2022/08/16(火) 福山市草戸町「中山城跡」を散策(^.-)☆ <4/4> |
廃墟脇の上って来ました道を、そのまま下って行こうとしましたら、廃墟から左下に下ります小道が…
う〜ん、この小道は、何処に向かうのでしょうねぇ〜方向からして、車を駐めています場所には行けそぅですけど…ダメでしたら、また戻ればイィ訳ですから、とにかくこの小道を進んでみます事に…
廃墟から少し下って来ますと、ここにも住居らしい建物が…この建物にも、以前にはどなたか住んでおられましたのでしょうねぇ〜今は、使用しておられるようには見えません。ここもまた廃墟のようですねぇ〜
そのまま下って行きますと、スグに前方が開けて来ました。
ここには車が一台止まり、周辺には建築資材なのでしょうか…廃材と言うか切れ端のような木材が周辺に…
これらを横目に直進しますと、うん、うん、GONsanが車を駐めています場所に出て来ましたネ。いゃぁ、これは、往路の大廻りの道と違って、ほぼ直線の最短コースで戻って来ましたようであります(^_^)v
かっては、今では廃墟の住人が、この道を利用し行き来しておられましたのかも(^-^)
とにかく、最短コースで、車まで戻って来れましたようであります(^_^)v
それでは、退散ですけど、そぅそぅ、来ます時に、この中山城跡の麓に「道祖神」が祀られておりました。帰り道ですから、せっかくの便ですし、立ち寄ってみたいと思います。
丁度、この道祖神の真ん前に駐車場がありましたので、ごく僅かな時間ですから、無断駐車させて頂きます事に(^-^)
道祖神の脇に案内板が設けられていますので、眼を通してみますと、
◆草戸・川西歴史街道 散策路<30>道祖神
--- 草戸の歴史を愛する会 ---
道祖神は(どうそしん)は、道路の神で、集落の境や村の中心、村と村の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石造の形態で祀られる村の守り神である。最近は、子孫繁栄、旅や交通安全の神としても信仰されている。
地域でいろいろな呼び名があり、当地では「塞(さい)の神様」とも言い、集落や家に、疫病神などまた悪い神が入らないように祈る神でもある。古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。
ここの道祖神に祀られている牡蠣の殻は近所の岩肌(地上4m位の高さ)に付着していたもので、以前にこの辺りまでは海であったことを示す。
道祖神の祀られる場所が動いているので、現在では正確な位置関係はわからないが、半坂と下ノ丁の境にあったと言われている。今は草戸稲荷神社の小社である。
-- 2013年10月 この事業は、福山市協働のまちづくり基金を活用して実施しています --
…と、こんな記載がありました。WEB上で検索しますと、こんな記述も…
◆道祖神
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
道祖神(どうそじん、どうそしん)は、村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神である。のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされ、男根形の自然石、石に文字や像を刻んだものなどがある。
・概要
道祖神は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻に祀られている民間信仰の石仏であると考えられており、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。中国では紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものといわれる。全国的に広い分布をしているが、出雲神話の故郷である島根県には少ない。甲信越地方や関東地方に多く、中世まで遡り本小松石の産業が盛んな神奈川県真鶴町や、とりわけ道祖神が多いとされる長野県安曇野市では、文字碑と双体像に大別され、庚申塔・二十三夜塔とともに祀られている場合が多い(真鶴町と安曇野市は友好親善提携が結ばれている)。
各地で様々な呼び名が存在する。道陸神(どうろくじん)、賽の神、障の神、幸の神(さいのかみ、さえのかみ)、タムケノカミなど。秋田県湯沢市付近では仁王さん(におうさん)の名で呼ばれる。
道祖神の起源は不明であるが、『平安遺文』に収録される8世紀半ばの文書には地名・姓としての「道祖」が見られ、『続日本紀』天平勝宝8年(756年)条には人名としての「道祖王」が見られる。
神名としての初見史料は10世紀半ばに編纂された『和名類聚抄』で、11世紀に編纂された『本朝法華験記』には「紀伊国美奈倍道祖神」(訓は不詳)の説話が記されており、『今昔物語集』にも同じ内容の説話が記され、「サイノカミ」と読ませている。平安時代の『和名抄』にも「道祖」という言葉が出てきており、そこでは「さへのかみ(塞の神)」という音があてられ、外部からの侵入者を防ぐ神であると考えられている。13世紀の『宇治拾遺物語』に至り「道祖神」を「だうそじん」と訓じている。後に松尾芭蕉の『奥の細道』の序文で書かれることで有名になる。しかし、芭蕉自身は道祖神のルーツには、何ら興味を示してはいない。
道祖神が数多く作られるようになったのは18世紀から19世紀で、新田開発や水路整備が活発に行われていた時期である。
神奈川県真鶴町では特産の本小松石を江戸に運ぶために村の男性たちが海にくり出しており、皆が祈りをこめて道祖神が作られている。
岐の神と同神とされる猿田彦神と習合したり、猿田彦神および彼の妻といわれる天宇受売命と男女一対の形で習合したりもし、神仏混合で、地蔵信仰とも習合したりしている。集落から村外へ出ていく人の安全を願ったり、悪疫の進入を防ぎ、村人を守る神として信仰されてきたが、五穀豊穣のほか、夫婦和合・子孫繁栄・縁結びなど「性の神」としても信仰を集めた。また、ときに風邪の神、足の神などとして子供を守る役割をしてきたことから、道祖神のお祭りは、どの地域でも子供が中心となってきた。
・種類 形状
道祖神は様々な役割を持った神であり、決まった形はない。材質は石で作られたものが多いが、石で作られたものであっても自然石や加工されたもの、玉石など形状は様々である。像の種類も、男神と女神の祝事像や、握手・抱擁・接吻などが描写された像などの双体像、酒気の像、男根石、文字碑など個性的でバラエティに富む。
単体道祖神、単体二神道祖神、球状道祖神、文字型道祖神、男根型道祖神、自然石道祖神、題目道祖神、双体道祖神
双体道祖神は一組の人像を並列させた道祖神。「双立道祖神」の呼称も用いられたが、座像や臥像の像も見られることから、「双体道祖神」の呼称が用いられる。双体道祖神は中部・関東地方の長野県・山梨県・群馬県・静岡県・神奈川県に多く分布し、東北地方においても見られる。山間部において濃密に分布する一方で平野・海浜地域では希薄になり、地域的な流行も存在することが指摘される。伊藤堅吉は1961年時点で全国に約3,000基を報告しており、紀年銘が確認される中で最古の像は江戸時代初期のものとしている。
餅つき道祖神、丸石道祖神、多重塔道祖神
祠の中を覗いてみますと、うん、うん、確かに牡蠣の殻が入っておりました。
それでは、我が家へと帰ろう(^-^)/"
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