浄土寺奥の院・戦艦大和 <3/3>
 ■尾道での映画ロケ…順調に進捗していますようですネ(^.-)☆

 千光寺公園から見下ろせます尾道水道対岸の、広島県向島町の日立造船向島西工場に実物大でセットされています「戦艦大和」。
 もぅ随分前の中国新聞に、こんな記事の掲載がありましたけど、尾道での映画ロケ…順調に進捗していますようですネ(^.-)☆
 
 映画撮影前に「大和」で祈り 向島のロケ地
 
 --- 2005/03/26 中国新聞 ---
 
 戦後60年の記念企画として製作される映画「男たちの大和/YAMATO」が26日にクランクインされるのを前に、撮影の安全を祈る神事が25日、ロケ地である広島県向島町の日立造船向島西工場であった。製作に当たる東映が開いた。
 
 長さ130メートル、幅40メートルの戦艦大和の前半分を再現したセットの甲板上に、エキストラやスタッフら計約100人が集まった。プロデューサーの角川春樹さん(63)が祭壇に向かって祝詞を奏上。続いて、原作者の辺見じゅんさん(65)や監督の佐藤純弥さん(72)ら関係者10人が玉ぐしをささげた。
 
 角川さんは「戦争で亡くなった人への鎮魂の思いをもって臨んだ。世界に誇れる映画にしたい」と話していた。
 
 「大和」ロケ始動 造船工場に実物大セット
 
 --- 2005/03/27 中国新聞 ---
 
 戦艦大和の乗組員たちの壮絶な生きざまを描く東映製作の映画「男たちの大和/YAMATO」が二十六日にクランクインし、広島県向島町の日立造船向島西工場に設けた実物大セットでロケが始まった。
 
 初日は、大和に乗り込む海軍特別少年兵たちが、上官に着任報告するシーンを撮影した。髪を短く刈った少年兵役の役者やエキストラら約六十人は、駆け足で甲板に整列。スタッフから「もっとあごを引いて」などと指導を受けた後、本番に臨んだ。
 
 実際の大和の全長は二百六十三メートル。セットは全長百三十メートル、幅四十メートル、高さ十五メートルで、船の前部を再現している。今後、船首部分約六十メートルを増築する。六月下旬にクランクアップし、十二月に全国公開する。
 
 佐藤純弥監督は「映画を通じて、大和にまつわる人間ドラマを現代によみがえらせたい」と話している。
 
 …と、こんな記事でしたけど、この“戦艦大和”は、当時、広島県呉市で製造されましたのです。
 久しく映画館に出かけまして映画を楽しんでいませんGONsanですから、これをイィ機会12月に公開されましたら見てみたい気持ちも致しますよ。
 
 戦艦大和…実物の全体像は、当時としましては実にデカかったのでしょうねぇ〜
 
 「戦艦大和記念碑」
 
 ■愛知県名古屋市・愛知県護国神社
 
 --- 碑文 ---
 
 戦艦大和は日本が建造した世界に誇る史上最大最強の戦艦であった。

 第二次世界大戦中海上作戦の中枢として活躍していたが、昭和20年に入り戦況急迫し、ついに連合軍が大挙して沖縄に進攻して来たとき海上特別攻撃隊旗艦となり、巡洋艦矢矧及び駆逐艦8隻とともに徳山沖を出撃して、この敵艦隊に対し特攻不帰の悲壮なる突入作戦を決行した。
 進撃の途上、優勢なる敵機の連続猛攻を受け勇戦敢闘したが、われには一機の護衛機もなく被害は累積して遂に沈没す。
 この時、伊藤司令長官有賀艦長以下乗組員弐千七百有余名は、艦と運命を共にした。
 時に昭和20年4月7日沖縄の北480粁。
 想うに、この世紀の巨艦を造り得た国民の気魄と祖国の危急存亡のときにのぞみ、甘んじて死地に投じた崇高なる精神とは永くわが民族の中に脈動するであろう。

 ここに大和主砲弾を安置して、光栄ある海軍を記念するとともに、大和をはじめ幾多殉国の英霊に感謝の誠を捧げあわせて祖国日本の繁栄と世界平和を祈念する。
 
 (昭和42年4月7日 東海地区 戦艦大和会)

 

(左)(右)憩いの森展望台付近の八重桜…大変キレイでしたネ(^.-)☆

   

(右)向島へのフェリー桟橋です(^.-)☆

 

   

(左)(中)映画ロケで必要なのでしょうか?…対岸からトランペットの甲高い音が聞こえて来ました(^.-)☆

 

↑↓ 映画ロケ用に製作されました実物大の“戦艦大和”です(^.-)☆

 

 

↑↓ 映画ロケ用に製作されました実物大の“戦艦大和”です(^.-)☆

 

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