず颯爽と通過ですから…う〜ん、残念!!

 この方を撮り続けてもぅ4年近くなりますかも…
 未だに、この方が何者なのか知る由もありません。
 それに、マラソン大会でご一緒しました事もありません。仮に、どちらかのマラソン大会でご一緒しましても、お名前が分かりませんからゼッケンで捜します事も出来ませんし…
 とにかく、こぅして軽快な走りを撮らせて頂きますのみ(^-^)

 お元気に走っておられますお姿を拝見しますのみでも、GONsanも力づけられますから、不思議ですネ(^-^)
 でも、そぅなんです。
 永年、マラソン・ジョギングを続けてきましたけど、母と父の逝去が続きまして、昨年の9月以降は仲々走れずに過ごしておりました。

 もぅ随分前に「3月に入れば温かくなるから、またジョギング再開!!」と固く心に誓っていたのですけど、いざ3月に入りますとまだまだ冷たくてジョギング再開には至りませんでした。
 でも、この方の走りを拝見しては、ムズムズしておりましたGONsan。
 それが、先週の土曜日でしたか…P.M.10:00少し前から、ヤッとジョギング再開となりました(^.-)☆

 3月、4月と、仲々慌ただしく過ごしておりまして日中のジョギングはとても時間的余裕が生じませんから、走れますのは夜間のみ。
 約7ヶ月振りのアスリート復活ですけど、再開後の数日間は、もぅしんどいのなんの(^-^;
 走りました後の翌日には、もぅ足が気怠くて(^-^;
 身体が慣れますまでの辛抱ですけど(^-^)

 今夜もジョギングはP.M.10:00に開始となりました。
 もっと温かくなりましたらまだしも、こんな時間帯ですから散歩しておられます方も見かけません。
 寂しい薄暗い芦田川の土手・河川敷ですけど、GONsanに取りましてはジョギングを再開出来ました事事態が実に嬉しい気持ちでありました(^_^)v

 ですが、GONsanももぅジジィですから、夜中のジョギングに出発時には、「2時間経っても戻らなかったら、河川敷に倒れているかも…」と嫁さんに一声掛けて出かけなくてはなりませんのがチト哀しいかも分かりません。

 まぁとにかく、走り終えた後の爽快感は、汗ばんではおりましても実にイィものであります。
 身体のキレも悪かったのですけど、ジョギングを再開しましたら体調も快調ですから、嬉しいものであります(^-^)//"

 

 ■2011年04月17日
 竹ヶ端運動公園の春の景観@

 3/27(日)のA.M.9:00過ぎ頃、ゴンchanの要望にお応えし竹ヶ端運動公園へと散歩に出発です。
 いつものようにハローズ駐車場を横断し水上スポーツセンター裏から入りますと、水上スポーツセンター裏の一角に芝生が植えられておりました(^.-)☆

 これは、わざわざこの場所に芝生を植えた…と言うよりも、ひょっとしたら陸上競技場の芝生張り替え分の余剰分をここに置いた…と言う感じなのかも分かりません。
 実に中途半端な植え方ですから、多分、そぅなんでしょうねぇ〜
 ここは、普段ですとゴンchanのシッコとウンコの場所なんですけど、怪訝な顔をしながらも何事もなく通過しますゴンchanでありました(^-^)
 
 多目的広場に進んで行きますと、この日はサッカーの試合が開催されておりました。
 何の大会か分かりませんけど、サンフレッチェ常石の皆さんもおられましたネ。


 ◆サンフレッチェ常石

 サンフレッチェ常石サッカースクールは、福山地区の選手を中心に幼児から中学3年生、レディースに関しては小学5年生から高校3年生までを対象に日々活動しています。
 今年度ジュニアユースは、「コミュニケーション」「関わる」「チャレンジ」この3つをチームコンセプトとし、一人ひとりの個性が最大限に発揮でき、自分で判断して実行できる「クリエイティブな選手」そして「最後まで諦めない」強い団結心を持ったチームにまとめていき、そしてはつらつとした豊かな人間として育成したいと考えています。
 レディース・ジュニアにおいても、基本技術をベースとし、「サッカーの良さ・楽しさ」を学んでもらいたいと思っています。
 そのために地域とのコミュニケーションを図り、より良い環境づくりを一層心掛けていき、サンフレッチェ常石サッカースクールの更なる発展のために努力します。PIVOXにCOMEN AND JOIN US!


 …と、こんなサンフレッチェ常石のようですけど、サッカーに詳しくありませんGONsanですから、よく分かりません。
 分かり易く言いましたら、サンフレッチェ広島の下部組織なのかも分かりませんねぇ〜違うかも(^-^;

 暫し立ち止まり、この方たちに眼を向けておりましたけど、ゴンchanの「ワンッ!!」の一鳴きに長居は出来ませんでしたけど(^-^)//"

 

 

 

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