福岡県 久留米市 <2/12> |
↑↓ 徳雲寺の景観です(^.-)☆
井上 伝女
久留米絣の始祖井上伝女は、天明8年(1778)の暮、現在の久留米市通外町(とおりほかまち)の米穀商「橋口屋」こと平山源蔵の娘として生まれた。
この地方の婦女子は、必ず機織りを習う習慣があった。このような中で育った伝女は、生来器用で幼少の頃から木綿織にたけ、しかも常に研究を重ね13才の頃(1801)平常着の斑紋になっていることから、「加寿利」の図柄を考え得たものです。
その後、21才の時市内原古賀町(はらこがまち)の井上次八に嫁ぎ、2男1女をもうけました。嫁いでからは技量も更に進み、「久留米原古賀織屋おでん大極上御託」の商標で売り出し、好評を博した。
28才の時夫を失い、3人の子供をかかえながらこの道に励み、40才の頃には400人の弟子がいて郷土の機業の振興に努めましたが、明治2年4月26日に82才の高齢で世を去りました。女性の地位も認められていなかった19世紀の封建時代に、女性が近代産業への脱皮へ力強い息吹を示したことは偉とすべきである。
純綿正藍のよさを誇り、伝統の技術により伝承されています久留米絣は、国の重要無形文化財に指定されています。
(左)(中)妙善寺 (右)正覚寺
← 戻る Contentsに戻る トップページに戻る 進む → |