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この半島の先端に「地蔵鼻」は存在しまして、現在まで、こんな由来が伝えられています。「地蔵鼻の由来」
昔、美可崎の城主・金山亦兵衛康時は、琴の修行のため都に向かう周防の高橋蔵人の娘を関所破りの罪で捕らえましたが、娘の美しさと娘のひく絶妙な琴の調べにすっかり心を奪われ、島にとどまり自分に仕えるよう命じたところ、娘には周防に思いをよせる若者がいたため応じませんでした。すると康時は腹を立て娘を浜で切り捨ててしまいました。
それからまもなく、夜になると娘のすすり泣く声とともに琴の音が聞こえはじめ、康時は夜ごと悩まされ続けました。
そこで、渚の自然石に地蔵尊を彫り娘の霊を手厚く供養したところ亡霊に悩まされなくなったということです。その後、その話を聞いた周防の若者が地蔵鼻で娘の後を追い海に身を沈めました。
すると地蔵の眼からはポロポロと涙がこぼれ落ち、それはみるみるうちに小石となって辺りに散らばったと言うことです。この鼻の地蔵さんに祈願し、娘の思いが込められた小石を持ち帰ると恋が成就すると言われ、縁結びの願いを込めて多くの若い女性が訪れています。
その後、子授け、安産、女性の願いごとがかなえられると言われています。
祈願がかなうと石地蔵を作ってお礼参りをする習慣があります。
毎月旧暦の24日は命日とされており、地元の人々はもちろん、近隣の島々や遠く県外からの参拝者で賑わいます。
因島の「鼻の地蔵」で400年祭
'98/8/30 --- 中国新聞 ---
女性の願い事をかなえるお地蔵さんとして、古くから親しまれて いる因島市三庄町の「鼻の地蔵」が、地蔵鼻岬の自然石に刻み祭られてから四百年を迎える。これを記念して地元住民たちが二十九日、四百年祭を開いた。
鼻の地蔵には、側女になるのを拒んだ娘を切り殺した因島村上水軍の武将・金山亦兵衛康時が、娘の亡霊に夜な夜な悩まされたため、供養するためなぎさの石に刻んで祭った、との言い伝えが残っている。地蔵のそばには、一五九九(慶長四)年と刻んである。
満潮時には地蔵の下半身が潮に浸かることから、やがて「子授け地蔵」などとして信仰を集めるようになった。傍らの石を持ち帰ると、安産や病よけなど女性の願いがかなうとされ、海岸に沿う参道には、願い事が成就した人たちがお礼に持ち寄った小さな地蔵が並べられている。
四百年祭には約二千人が集まった。地蔵鼻沖に浮かべられたフェリーでは、殺された娘が得意だったという琴の演奏や記念法要などが営まれ、地蔵の周りには「鼻」と「花」をかけて四百本のヒマワリやキョウチクトウが供えられた。
三庄町の主婦木村美智子さん(63)は「孫が生体肝移植の手術を受けた時に祈願にきましたが、御利益あって成功しました。感謝の気持ちを込めてお参りしました」と話していた。
【写真説明】ヒマワリやキョウチクトウなどを供えて地元住民たちが開いた「鼻の地蔵」の四百年祭