2007 三原・神明市 <1/2>
 ■2007年01月28日
 備後路に春の訪れを告げます「三原神明市」…今年は2/9〜2/11の開催なんですネ(^.-)☆

 JR三原駅で貰われましたのでしょうか…三原市から通勤しておられます同僚が、今年もまた「三原神明市」のパンフレットを持参してくれました(^_^)v
 備後路に春の訪れを告げます「三原神明市」…今年は2/9〜2/11の開催のようですネ(^.-)☆


 ◆三原神明市

 三原神明市は、伊勢神宮を祀った神明祭が由来で、室町末期にこの祭りが全国に広まり、三原もその頃、九つの町組が寄り合って始めた事が起源と言われております。
 三原城を築いた小早川隆景、この祭りを大切な物とし、初市として周辺の特産物の集積を図り、瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の様子を見て、その年の富凶を考量されたと言われます。
 その遺風は、備後地域の春祭りのさきがけとして、現在まで受け継がれております。


 …と、こんな記載が頂いたパンフレットにはありますけど、ダルマ市・植木市をはじめ400軒以上の露店が立ち並ぶ三原神明市は仲々の圧巻のようです(^.-)☆

 GONsanも直近では一昨年に出かけましたけど、数多くの露店を巡りながらの散策は結構楽しいものではありました(^_^)v
 この“三原神明市”のシンボルとして「日本一の大ダルマ」がありますけど、


 ◆大ダルマ

 神明市のシンボルになっている大ダルマは、高さ4.3m、廻り(直径)3.5m、重さ180kgです。
 高さ4.5mのところに設置されます。
 この大ダルマは、昭和35年(1960年)に製作されたもので、平成8年(1996年)に、大規模な修繕がおこなわれました。
 今では、神明市そのもののシンボルともいえるこの大ダルマですが、もともとは、東町四丁目町内会が、「だるまくじ」を販売する目印に、昭和25年頃から設置したのがはじまりといわれています。
 平成18年(2006年)には、道路拡張により、新しい台座が用意されました。


 …との事のようです(^_^)

 天気に恵まれましたら、今年もまた大勢の方々が神明市を訪れられるものと思います。
 “三原神明市”の声を耳にしますと、あぁ、備後路に春が訪れたなぁ〜と感じてしまいますよ。

 今冬は暖冬でしたから、さほど春の訪れを待ち望むと言う気持ちは薄いのですけど、それでも陽気な春の訪れが近付きましたのは多生嬉しい気持ちではありますネ(^-^)//"


 ■2007年02月13日
 三原神明市…3日間賑わいだようですネ(^.-)☆

 三原市から通勤しておられます同僚が、「三原神明市」の画像を届けてくれました(^.-)☆
 初日の2/9(金)こそ小雨がパラついたようですけど、土・日曜日と暖かい晴天で、今年もまた大勢の人出で賑わいだようですネ(^_^)v

 2/9(金)〜2/11(日)の3日間の開催でしたが、中国新聞sanもこんな記事で“三原神明市”の様子を伝えておりました。


 《にぎやかに神明市閉幕》

 --- 2007/02/12 中国新聞 ---

 山陽路に春と福を呼ぶ、三原市の三原神明市が11日、閉幕した。JR三原駅周辺で3日間、400近い露店が軒を連ね、縁起物のだるまなどを買い求める人々でにぎわった。近隣にないスケールの露天市は、三原駅北側を東西に走る市道約1.5キロに及ぶ。本町中央通りには、「ダルマ供養塔」を設け、お役目終了の祈願だるまを引き取る。今年初めて、ひな壇ならぬ「だるま壇」を置き、赤い山が観光客の目を引いた。

 …と、こんな記事で。

 同僚から届きました画像を説明させて頂きますと、
 画像1段目:東西約1.5キロの市道に400近い露店が並びます。
 画像3段目:神明市の名物「日本一の大だるま」が、にらみを利かします。
 画像4段目右端:供養塔に今年から登場の「だるま壇」。満願成就のだるまもあれば、そうでない印のものも…

 毎年、この大だるまの設置に費用が200万円程度要すとか要さないとか…クレーン車により設置されるようですネ(^-^)
 例年ですと、神明市の開催1週間前に設置されるようですけど、今回は少し遅れまして開催数日前にヤッと設置。なんでも、200万円の負担を何処が行うのかもめて遅延となったとか…


 ■三原神明市

 「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことを言います。
 この信仰が全国にひろまったのは、室町末期で、三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われております。
 毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露天が立って、身動きならない程の人出で賑わいました。
 三原城を築いた小早川隆景は、この祭りを大切なものとし、瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の模様を見て、その年の豊凶を考量されたと言われています。
 備後地域の春祭りのさきがけとして、その遺風は現在まで受け継がれています。


 …と、こんな歴史のありますお祭りなんですけど、開催準備の段階では色んな問題も時として生じますようですネ(^.-)☆

 面相がどれも違う「三原だるま」(実際は岡山県の玉島で作られるのが多いようですけど)は、手作りならではの味。
 歴史のあります春を呼ぶ賑やかなお祭りとして、いつまでも継承されて行きますと宜しいですネ(^-^)//"


 ■2007年02月14日
 神明市の3日間の人出…昨年より少し多く30万人を越えましたようですネ(^.-)☆

 新聞によりますと、神明市の3日間の人出…昨年より少し多く30万人を越えましたようですネ(^.-)☆

 《三原神明市に30万人の人出》

 --- 2007/02/14 中国新聞 ---

 三原神明市協賛会は13日、「三原神明市」の人出が、過去最多の計30万8600人だったと発表した。暖冬で露店の買い物客らが増え、29万2600人だった昨年に続き過去最多を更新した。三原神明市は、9日から3日間、三原市のJR三原駅周辺で繰り広げられた。400近い露店が軒を連ね、縁起物のだるまなどを買い求める人々でにぎわった。近隣にないスケールの露天市は、駅北側を東西に走る市道約1.5キロに及んだ。

 …との事。

 人出も年々増加の傾向にありますようですネ(^_^)v
 同僚曰く「毎年、神明市の開催時期には実に寒いけど、今年ばかりは大変暖かかった…」と。神明市の声を聞くと春の訪れを実感する…とも(^.-)☆

 とにかくズラッと並びます400もの露店は仲々の圧巻。
 “三原神明市”も、年々メジャーなお祭りへと向かっていますようですネ(^-^)//"

   

 

   

   

   

  

 

   

   

 

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