2008/05/16〜05/18
講中の皆様と静岡方面のお寺巡り <5/10>

  

  

 ■2008年05月31日
 町内講中の皆様と静岡方面のお寺参りG

 土肥温泉宿泊の翌朝は、いつものように旅に出ますと必ず早朝散策のGONsanです。
 A.M.5:00に起床。
 少々寝起きは悪かったのですけど、寝ている訳にはいきません(^.-)☆

 サッサと洗顔し急いで着替え。
 A.M.7:00が朝食時間との事でしたから、今からの約2時間がGONsanに与えられました散策に使用できます希少な時間(^-^)

 土肥マリンホテルを出まして、とりあえず北方向にと向かいますと、まずヤッて来ましたのが“松原公園”でありました。
 特に何にも無さそうな普通の公園かと思いましたら、いぇいぇ決してそぅではありません(^-^)
 なんと、『世界一の花時計』が存在しますではありませんか(^_^)v
 でも、本当に世界一?!

 ネット上で検索しますと、こんな記述が…


 ■土肥温泉『世界一の花時計』

 平成3年6月18日に完成した花時計はその後「世界一の大きさ」としてギネスブックに記載されました。

 文字盤はタイル貼りで「波」と「白枇杷」をイメージした絵が描かれ、その周囲には四季を彩る1万本以上の花が植えられています。
 また、1日14回(午前8時〜午後9時)、美しいメロディを奏でたり、夜間には2基の照明灯によりライトアップされ、ロマンチックの演出を見せてくれます。


 いゃあ大変失礼致しました(^-^;
 今でも世界一なのか否かは分かりませんけど、今から17年ばかり前の平成3年6月時点では確かに世界一の花時計でありましたようですネ(^.-)☆

 この世界一の花時計を見ます為に、わざわざ展望台も設置されておりました。
 この展望台から花時計を眺めますと、うん、うん、確かに大きい花時計ですねぇ〜

 でも文字盤部分はタイル張りで、“花時計”の割りには花が少ない感も(^-^) でも、結構大きい(^_^)v
 それに時間も正確。
 いゃ、ほんのチョッと進んでいましたかも…それとも、GONsanの時計が遅れていましたのかも…
 でも、GONsanの時計も電波時計ですから大変正確な時を刻みます。
 まぁ、どちらでもイィのですけどネ…

 この土肥温泉…こぅして散策してみましても何にも無い所かと思っておりましたら、それなりに色々楽しめますようですねぇ〜
 早朝散策のまず最初の感激が、この「世界一の花時計」でありました(^-^)//"

  

 

↑↓ 土肥温泉の「世界一の花時計」です(^.-)☆ でも、本当に世界一?!

 ■土肥温泉『世界一の花時計』

 平成3年6月18日に完成した花時計はその後「世界一の大きさ」としてギネスブックに記載されました。

 文字盤はタイル貼りで「波」と「白枇杷」をイメージした絵が描かれ、その周囲には四季を彩る1万本以上の花が植えられています。
 また、1日14回(午前8時〜午後9時)、美しいメロディを奏でたり、夜間には2基の照明灯によりライトアップされ、ロマンチックの演出を見せてくれます。

 

   

 

 ■花登筐歌碑

 滋賀県大津市出身
 昭和年代の放送作家

 細うで繁盛記舞台・土肥温泉の顔はそのままの自然と客への心である
 土肥は湯と金の町 湯の中で砂金がきらきらと眩いばかりの光粒を見せる
 銭の花が白く清らかさを持つならば この花は黄金の花粉であろう

 平成8年10月 土肥町・土肥町観光協会


 …と、こんな歌碑がありましたけど、ふ〜ん、あの『細うで繁盛記』の舞台が、この土肥温泉でしたとは(^.-)☆
 勿論、そんな事は知る由もありませんGONsanですから、チョッと感動(^_^)v


 ◆細うで繁盛記

 よみうりテレビ 脚本:花登筐 演出 小泉勲
         出演:新珠三千代、高島忠夫、富士真奈美、園佳也子

 上方ど根性ものを得意としテレビ脚本6,000本といわれる花登筐の代表作。半年の予定だったが人気により、9ヶ月延長。長くなるほどおもしろくなる作者の本領発揮である。

 終戦直後伊豆熱川の貧乏旅館に嫁いだ大阪の料亭の娘、加代(新珠三千代)だが夫(滝田裕介)は不能、身内のいじめ、ライバル旅館のいやがらせを受けつつも、山水館を大手チェーン店に育て上げる。

 脇役もそろっていて、高島忠夫の初恋の人、加代を支える夫婦の大村昆・園佳也子に糸商の大友柳太朗、なんといってもいじめで話題になった小姑役の富士真奈美、加代。最初はいじめ役をいやがっていたが、ど近眼メガネをはめることで納得、静岡県三島市出身をいかした方言がはまっていた。

 ストーリー展開も、いじめ旅館も特定できるほど真実に近いもので、これは花登筐が若い頃に熱川温泉にいき、川向こうにある予約した旅館の場所を土産物屋で聞いたところ、知らないとそっぽを向かれ、その理由が川をはさんで2派にわかれて争っていることに興味をもったことから。

 商人修行もした作者の経営哲学も「飽きないで売ることが商い」「賣るという字は士と買からなる、買ってもらうために十一回訪問するのが売ることだ」などと随所におりこまれ、高度経済成長のサクセスストーリーの到達点として受け入れられた。

 このドラマが放送された木曜夜9時半からの1時間枠はよみうりテレビが大阪で制作している枠であったが、視聴率が低落傾向にあり、逆転をねらい東京支社が本社側がやめろというのを振り切って、東宝テレビ部と組んで制作。この成功を受けて、よみうりテレビは東京制作部を創設、他の在阪民放局もそれに追随することになる。

 

 ■波濤を越えて

 グアム島のプンタン・ドス・アマンテス「恋人岬」は土肥恋人岬と姉妹岬として提携し2004年9月に15周年を迎えました。
 その記念としてモニュメントを建て、両岬の友好の証とし、さらなる発展を祈念します。

 女性像の手から飛び立とうとしている「鳩」は、つがいの絆が強く、一生相手を変えないことから純愛の象徴として、どんな遠い所でも結びあった相手の元に飛んで行くと言う、愛の理想形として、また姉妹岬の強い結びつきを表すシンボルとしてこの像は設置されました。


 伊豆市観光協会  日展評議員 堤直美 作

 ◆画像

 駐車場から約500mの距離を歩いた所にあるのは小さな展望台です。
 この展望台にある鐘は通称「金の鐘」。恋人岬には愛の鐘が二つあります。その内の一です。
 よくTVや雑誌で恋人岬が紹介される際写される人気の高い愛の鐘です。

 もぅ少し時間がありまして富士山が眺望出来ます天候でしたら、GONsanもこの「恋人岬」まで出かけましたのですが、あいにくの天候で朝食時間も迫っておりましたから、出かけますのは断念でした。

 せっかくですから、無理してでも出かけてみましたら良かったのですけど…チョッと残念(^-^;

   

  

   

 

 ■若山牧水 略歴

 宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。

 1904年(明治37年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれる。1908年(明治41年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌、1909年(明治42年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。

 1911年(明治44年)創作社を興し詩歌雑誌「創作」を主宰。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。1912年(明治45年)友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。同年、喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。

 1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住。大正11年10月御代田駅より岩村田へ向かい佐久ホテルに逗留し数々の作品をのこす。

 1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち計画を断念させる。

 1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって珍島や金剛山などを巡るが体調を崩し帰国。翌年夏頃より病臥し自宅で死去。享年43。沼津の千本山乗運寺に埋葬される。戒名は古松院仙誉牧水居士。

 牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。

 

 

  

   

  

 ■旅人岬

 「旅人岬」は1998年、土肥町に誕生した新しい観光名所。
 名付け親は直木賞作家の笹倉明氏で、彼の小説「旅人岬」にこの地のことが描かれたことが由来だという。

 道路脇に設けられた無料の駐車場と展望台はドライブの休憩地としても人気があり、その入りやすさも手伝って多くの人が行き交う。ここからは手前の山に隠れて富士山を見ることこそできないが、目の前に広がるのは碧い海と空、群れをなして飛ぶ海鳥、そして空を茜色に染め上げる夕陽という壮大なパノラマ。これをそのまま楽しめるのが、目と鼻の先にある「プライベートビーチガーデン 星のなぎさ」である。

 
■笹倉 明

--- (ささくら あきら、1948年11月14日〜) ---


 
兵庫県西脇市生まれの小説家。早稲田大学文学部卒。広告代理店、フリーの雑誌記者等を経て、1980年、日本人青年の異国放浪を描いた『海を越えた者たち』(第4回すばる文学賞佳作入選)でデビュー。

 1988年、『漂流裁判』で第6回サントリーミステリー大賞受賞。翌1989年、ジャパゆきさんによる殺人事件をテーマにした長編小説『遠い国からの殺人者』で第101回直木賞を受賞。幅広いジャンルに多くの著作がある。

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →