富山県 富山市 富山城址公園 <1/4>

  

(左)JR魚津駅構内の景観です (中)(右)JR北陸本線・富山駅前の景観です(^.-)☆

  

↑↓ (左)JR魚津駅構内の景観です (中)(右)JR北陸本線・富山駅前の景観です(^.-)☆

  

(中)このオブジエは、私が幼少時の富山の置き薬の行商の方を思い出させますネ…

富山の薬売り

 富山の薬売りは置き薬商法といって、薬売りが定期的に廻り、薬を置いて使用した分だけ代金を頂く商法です。

 このような商売は外国ではまず見られず、売り手と買い手の信用に立った商売で極めて日本的なすばらしい商売です。今も富山の置き薬の伝統は生きています。

 また、この像にもあるように、薬売りの行李には子供の土産用に紙風船などがはいっており、これが行く先々の子供の楽しみになっていたようです。

   

(右)城址公園近くの県民会館前の景観です(^.-)☆

富山城址公園

 1532年(天文元)に豪族水越勝重が建てた富山城は、たび重なる焼失や明治維新での取り壊しなどでほとんどの建物を失った後、1956年(昭和31)に城址公園として整備された。緑豊かな公園には天守閣が再建され、夜はライトアップされた姿が美しい。

 また、桜の名所でもあり、春には多くの花見客で賑わう。

  

↑↓ 富山城址公園内の景観です(^.-)☆

  

(左)(中)富山佐藤美術館です

佐藤記念美術館

 富山県砺波市出身の実業家であった故・佐藤助九郎が中心となり1961年に開館。

 1991年から開館30周年を記念して増改築工事を行い、1993年に再びオープンする。そして2002年4月に建物と所蔵作品などの全てを富山市に寄贈し、現在に至る。

 館蔵品は、佐藤家より寄贈を受けた、中国・日本・ペルシャなどの古陶磁、日本の近代絵画、墨蹟など多岐にわたる。これらの作品は、平常展で臨時公開する他に、東洋古美術を紹介する特別展を年二回程度開催している。

  

↑↓ 富山城址公園内の景観です(^.-)☆

前田正甫(まえだ まさとし)

 越中富山といえば薬売り。 その元祖となったのが、富山藩2代藩主、前田正甫(まえだ まさとし)です。

 時は元禄3年(1690)、江戸城においてのこと。岩城三春の藩主、秋田河内守がにわかの腹痛。河内守が腹痛に苦しむのを見た正甫は常備している薬「反魂丹」を印籠から取り出し飲ませたところ、たちまちのうちに痛みがおさまりました。

 これを見た諸国の大名が「ぜひ拙者の国にもひろめてくだされ」と正甫に頼みました。そこで正甫は、領地から出て全国どこへでも商売ができる「他領商売勝手」を発布。これにより富山の薬売りが生まれたとのことです。

 加賀金沢藩主の前田利常は二男の利次に分封を願い出て許された。
 当初、越中婦負郡6万石、新川郡で1万6千石、加賀能美郡で2万石であった。婦負郡の百塚に城を築こうとするが、費用面で断念し、加賀金沢藩領内にあった富山城を借りてスタートする。

 城が自藩領内にないという、異常な状態は、その後金沢藩と領地交換をして解消し、その際10万石となる。
 二代藩主前田正甫は、自身が病弱だったこともあり、薬に興味を持ち、自分でも調合したり、内外の薬の製法を領内に広めさせた。富山の売薬の基礎を築いた。

   

(中)(右)富山藩二代藩主・前田正甫公の像です(^_^)v

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