2022/02/28(火) 福山市熊野町「一乗山城跡」散策 <4/4>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天満宮を参詣・拝見後には、すぐ近くの寺迫荒神社にも立ち寄ってみます事に。
 「荒神社」は、福山市内にもアチコチに存在しますけど、そもそも「荒神社」とは、何を祀っていますのでしょう…
 WEBには、こんな記載が…

 ◆荒神

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 荒神(こうじん)とは、日本の民間信仰において、台所の神として祀られる神格の一例。

 ・概要

 多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと思われる。現在では純粋に神道の神として説明されるケースもあるが、それらは江戸国学以降の思弁によって竈神を定めたものにすぎない。神道から解くにしても仏教から解くにしても、「荒神」という名称の由来も、民俗学が報告する様々な習俗や信仰形態、地方伝承なども、十分に説明できる説は存在しない。極めて複雑な形成史をもっていると考えられている。

 ・信仰史

 荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようである。各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。
 荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある(三系統ともいう)。屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」、屋外の「地荒神」である。
 屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。
 御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。
 牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。

 ・種類

 家庭の台所で祀る三宝荒神と、地域共同体で祭る地荒神とがある。地荒神の諸要素には三宝荒神にみられないものも多く、両者を異質とみる説もあるが、地荒神にみられる地域差はその成立に関与した者と受け入れ側の生活様式の差にあったとみて本来は三宝荒神と同系とする説もある。ただし地域文化の多様性は単に信仰史の古さを反映しているにすぎないとも考えられるので、必ずしも文化の伝達者と現地人のギャップという観点を持ち出す必要はない。

 …と、こんな記載がありましたけど、小難しい事はよく分かりませんGONsanですから、詳細はスルーです(^-^)
 こじんまりと存在します「寺迫荒神社」ですけど、手入れが行き届いていますのか、お社自体は比較的新しいと言うかキレイでしたネ(^.-)☆

 

 

 

 

 

 

 

 それでは、寺迫荒神社とお別れし、我が家にと退散です。
 途中、再度、熊野水源地の堰堤で、一乗山城跡・常國寺方向を眺望です。この日は風も無く、熊野水源地の水面が波も無く、実に穏やかでありました(^-^)//"

 

 

 

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