2010年9月-12月 秋の景観 <1/8>

 

 2010年10月30日
 お寺への参道は結構狭い道ですから、時たまこんな光景に遭遇です…


 これは先月・9/8の光景です。
 我が家の菩提寺・墓地は山際に存在しますから、その参道はこんな狭い上り道が続きます。

 父の葬儀も無事終わり、翌日には親戚の方数名でお礼参りでお寺行きとなりました。
 GONsanと嫁さんは、いつものように歩いて出かけましたけど、親戚の方々は車を利用となりました。が、GONsan達がお寺に到着しましても車組の皆さんは未だヤッて来られません(^-^;

 どぅしたのだろう?…と思っておりましたら携帯に電話。
 開口一番、“何しとるん?”と尋ねますと「車が道からはみ出していて通行不能なので、廻り道するから少し遅れる…」との事。
 最初、「車が畑に落ちかかったので…」との事で“んっ?!”のGONsan。
 でも、よくよく聴きますと「ヨソの車がトラブルで通行不可」との事で一安心。

 この光景はお寺・墓参りを終えての帰路、わざわざ廻り道しましてその現場を見物しました際の光景です(^-^)
 付近に、近所の方なんでしょうか…お二人が立ち話しておられましたから尋ねてみますと、なんでも初めてお寺まで車でヤッて来られた方が、夜で周辺が見にくく道からはみ出されたとの事でありました。

 まぁそぅですねぇ〜
 初めての方でしたら、お寺までの狭い道には不慣れで子細も分かりませんし無理もありません。
 1年に何度かこんな場面に遭遇しますけど、なにしろ狭い道ですから(^-^)

 水呑の方ではないとの事でしたけど、車のナンバーから福山にお住まいの方のようではありました。
 とにかく普通車一台がヤッと通れます程度の道幅ですから、対向車でも来ようものならもぅ大変ですよ。
 どちらがバックしますかで、一もめあるかも分かりません(^-^)

 ですから、GONsanなんぞは、まず車でお寺参りをしようとは始めから考えませんけど、嫁さんはタマに車で行っておりますが…

 昨年から今年の初め頃にかけまして、お寺への参道を広げよう…との一部沿道の土地所有者の方の土地譲渡が具体化したように耳にしましたけど、結局、よくよく再考されまして翻意されました様子。
 理由は、ご自身には何らのメリットもなく、土地提供で車輛の走行が増加しますと、周辺の住民の皆様に多大なご迷惑をお掛けする事になる…との事のようですネ。

 仲々難しいものですネ。
 車輛の走行が楽になり喜ばれます方もおられれば、日々暮らします環境が悪くなると懸念されます方もおられますし…
 ただ、火災とか急病人が発生した場合に消防車・救急車が迅速に走行出来ませんから不便な事の方が多いように感じますけど、地権者の方々の了解が取れません事には、なんにも進展しませんから困ったものであります。

 この調子では、誰もが楽にお寺・お墓参りが可能となります日の訪れは、まだまだ先の事かも分かりませんねぇ〜
 難しい問題ですねぇ(^-^)//"

 

 

 

 2010年09月26日
 親戚の葬儀で大阪行き…久し振りに福山駅周辺の景観を(^.-)☆


 9/25の土曜日、この日は親戚の葬儀で大阪行きとなりました。
 ここ最近、とんと福山駅周辺にはご無沙汰で、久し振りに福山駅周辺を歩行となりました(^.-)☆

 永年慣れ親しみました“福山繊維ビル”の老朽著しい建物も取り壊され、新ビル建設が急ピッチで進行中。
 これが完成しますと、福山駅前も随分整備され福山市の都心部らしい景観に様変わり(^_^)v
 これに並行し駅南口の地下送迎場も工事中。

 何となくせせこましい感じはしますけど、これらが完成しますまで我慢、ガマン、がまん(^-^)

 3年ばかり前までは駅前に存在します職場に通っておりまして、こぅした景観は毎日眼にしておりますし、何ともない光景・景観でありましたけど、久しく駅前からご無沙汰しておりますとヤケに新鮮に眼に入ってしまいますから不思議と言えば不思議ですネ(^.-)☆
 天満屋前を歩きながら繊維ビル方向を数枚パチリ。

 福山駅に到着し新幹線ホームに上がりますと、またまたパチリ。
 「何でこんな景観を撮っているのだろう?…」と、新幹線の到着を待っておられます方々の視線が背中に突き刺さって来ますから、チョッと恥ずかしい気がしない事も…
 いつもでしたら何ともないのですけど、黒服を着ていますだけに気になりましたのかも…

 新幹線ホームから周辺の景観の眺望も、仲々イィものであります(^-^)//"

 

 2010年10月26日
 母が亡くなり1年を目前に、父まで旅立ってしまいました…


 昨年の9月29日、母が3ヶ月の入院後に逝去。母の一回忌法要を目前に父まで亡くなってしまいました。
 9月5日のP.M.10:30頃でしたか…もぅ寝ているのかと思いましたら起きてきまして「一回忌の準備は進んでいるか」の父の言葉に“あぁ、チャンと準備しているよ”と返しましたGONsan。
 父との短いこの会話から15分ばかり後に、母の逝去から1年も経ませんうちに父まで旅立ってしまいました…

 従来より脳梗塞の気がありました父で、こんな状態でも未だに車に乗りアチコチ出かけておりました。
 その先々で意識を失っては救急車で太田記念病院に搬送されておりました。
 その度にGONsan夫婦は病院に出かけますのは勿論ですけど、父の車を捜しますのに一苦労(^-^;

 父の車は毎日見ているのですけど、いざ捜すとなりますとナンバーも憶えておりませんし結構分からないものでありました。
 救急車で運ばれます度に「もぅ車は止めた方がイィのでは…」と父にお願いするのですけど、「免許の更新で不合格になれば止めるよ…」と言っておりました父。
 病院に何度運ばれましても数日の入院後に元気に退院。
 この繰り返しが何度ありました事でしょう…

 こんな状況でしたから、父が亡くなります時は、きっと大きな車輛事故を起こし即死か、意識不明の入院後に逝去なのかも…と、こんな予測を強いられておりましたGONsan夫婦。
 ただただ、どなたにも迷惑を掛けずに独り相撲での車輛事故であって欲しい…間違っても色んな方々を巻き込んでの人身事故だけは避けて欲しい…と、父が車で出かけます都度、ひたすら願っておりました。

 ですが、救急車で運ばれますのがあまりにも多く、いつの日か大事故を起こすのかも知れない…と、充分覚悟は出来ておりましたGONsan。

 が、9/5の短い会話後に意識を失いました父。
 急いで救急車を要請し、初めて我が家から救急車で太田記念病院に向かいましたけど、救急車にお世話になりますのはこの日が最後となってしまいました。

 母が亡くなり元気が無くなってしまいました父で、年相応のそれなりの平穏な日々を父・GONsan夫婦の3人で静かに過ごしておりましたけど、予期しません父の急死。
 あんなに交通事故死に危惧しておりましただけに、我が家で静かに亡くなりまして安堵感はあるのですけど、予期しなかった突然の逝去に、私も嫁さんも複雑な気持ちを抱いてしまいます。
 父の状態から、数年先には病院で入院中に静かに永眠…と思っておりました。
 その際には、介護の傍ら色んな会話も出来るだろう…と思っておりましたのに、こんな時間を持ちます事もなく父は駆け足で母の元に旅立ってしまいましたねぇ…
 あっけない旅立ちに、未だに複雑な想いが失せませんGONsan夫婦。

 1年間に二度の葬儀で、段取り・手順もよく分かって慌てる事もありませんけど、母の時とは異なりまして葬儀、七日法要、四九日法要…この間には母の一回忌法要…と、淡々と進めては行くのですけど、今回ばかりは何をするにしましても気持ちが前に進みませんでしたネ…

 嫁さんに“手順はよく分かっているけど、今回は気持ちが前に進まない…何をするにも切羽詰まってからでないと気持ちが動かない…”と、ポツンとコボしますと「私も同じ…」と嫁さん。
 予期しておりません突然の逝去では、誰しもそぅなのかも分かりませんネ…

 亡くなりました当日には、たまたま父が夕方に我が家周辺を散歩しておりまして、それを近所の方々は眼にしておられましたのでしょうか…
 翌・9/6に通夜の準備をしておりますと、「どなたが亡くなられたの?」と近所の方々。まさか父が亡くなりましたとは思えませんでしたのでしょうねぇ〜

 生者必滅会者定離…定めとは言いましても、1年を経ませんうちに父も母も旅立ちますとは実に寂しく哀しいものであるようです。
 母もそうでしたが、あっけない父の逝去…享年87歳から考えますと寿命とも言えない事もありませんけど、日々の暮らしの中で大概の事は自身で行っていましただけに、突然の旅立ちには何とも言えない複雑な想いをいつまでも抱いてしまいます…
 哀しいですネ…

 

 

  

 

 2010年10月04日
 水呑八幡神社の前夜祭・例祭…今年もまた参加出来ませんでしたネ…


 10/2・10/3と水呑八幡神社の前夜祭・例祭が開催されました。
 残念ながら昨年に続きまして喪中の身ですから、哀しいかな参加は出来ませんでしたが…

 10/3(日)のP.M.9:30頃でしたか…我が家近くで賑やかな声が聞こえますから外に出てみますと、うん、うん、御神輿が我が町内を練り歩きです(^.-)☆
 八幡神社から降りて来ました御神輿は、我が町内を一廻り。
 我が家の前の道を通過し喫茶「ホット」に向かい、この前で御輿廻し。そして集会所に向かいますのが毎年のルートなんです。

 で、カメラを手に我が家前を通過します際の御神輿を撮ろうと待ち構えていたのですけど、9/5に父を亡くし、葬儀等でお世話になりました皆様にお礼の挨拶をしています内に御神輿は通過。
 慌てて、通過しました後方から数枚パチリ(^-^;
 せっかく待ち構えておりましたのに、お礼を申し上げますのが優先ですから仕方ありませんネ。

 “ホット”の前で御神輿を廻し一休み。
 それから集会所にと向かいますけど、その光景をズームを効かせてパチリとなりました(^-^)

 この日の様子は、翌日、中国新聞sanがこんな記事で伝えておられました。

 ■けんかみこし みなぎる熱気

 --- 2010/10/04 中国新聞 ---

 江戸中期から伝わる「けんかみこし」が3日、福山市水呑町の水呑八幡神社であった。みこしを担いで走り回る男衆の熱気が境内にあふれた。

 白装束に身を包んだ約250人が、計4基のみこしを担いだ。1基の重さは300〜500キロ。もみ合いながら円陣を組む男衆の周りを、担ぎ手が「わっしょい」と掛け声を上げながら互いを追いかけ回した。

 みこしの上部に稲穂を結び、豊作を祝う伝統行事。水呑学区町内会連合会の田守豊会長(73)は「20年前に衰退しかかったが、新しい住民が増えて盛り返した。さらに活気のある祭りに育てたい」と話していた。


 …と、こんな記事で(^_^)v

 昨年は、祭りの準備をしています最中に母が逝去。
 そして今年は秋祭りの前に父が逝去…
 2年続けて祭りには参加出来ませんでしたけど、八幡神社では賑やかに御神輿が廻されましたようですネ。
 来年の八幡神社秋祭りには、2年振りに参加したいものですネ(^-^)//"

 

 

   

 2010年10月05日
 社名は変わりましても、病院名は昔のままのようですネ(^.-)☆


 親戚が入院・手術のため10/3の正午前でしたか…お見舞いで出かけましたのが鋼管病院。
 社名が『JFE』に変わりましても、未だに皆さん“鋼管病院”と呼んでおられますけど、正式にはどぅなんでしょうねぇ〜

 お見舞いとは言えせっかく鋼管病院に出かけます機会に恵まれましたから、病院の建物に向かってキョロキョロ(^-^)
 すると、うん、うん、ありましたねぇ〜建物に病院名が(^.-)☆

 近付きましてジックリ眼を向けますと、病院名は「日本鋼管福山病院」でありました(^_^)v
 皆さんが“鋼管病院”と呼ばれますのは、ふ〜ん、正しかったのですネ。
 私は“JFE病院”とでも言うのかと思っておりましたから…

 丁度、お昼時になってしまいましたけど、面会時間が「正午から」となっていますので、仕方ありません。

 受付で病室を確認しエレベーターで4階へ。
 この日が手術後3日目だったようです。
 膝がしらに水が溜まりますようで、この関係の足の手術。

 左足には、ものものしいギブスが(^-^)
 ですが、手術の翌日から歩いておられますから、手術自体はうまく行きましたご様子。
 でも、ギブスが外れますのが一週間後。
 後はリハビリに専念。
 ですから、退院までには1ヶ月近くを要しますとか…

 日頃元気な方が、突然入院ですから、さぞかし退院までは退屈されます事でしょうねぇ〜
 満足にではありませんけど歩けますから、さほど退屈でもないのかも分かりませんけど…
 こぅした入院生活をわずか1ヶ月でも余儀なくされますと、日々平凡ではありましても、元気に普通に暮らせます有り難さを痛感しますのでしょうねぇ〜

 とにかく時間の経過と共に日一日と退院日が近付くのですから、リハビリに専念し、早く自宅での生活に戻られますと宜しいですネ(^-^)//"

 

 2010年10月07日
 国勢調査調査票…気忙しい日々で提出を危うく忘れるところでした(^-^;


 9月の下旬でしたか…調査員の方が国勢調査調査票を持参されました。
 訪問時に嫁さんが受け取りまして、「10月に入ってから提出して下さい…」と言っておられたとの事。

 で、10月に入りましたらスグに提出しよう…と思っていましたにも拘わらず、スッカリ忘れておりました。
 それが10/5でしたか…たまたま机の上を整理していまして、この調査票を発見というか、まだ未提出に気付く始末(^-^;

 先月上旬から何だかんだと気忙しい日々を過ごしておりましたからスッカリ提出を忘れておりましたねぇ〜
 急いで提出期限の確認をしますが、いつまでに提出するのか記載はありませんでしたような…
 嫁さんに確認しますと、“10月に入って郵送で提出して下さい…と言っておられたけど…”との事。

 その気になればスグに記載できますけど、20分ばかり要しまして完成。
 所定の封筒に入れ我が家近くの郵便局に歩いて出かけ、ポストに投函しましたのは10/6の夜でありました(^-^)
 それにしましても、確か前回までは調査員の方が再訪により持ち帰られましたような記憶が…
 でも、今回は始めから郵送の指示。
 個人情報絡みで、郵送の方が面倒でないからかも分かりませんねぇ〜まぁ、どっちでもイィのですけど、せめていつまでに投函かの依頼はあっても良かったかも(^-^)

 ところで、国勢調査の起源は?
 WEB上で検索してみますと、こんな記載が…

 ■国勢調査の起源

 国勢調査は、最も古いのはBC3800年代バビロン王朝で行われ、約BC3000年エジプトや中国などで見られる。英語で「Census」と呼ばれ、新約聖書の「ルカによる福音書」の中に、キリストの生誕に近い時期にローマ帝国の人口調査と行われたとの記述がみられる。

 中世・近世においても、国家の運営に必要とされる情報を得るために、国家が人口・世帯に関する調査を行った事例が見られるが、それらは今日のような統計の作成を目的とした国勢調査とは性格が異なるものと考えられ、いつの時代のものをもって今日的な意味での国勢調査あるいは「Census」とみなせるかということについては定かではない。

 近代国家においては、法に基づいて人口・世帯に関する全数調査が行われるようになった。その中で最も歴史の古いものの一つに、アメリカ合衆国のセンサスがある。アメリカ合衆国では、憲法の中に、下院議員の各州の議席数はセンサスによって得られた各州の人口に比例して配分しなければならないと定められている。このため、アメリカ合衆国では、1790年以来10年ごとに国勢調査(Population and Housing Census)が実施されている。19世紀以降になると、多くの国々で、それぞれの法令に基づいて国勢調査が実施されるようになった。


 との事で、BC3800年代には既に実施されていましたとは…チト驚きであります。が、一つの国を治めますには必要な調査ではありますネ(^.-)☆

 もぅ15〜6年ばかり前の事になってしまいますけど、我が家の嫁さんも何故かこの調査員に任命されました事がありました。
 当時、パート勤務をしておりました嫁さんで、仕事がありますのに無作為抽選で調査員に任命されましたようです(^-^)
 パート勤務でそれなりに多忙なのに、隣接の町内会地区を割り当てられまして、配布と回収に何度も再訪で、時には夜間にも訪問しておりました。

 そんな嫁さんを見ていまして、調査員も大変だと痛感。
 無作為抽選で任命ですからフルタイムで勤務しておられます方が当たりましたら、どぅされましたのでしょうねぇ〜
 それにしましても、現在はどんな方法でこの調査員を任命しておられますのでしょうねぇ〜

 当時は確か郵送は不可で、必ず調査員が回収していましたような…
 今回の国勢調査調査票を記入しておりまして、15年ばかり前に山口県で暮らしておりました日々を懐かしく思い起こしてしまいましたよ(^-^)//"

 2010年10月08日
 日本は初めてアルゼンチンに勝ちましたネ(^_^)v


 今夜のP.M.9:00頃でしたか…何気なくテレビのスイッチを入れますと、「日本×アルゼンチン」の試合の真っ最中でありました(^-^)
 そぅでしたねぇ〜今夜はザッケローニ監督の初陣でありました。

 既に前半終了近くで、なんと「1×0」で日本代表がリード(^.-)☆
 どんな展開で1点を先取しましたのか興味津々。
 ですが、前半戦終了時点で入浴のGONsan。

 風呂から上がりテレビを前にしますと、後半戦は始まっておりまして、依然として日本が1点リードですから嬉しいですねぇ〜
 後半も何度か日本の得点チャンスはありましたけど、結局、1点を死守し、日本は初めてアルゼンチンに勝ちましたネ\(^o^)/
 この様子は、読売新聞sanがこんな記事で伝えておりました。

 ■ザックJ、初陣飾る…岡崎が先制、猛攻もしのぐ

 --- [2010年10月8日21時44分] (読売新聞) ---

 サッカー日本代表は8日、埼玉スタジアムでアルゼンチン代表と対戦し、1―0で勝利した。

 8月に就任したイタリア出身のアルベルト・ザッケローニ監督は、初めて指揮を執った試合を白星で飾った。アルゼンチンはワールドカップ2度優勝の強豪で、日本が勝ったのは7戦目で初めて。

 日本は19分、FW岡崎慎司(清水)のゴールで先制。その後のアルゼンチンの攻撃を粘り強い守備でしのぎきった。日本は12日、韓国・ソウルで韓国と対戦する。


 …と、こんな記事で。

 途中からのテレビ観戦となりましたけど、う〜ん、最初から観ておりましたら久し振りに日本代表チームの勝ち試合を楽しめましたのに…う〜ん、残念(^-^;
 ですが、ザッケローニ監督の初陣が飾れまして、今後の試合が楽しみとなりました。
 次は10/12の韓国戦とか…

 この調子で韓国戦にも勝ちまして、連勝街道を突っ走って貰いたいものですけど、さて、どぅしょう(^-^)//"

 

 2010年10月16日
 10/10(日)は遅ればせながら、お祝い持参で親戚行きとなりました(^.-)☆


 10/30には親戚の娘sanの挙式。
 もぅ随分前から知らされておりましたけど、慌ただしい日々で仲々お祝いも持参出来ず、切羽詰まってヤッと先日の日曜日に出かけます事が出来ました(^.-)☆

 幸いにこの日は大安で、我が家を出ましたのはA.M.10:00。
 確かこの日は、お祝い事は午前中が良かったような…

 ここ近年は挙式前に入籍を済ませておきますのが普通のようで、10/16に入籍しましたとか(^.-)☆
 初めて出会ったのが16日だから、10/16の入籍にしたとの事でありました。

 GONsanも永年転々として来ましたけど、彼氏は裁判官で高知に勤務。
 うん、うん、これまた3年毎に転居を余儀なくされますようですねぇ(^-^) でも、これがまた楽しいものでもありますが…
 とにかく、挙式後は当分会えないのでしょうから、久し振りに一部の家族で記念撮影(^_^)v

 この1年間、そして今からもまた暫くは寂しい哀しい日々の我が家ですけど、こんな中、明るい出来事がありまして、チョッと心が和らぎましたかも(^-^)//"

 

  

   

  

  

   

 2010年10月11日
 10/10〜10/11の2日間は「水呑学区ふれあい文化祭」の開催でした(^.-)☆


 10/10〜10/11の2日間は「水呑学区ふれあい文化祭」の開催でした(^.-)☆
 2日目の10/11には毎回“史跡巡り”もありまして、何にも予定がありませんと参加しておりましたけど、前年に引き続いて今回も喪中で参加ならず(^-^;

 文化祭でのこの「史跡巡り」は毎回楽しみで、水呑学区内の色んな史跡をガイド付きで巡ります。
 普段、何気なく暮らしておりますから、こんな機会でもありませんと仲々町内の史跡も巡れません。と言うよりも、何処にどんな史跡がありますのかも分かりませんし…
 これを詳しい方の説明で巡って行きますから、町内の再発見も度々なんです。

 ですから、一層楽しいのですけどネ(^_^)v

 史跡巡りのコースには勿論神社も入っておりますから、昨年は参加は遠慮。
 出かけてもイィのかも分かりませんけど、喪中に神社に出かけますと嫌がられます方もおられるでしょうから、今回も参加は断念となりました。
 で、初日の10/10には水呑小学校体育館内に展示されています『作品展』を拝見する事となりました。

 出かけますのをゴンchanに気付かれますと面倒ですから、嫁さんとコソッと我が家を抜け出しまして、ノンビリと小学校にと向かいます。
 途中、狭い田んぼに頭を垂れています稲に眼が向きましたけど、仲々豊作のようでした(^_^)v
 今月下旬頃には稲刈りとなりますのかも…

 小学校にと到着しますと、校庭では何やら開催中。
 これを横目に体育館にと直行です。
 爽やかな秋空の下、この二日間は全国各地で色んな催しが開催されましたのでしょうけど、相変わらず日中は結構な暑さ。
 少し歩きましただけなのですけど、やっぱり汗ばんでしまいましたねぇ(^-^)//"

   

   

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