秋田
市“千秋公園”・院内銀山“異人館”・新庄市“最上公園” <4/5> |
院
内銀山
院内銀山は慶長11年(1606)に発見され、佐竹藩直営の銀山として経営されました。
天保4年(1833)から約10年間は年間の産銀量が千貫を越え、「天保の盛り山」と称される最盛期を迎えます。この当時の銀山は人口15,000人あ
まりを数え、城下町久保田(今の秋田市)をしのぐほどの活況を呈したと伝えられます。
その後、明治維新をへて新政府直轄の経営となり、近代化を推し進めていきます。
しかし、銀価の崩落や鉱脈の堀り尽くしなどでしだいに衰退し、昭和29年(1954)には完全閉山し、約350年にわたる長い歴史の幕を閉じました。
今も院内銀山跡地には当時の坑口などが見られ、かつての面影がしのばれます。
(左)
千秋公園内の庭園です (中)千秋公園内の弥高神社です (右)JR“羽後本荘”駅前の景観です
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JR“羽後本荘駅”です (右)JR“院内”駅前に存在します“院内銀山・異人館”です
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いずれも“院内銀山・異人館”内で撮りましたものです (中)銀の鉱石です(^_^)v
(中)
(右)いずれも、JR“院内駅”構内の景観です 左の建物が“院内銀山・異人館”です(^.-)☆
(左)
院内から新庄に向かう奥羽本線車内で、運転席を(^.-)☆ (中)(右)新庄市の“最上公園<新庄城趾>”です