千葉県 館山市 <4/7> |
館山城
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐後、安房一国の領主と認められた里見義康は、ここ館山の地に新府を築城。父祖以来の領地経営に専念した。
義康死後はその嫡子忠義が家督を継承。1603年、江戸幕府開闢の年である。
当年10歳の忠義は御家安泰の為に家康の重臣大久保忠隣(おおくぼただちか)の娘を娶り、強力な後ろ盾としようとしたのあった。
が、幕閣の権力闘争に敗れた忠隣は、1614年に陰謀の疑いで改易されてしまう。
里見忠義は大久保一派に連座させられ伯耆国倉吉へ移封、館山城は廃城となる。幕府としては江戸の目前にいる外様大名を追い払う恰好の機会であったのあろう。
ちなみに、この忠義が失意のうちに亡くなると、遺臣8人が後を追って殉死。悲劇の君主に殉じた里見八賢士が滝沢(曲亭)馬琴「南総里見八犬伝」のモデルである。
現在館山城址には、昭和57年に天守閣が再現され館山市のシンボルとなっている。
城址公園からは館山の町や東京湾が一望できる。
(左)(中)(右)館山城・城山公園の景観です(^.-)☆
↑↓ いずれも館山城・城山公園から相模湾・館山湾を展望したものです(^.-)☆
(右)これは貨物船ではなくて旅客船でしょうか…昨日からズッと停泊されたままでしたけど…
富士山は見えませんでしたけど、ここからの展望は仲々素晴らしいものでしたネ(^_^)v
(右)自衛隊の館山航空基地です(^_^)v 何度もヘリコプターが離着陸の演習を繰り返しておりました(^.-)☆
(左)朝靄がかかりました館山市内…これもまたイィ景観でした(^_^)v
(右)“八遣臣の墓”の標識に誘われまして進んでみました(^-^)/
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |