横浜市 JR桜木町駅・山下公園 <1/6>
伊勢山皇大神宮

 --- 由来・社殿 ---

 「関東のお伊勢さま」と親しまれる当宮は、明治初年国費を以て創建されたお宮で、神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。境内は、3900余坪、御社殿は唯一神明檜造で、大昔の堀立造りの面影を残し、屋根の千木(角の様な形)と鰹木が特徴です。

 神明奉仕は地面に起立したままの姿で行う立礼と称する作法と定められています。かつては、久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが、神社名、創建年代も不詳です。明治に神仏分離、国家神道の時代となり、当地横浜は国の貿易の要として港が開かれると、市民の心を一つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み、国家の鎮護を祈る為に、明治3年4月14日、時の神奈川県副知事の井関盛良氏が太政官に建白書を送り「伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん」との布告をいただき、社殿をはじめ諸所の境内施設の建造が始められました。

 翌年4月15日、これらの施設が次々と竣工され、正遷宮が執り行われ、地名が野毛から伊勢山へと変えられました。横浜で市民を挙げてのお祭りは初めての事で、壮大華美を極めた様子でした。明治5年太陽暦の採用で例祭日が5月15日に変わり、戦前の御祭礼には市内官公庁をはじめ、会社、工場、学校に至る迄休日となり、まさに市民挙げてお祝い申し上げたとのことです。

 当初の氏子総代は、大谷嘉兵衛・幸兵衛、茂木総兵衛、箕田長二郎、近藤良燕氏等、日本の経済界に君臨された横浜の重鎮たる人々でした。以後、横浜の名士の方々が総代に就任しています。旧来の社殿は関東大震災の禍を被り、ことごとく倒壊し、現在の御社殿は昭和3年新たに復旧建造されたものです。表参道の二の鳥居は昭和45年、御鎮座百年を記念し、横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので、総檜造り、一の鳥居は昭和55年御鎮座110年を記念して建て替えられました。

--- 伊勢山皇大神宮のホームページより ---

  

↑↓ 宿泊ホテル近くの“伊勢山皇大神宮”です(^.-)☆

  

  

↑↓ 宿泊ホテル近くの“伊勢山皇大神宮”です(^.-)☆

  

  

(左)(中)横浜能楽堂です (右)“伊勢山皇大神宮”近くに存在します“掃部山公園”内の「井伊直弼」公の像です(^.-)☆

  

(左)(中)横浜開港のきっかけをつくった井伊掃部頭直弼の銅像です(^.-)☆ (右)その功績を記しました碑です(^_^)v

掃部山公園

 神奈川奉行所の跡地で、横浜開港に貢献した江戸時代末期の大老、井伊掃部頭直弼[いいかもんのかみなおすけ]ゆかりの公園。

 彼を偲び彦根藩士有志がこの地を買い取り記念碑を建てたのが1881年(明治14)で、1909年(明治42)に銅像が建立された。県立青少年センターの近くにある小ぢんまりした静かな公園だが、市内有数の桜の花見の名所として知られている。

  

↑↓ 掃部山公園内の景観です(^.-)☆ (右)「3/28(日)予約 ○○建設梶vの表示板と共に陣取りの縄張りがありました(^-^)/

  

  

(左)(中)掃部山公園内の景観です(^.-)☆ (右)野毛山公園近くの路上で…

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