霞ヶ浦・亀城公園(土浦城) <1/3>

霞ヶ 浦

 紫峰筑波山がそびえ、帆引舟が湖面を走る…水郷筑波国定公園の中心を成し、ふるさとの美しい風景として人々に愛されている霞ヶ浦。湖面積は日本で二番目 の広さを誇り、豊富な水で地域の暮らしや産業を育んでいます。

 霞ヶ浦の流域は44市町村にまたがり、その面積は2,157kuと茨城県の総面積の約1/3に相当します。その流域は全国一を誇るレンコンの生産量やコ イ養殖生産量に象徴されるように、農業、畜産、水産業等が盛んで、霞ヶ浦はそれらの水資源として利用されています。加えて、鹿島コンビナート等への工業用 水としても利用されています。

土 浦城跡および櫓門(県指定史跡 第1号)

 
土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らした濠を固めとする水城でもあった。城は、城跡に指定されている 本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規模をもつものであった。

 江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓が ある。

 戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。江戸時代の城主は松平(藤井氏)、西尾氏、朽木氏、土 屋氏、松平(大河内氏)と変わったが、土屋政直が再び入城して、以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。

 明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに亀城公園となっている。
  

(左) JR土浦駅前の夜景です(^.-)☆ (中)桜川から桜川橋・霞ヶ浦方向を撮りました (右)土浦駅前の早朝の景観です

  

(左) 早朝の土浦駅前・イトーヨーカドーの光景です (中)(右)土浦駅近くの霞ヶ浦です

  

↑↓  霞ヶ浦の景観です



  

(左) 霞ヶ浦 (中)(右)土浦駅周辺の景観です

  

(右) 亀城公園<土浦城>です(^-^)/
(左)土浦駅から亀城公園に向かう途中のイトーヨーカドー近くの景観です  (中)イトーヨーカドー側面のオブジェです

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