免許証更新で鞆警察署行きでした(^.-)☆ <1/2> |
2005/04/07(木)
■今日は免許証更新で鞆警察署行きでした(^.-)☆
今日は休暇のGONsanです(^_^)v で、丁度イィので免許証更新手続きとなりました。
GONsanは、芦田川を境に西に暮らしていますから、更新手続きは福山西警察署・免許センター・鞆警察署のいずれかで行なわなければなりません。
免許センターに出かけますと即日免許証を手に出来ますけど、手続き開始から終了まで2〜3時間は要しますし、日曜日のみ手続き可能ですし…
かと言って、福山西署に出かけますのは億劫ですし…
鞆警察署ではスグに手続きは完了しますけど、A.M.8:30〜9:00に更新手続き・適性検査を行ない、優良免許証の所持者ではありませんGONsanですから、P.M.1:00から1時間ばかり再度出かけまして講習を受けなければなりませんし…
はてさて、今日出かけるとなりますとどぅしたものやら…と暫し思案。
結局、“嫁さんが鞆まで送ってくれましたら、鞆警察署で手続きを…”との気持ちで嫁さんに送迎を頼みますと、ブツブツ言いながらもOK(^.-)☆
こんな経緯で鞆警察署行きとなりました。
A.M.8:30からの受付ですけど、定刻5分前に到着しますとローカルな警察署はイィものですねぇ〜スグに手続き開始で、10分も要さず適性検査まで終了です。
後は、P.M.1:00からの講習受講のみ。
とりあえず手続き終了は、A.M.8:35(^.-)☆
嫁さんに電話し迎えを依頼し、その間に鞆港周辺を散策しながら画像の撮りまくり。
何度も撮ってはいるのですけど、何度撮りましても鞆の景観はイィものですねぇ(^_^)v
ただ、残念ながら、あいにくの曇天でしたけど、好天でありましたら仲々の景勝地が楽しめましたのですけどネ(^-^;
《大可島城跡(たいがしましろあと)》
1342年(康永元年)四国伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝足利方が燧灘で合戦となりました。
大可島城にこもる南朝方の守将・桑原伊賀守はじめ将兵達は全滅しました。
1349年(正平4年)足利尊氏の弟直義の養子直冬は中国探題として大可島城にいたこともありました。
その後、戦国時代、村上水軍の一族が大可島城を拠点に海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。
慶長年間(1600年ごろ)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました。
…と、円福寺境内内の案内板には記載されてありました(^.-)☆
ここからの鞆港・仙酔島・弁天島…等の展望は、本当に天気さえ良ければ最高なんですけどねぇ〜
…と言う訳で、午後からはまた鞆警察署での講習受講です(^-^;
違反さえありませんでしたら、楽々と更新手続きは終わっていたのですけどねぇ〜仕方ないですねぇ(^-^)//"
(左)鞆警察署です (中)警察署前の通りです (右)蒸留酒・保命酒など製造の岡本亀太郎本店
(左)(中)蒸留酒・保命酒など製造の岡本亀太郎本店 (右)鞆警察署
↑↓ 常夜灯周辺の鞆港の景観です(^.-)☆
↑↓ 常夜灯周辺の鞆港の景観です(^.-)☆
↑↓ 常夜灯周辺の鞆港の景観です(^.-)☆
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |