因島山びこ会“高御位山縦走”のご報告です(3/3)

 
 “高御位山縦走”を終えてからの帰路は、「せっかく姫路に来たのだから…」と、姫路城に立ち寄りまして、「姫路城見物」「好古園入園」の二グループに分かれまして、それぞれ1時間半程度の散策でした。

 私は、どちらにも出かけたかったのですけど、「姫路城見物」の選択でした。
 現存しますお城で国宝は、この「姫路城」と「松本城」「犬山城」「彦根城」の4城のようです。
 いずれも木造の構造物である事がその理由なのでしょうネ。
 
 考えてみますと、400年余も昔には、日本国内に500を越えますお城が存在したのでしょうが、これらの秀麗古雅な構造物が「木造建築物」である事は、当時の建築技術の高さを嫌でも感じてしまいます。「姫路城」は世界文化遺産に指定されていますし、凄いですねぇ〜
 皆さんよくご存知のお城ですから、今さら「姫路城」を説明させて頂く必要もないのですけど、せっかくですから、入場券の裏面より少し抜粋させて頂きますネ(^-^)
 

姫路城の沿革

 姫路城(白鷺城)は、元弘3年(1333)赤松則村、貞範父子がはじめて城郭を築いたといわれるが、天正8年(1580)羽柴秀吉が西国支配の本拠として濠を巡らし、三層の天守を築いてここに近世城郭の異彩を放った。

 関ヶ原の役後、その戦功により徳川家康の女婿池田輝正が姫路城主となり、慶長6年(1601)から8年の歳月をかけ、鎮西の城塞を造営したのが今の城郭である。
 10年後、本多忠政が嫡子忠刻、千姫夫妻のために西の丸に百間廊下と呼ぶ長局をめぐらせ、化粧櫓を築いて外郭を固め、内郭に夫妻の居館(現在は滅失)を設けて名城としての偉容を完成した。

 その後、松平氏、榊原氏、酒井氏を経て明治に至った。維新後、陸軍省に引き継がれ、明治43年に荒廃した城の大修理を、昭和31年から8年の歳月をかけ、文部省が5億5千万の経費で天守閣群を解体修復した。

 その秀麗古雅な天守閣群、丘陵と調和したすばらしい景観は、まさに世界的名城である。(国宝8棟、重要文化財74棟)
 

世界文化遺産「姫路城」

 1972年の第77回ユネスコ総会で採択された「世界遺産条約」(世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約)は、文化財や自然は、たとえそれが遠くにあろうとも、その国や民族だけのものではなく、私達一人ひとりのかけがえのない宝なのだから、それらの保護は人類の課題であるという考えのもとに結ばれた条約でです。

 この条約に定められる「世界遺産」として世界遺産委員会の厳しい審査の後、姫路城が、世界遺産のリストに加えられ、世界的な遺産として認められることが出来ました。
 

 

 


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