鞆軽便鉄道の 鉄橋台の名残り
 ■2007年02月05日
 昨日・日曜日は、陽気に誘われて我が家近隣を散策でした(^.-)☆

 昨日・日曜日、陽気に誘われまして梅の開花を求めて我が家近隣を散策となりましたけど、その際に、ついでにと「鞆軽便鉄道」の名残り“鉄橋台”もパチリとなりました(^.-)☆
 
 ■鞆軽便鉄道(画像下段:右から2枚目)
 鞆街道とほぼ同じ道にレールが敷かれ明治44年起工。1913(大正2)年11月18日開通式。
 福山〜鞆間をむすび全長 12.5km。福山−野上−稲荷−妙見−水呑−葛城−田尻−鞆の各駅。
 「ラッキョ汽車」と呼ばれた小型の蒸気機関車などが1954(昭和29)年まで、芦田川や田尻町の急傾斜を黒煙を上げながら力強く走り抜けた。
 
 ■鞆駅の風景(画像下段:右から1枚目)
 
 ■水呑・田尻の境界に存在する三分坂
 ここでは、乗客が多いため上ることできずストップ。仕方なく乗客は歩いて坂を上ったり後から押したりした。坂の上で再び乗り込んで列車は福山・鞆へ向った。
 
 ■鞆軽便鉄道の鉄橋台の名残り(画像2段目左2枚)
 
 こんな鞆軽便鉄道ですけど、GONsanが5歳の時に廃止。以降はバスにと転換されてしまいましたけど、廃止当時は幼稚園児のGONsan。レールの上に瓶のフタを置いては潰して貰って遊んでおりましたのが、今でも鮮明に蘇ってしまいますよ(^-^)
 
 今ではこんな事をしますと犯罪となってしまいますけど、当時はGONsan達のごく普通の日常の遊びの一つ。
 GONsan達に向かって笑いながら運転しておられた機関士sanの面影が未だに浮かんで来てしまいますよ(^.-)☆
 
 昨日はノンビリと散策しながらこの鉄橋台に眼が向きまして、遠い昔の良き時代が脳裏に蘇ってしまいましたネ(^-^)
 当時の面影が残っていますのは、我が町・水呑では確かここだけなんだと思うのですけど…
 
 今の世の中がイケないと言うのではないのですけど、当時は平和でノンビリトとして本当に良き時代でしたネ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

  

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