茨城県 日立市・石岡市・土浦市 <1/4> |
(左)(中)(右)日立市大甕町を早朝散策寺時の景観です(^.-)☆
(左)(中)(右)太平洋を臨む田楽鼻児童公園の景観です
(中)(右)田楽鼻児童公園から日立灯台を展望したものです(^-^)/
(右)日立灯台です(^_^)v
田楽鼻児童公園の全景です(^.-)☆
田楽鼻から古房地鼻に向かう途中日立灯台周辺の景観を撮りましたものです(^-^)/
(左)(中)日立灯台の存在します古房地公園です (右)古房地公園内には石川啄木の歌碑が…
日立灯台
古房地公園内にある日立灯台は、海抜約20mの絶壁に立つ高さ25m、白色円筒形の灯台で、日立港が重要港湾の指定をうけ新設開港したのに合わせて、昭和42年に設置点灯した。
船舶航行の安全と“みちしるべ”となる50万カンデラの閃光は、沖合33km、南北は磯原から鹿島郡旭村にまで届くことができる遠隔監視による無人方式の灯台である。
国道245号の海側、古房地鼻の断崖上の台地に広がる芝生の公園が古房地公園である。そのほぼ中央に上記の日立灯台が、またその海側に漁業の近代化に多大な功績のあった三代芳松翁の銅像が海に向かって立っている。
眺望は素晴らしく、北は田楽鼻とその先に日立市街が、眼下に久慈浜海水浴場の白浜、南は日立港の全貌を見ることができる。目の前に広がる太平洋の水平線に昇る御来光は美しい。
三代芳松翁
三代芳松氏は、漁業界の重鎮であり、幼時から従事した漁業の経験を生かして漁撈法の研究考案を重ね、業界に寄与するところ誠に多大なものがあります。
就中、大正8年秋、機船底曳網巻揚機の発明を契機に、敢然として、いわし揚繰網の改良に着眼し、寝食を忘れ心血を注ぎ考研実験のため、あらゆる犠牲を払って、大正15年春、遂にいわゆる「改良揚繰網」の完成を見たのであります。
思うに、漁業界の共通的な悪弊として、ともすれば昔のままの古い形式を守り、いたずらに旧慣を固執して融通性を欠く一般的な風潮の中にあって氏は稀に見る進取の気性に富み、先見の明ある傑物ともいうべきで、又業界にとっても忘れることのできない恩人であります。
ひとたび氏の発明が完成するや、いわし漁業は一新紀元を画し、漁獲高の激増はいうに及ばず製造加工業の盛況は正に隔世の感を呈し、いわし漁業は、漁村経済の基幹産業になったのであります。
そしてその恩恵を受けるところのものは県の内外に及び氏の名声は、広く世の人びとに喧伝されるに至ったのであります。
実に偉大というべきではないでしょうか。
ここに私たち同志相はかり、氏の銅像を建設し、その風貌を永久にこの地に留め、その功績を天下に顕彰して報恩感謝の意を表し、あわせて後人の奮起の一助に供したいと念願した次第であります。
もとより私たちは微力でその器ではありませんが、同業の有志並びに斯業関係各位のご助力により、このたびつつがなくその目的を達成することができましたので、ご支援賜りました各位に深甚の謝意を表するものであります。
三代氏発明の当時右巻揚機製作を担当したるは菊地鉄工所にして同氏の労も又少なからず併せて記す。
昭和111年2月 発起人一同
--- 説明板には、このような事が記してありました(^.-)☆ ---
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