第30回 矢掛の宿場まつり <3/7> |
矢掛の大名行列
江戸時代の大名行列を再現する矢掛の大名行列は、郷土史に造詣の深い大通寺の住職・柴口成浩氏と商工会の経営指導員・川井武夫氏が旧山陽道の宿場町矢掛のアピールと商店街のイメージアップと活性化のために昭和49年より全国の歴史イベント資料を取り寄せ研究し、大名行列の実施を商工会役員に提案していました。
昭和51年9月8日から13日にかけて60年振りと言われる豪雨をもたらした台風17号は矢掛町に空前の大災害をもたらし、とりわけ低地の矢掛市街地は大半が床上浸水するという甚大な被害を受け、商店街の人々は心身共に疲弊し、明日への活力を失いかけていました。
その時、大通寺の住職・柴口氏と経営指導員・川井氏が、商工会青年部長・山岡治喜氏、商工会役員・坪井佑二氏に商店街の復興を期して大名行列の開催を提唱し、山岡・坪井両氏が先頭となって商工会長・川上昌一氏や意気消沈の役員の説得をはじめ、財源確保に奔走するなど、熱意が困難を克服して、同年11月「矢掛の商工まつり」“大名行列”の実現に至りました。
京都風俗研究所「井筒」で衣装等の指導を受け、時代考証指導・中山和氏、振付指導・武内武士氏、総括・柴口成浩氏の指導で第一回矢掛の商工まつり大名行列が行われ、総勢100余名に及ぶ大編成で江戸時代の参勤交代の様子を再現し、華麗さと威厳を放つ幻想の世界に沿道の見物客は圧倒され、まつりは大成功に終わったのでした。
現在、大名行列の実施には商工会・観光協会を主体にした「大名行列実行委員会」が設置され、まつりも「矢掛の宿場まつり」と名を変え、毎年11月第二日曜日に町内各層の協力のもとに実施され、現在では80名で行列は編成されています。
脇本陣(高草家)
脇本陣高草家は大庄屋であった旧家です。屋敷は敷地約600坪で、東から松陰楼、薬医門、表屋、家老門を備え、豪壮な構えです。昭和44年と同57年に国指定重要文化財に指定されました。
入母屋造りの本瓦葺、中央に通り土間が裏門まで続き、表格子は格調高い美しさを醸し出しています。建物の意匠は、全体に明るく落ち着きがあり、備中南部民家の特色をよく現わしています。
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