大阪なんば・四天王寺・千島公園   <2/5>

 四 天王寺

 四天王寺は今から約1400年前、推古天皇元年(593)に聖徳太子 が建立された、日本仏法最初の大寺である。
 新しく渡来した、仏教を支持する蘇我氏と日本古来の宗教を推す物部氏 の二大豪族の狭間で 、弱冠16歳の聖徳太子は仏教の守護神、四天王に祈願して戦いに勝利した。その報恩謝徳のため、建てられたのが四天王寺である。

 四天王寺は四箇院(敬田・悲田・施薬・療病)を構え、広く一般民衆に 手をさしのべ、太子信仰の拠点となると同時に、庶民救済の中心地となった。

 『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、 崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建 立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

 聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられ たことが『四天王寺縁起』に示されています。
 「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」 つまり仏法修行の道場である“敬田院”、 病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として四天王寺を建てられたといえるでしょう。これらの 施設は、中心伽藍の北に建てられたようです。

 その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって 中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。 その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。
--- 観光パンフレットより ---
 

  

  

  

   

  



  

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