栃木県“佐野市・栃木市”茨城県“古河市” <2/8>

 城 山公園

 城山公園は、市のほぼ中心にあり、JR佐野駅の北側にあります。
 この公園は、栃木県の公園の中で一番古く、明治22年9月に開設され た公園です。古くか ら、市のシンボル性の高い公園として広く市民に親しまれており、春は、桜やツツジなどの名所として多くの人々で賑わっています。

 毎年秋には、市政50周年を記念して平成5年に始まった市民参加によ る茶会「天明鋳物のふるさと 佐野市民大茶会」が開催されています。6回目となった 平成10年10月18日の大茶会は、台風一過の青空の下、汗ばむほどの真夏の陽気でしたが、野点席を含む4席の茶席が設けられ、1,000人以上の市民が 参加し大盛況でした。
  

(左) (右)いずれも佐野駅を抜けますとすぐ北側に存在します“城山公園”の景観です (中)佐野駅の北口です

  

 佐 野城

 佐野城は、JR両毛線・東武佐野線の「佐野駅」のすぐ北側にあり、城山公 園として整備されて市民の憩いの場となっている。しかし、公園化されすぎ ているために、かえって城の構造が分かりにくくなっている面もある。

 この丘は比高15mほどで、春日岡と呼ばれていたので、佐野城とも春 日岡城とも呼ばれて いる。慶長7年(1602)、唐沢山廃城を命ぜられた佐野信吉が、その代わりに居城として築いたものである。しかし、総堀を巡らせてはいるものの、近世大 名の城としては小さく、構造も堀切を3本入れただけの極めて単純なものである。おそらく佐野氏は、居城をこちらに移していながらも、いざという時には唐沢 山城を使用するつもりだったのであろう。唐沢山城の堅固な石垣などに破城の跡が見られないことから、唐沢山城を完全に放棄したわけではないことが想像でき るのである。したがって、代わりに居城とした佐野城は、とりあえずの適当なものでよい、そう信吉は考えたのではないだろうか。

 慶長19年(1615)、大久保忠隣の改易に連座して、佐野氏も佐野 3万5千石を没収されてしまい、佐野城は廃城となった。わずか12年間しか城とし て用いられなかったのである。周辺を取り巻いていたという総堀は市街地化に伴って大方埋められてしまっているが、地形的に段差が所々に残っており、ある程 度の形状を把握することはで きる。
  

↑↓  いずれも城山公園(佐野城跡)内の景観です(^.-)☆

  

(左) 城山記念館です(^.-)☆  ↑↓ いずれも城山公園(佐野城跡)内の景観です(^.-)☆

  

   

当時 は、この辺りに佐野城本丸が存在しましたのでしょうネ…

  

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