2022/01/18(火) 笠岡市吉田「吉田大塚一号墳」散策(^.-)☆ <2/3>

 

 

 

 

 

 

 祠から少し上側に向かってみますと、うん、うん、有りましたネ。農地の方に向かいます道が…部分的ではありますけど、石を敷き詰めた立派な道であります。
 農地方向に向かって行けば、大塚古墳はスグに眼に入るモノと思い、キョロキョロしながら進むのですけど、う〜ん、古墳が眼に入りません。
 で、今は使用されておりませんような鶏舎方向に下る道がありますから、この道を下りて行くのですけど、どうにも無さそう(^-^;
 仕方なく、鶏舎のお宅で尋ねます事に(^-^)
 丁度、ご年配の女性が縁側からGONsan方向に眼を向けておられましたから、「大塚古墳は、どちらにありますのでしょう?」…と、お尋ねしますと、「スグ、そこなんですけど、分かりにくいから案内しますよ…」と、出て来られました。
 「ヒマだから、運動がてら案内しますよ…」に、「済みません、恐縮です。鶏舎は、今は、使用しておられないのですか?」…と、お話ししながら(^-^)
 「数年前に鶏は辞めた。鶏舎を取り崩してもいぃのだけど、建物が無くなれば固定資産税が上がるから、そのままにしている…」との事でありました。
 そして、近くのお宅の敷地内を横切りますと、スグそこが大塚古墳でありました(^.-)☆
 鶏舎のお宅からスグ近くでしたけど、建物の向こうですから、古墳に向かいますには、畦道の農道を大廻りするか、車を駐めています方の道から大廻りするしかありません。
 ですから、わざわざ、近くのお宅の敷地内を横断しますルートを、ご自身で案内下さったようであります(^_^)v
 ご年配の女性には、丁重にお礼を申し上げ、後はジックリと「吉田大塚一号墳」を拝見です。
 古墳近くには、こんな案内板が設置されてありました。

 ◆吉田大塚一号墳

 横穴式石室(石を組み合わせて造った、棺を納めるための部屋)を持つ古墳です。
 石室の入口が少し壊れて短くなっています。現在の石室全長は6.3メートル、幅は1.5メートルあります。高さは、1.7メートルです。
 石室の構造からみて、この古墳が造られた年代は、古墳時代後期、六世紀後半のころだったと考えられます。古墳は有力者の墓であり、このあたりに1,400年以上も前から人が住んでいたことをうかがわせます。

 --- 笠岡市教育委員会 ---


 …と、案内板には、こんな記載がありました。『注意!安全を心掛けて見学しましょう。』との注意喚起も(^-^)
 WEB上で、「吉田大塚一号墳」を検索してみたのですけど、哀しいかな、詳しい記述は見当たりませんでしたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 この古墳の石室の入口が少し壊れて短くなっています…との事ですから、長い年月の間に盗掘に遭っていますのでしょうねぇ〜
 古墳の説明板には、出土品の記載は何にもありませんから…
 古墳に隣接し、「西山家祖宗霊碑」と刻まれました立派な石碑が…古墳時代後期、六世紀後半の頃の有力者の古墳なのでしょうけど、「西山家」と何らかの繋がりが有りますのか否か、知る由もありません。
 どぅなんでしょうねぇ〜
 古墳の周辺をグルッと廻りながら、画像に撮りまくりです(^-^)
 それでは、石室の中に入ってみたいと思います(^-^)//"

 

 

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