岩手県・花巻市
宮沢賢治・花巻新渡戸記念館 <7/11> |
花巻新渡戸記念館
国際平和に奔走した新渡戸稲造は、花巻の地に多大な貢献をした
新渡戸一族の子孫で、花巻新渡戸記念館はねこれら新渡戸家の功績とゆかりの作品を展示した記念館です。
「願わくはわれ太平洋の橋とならん」の信念と5,000円札の肖像として有名な新渡戸稲造。
彼の先祖は1598年(慶長3)から約220年間、花巻の地に居住し花巻城士の文武両道にわたる指導、新田開発に努めてきました。十和田市の生みの親と
いわれる新渡戸傳は1793年(寛政5)に花巻で生まれ、十和田三本木平の開発に尽力しました。花巻新渡戸記念館はこれら新渡戸家の功績とゆかりの品を展
示した記念館です。
安野稲荷神社
花巻系新渡戸本家二代目貞紹(天和元年<
1681>没)が、夢枕に現れた紫波稲荷大明神の分霊を屋敷の居久根林に勧請し、以来一族の氏神として信仰祈願した神社である。
元治元年(1864年)花巻本家八代目新渡戸傳、九
代目新渡戸十次郎、その子邦之助の連名で、正一位稲荷大明神の神号が下賜された。その際、新渡戸傳の五十両をはじめ地区民一一四名の寄付によって神社境内
の整備が行われた。
現在の本殿は、名棟梁高橋勘次郎の弟子、南館喜六が
棟梁となって明治29年(1896年)に建立されたものである。
祀られている神像は狐の上に立っており、通形の稲荷神社と異
なった珍しいお姿である。五穀豊穣祈願として稲荷明神と、災難、病難の防除祈願としての秋葉山大権現の合体像で、両者の祈願を備えた神像と言われている。
江戸初期の頃の製作と見られ銅を鋳造して作られた手の込んだ仕上げとなっている。
天保8年(1837年)新渡戸家盛岡移住後は、この
地区の人々によって大切に守られ、地区住民の氏神として信仰を集め現在に至っている。
(左)
なはんプラザ前で (中)(右)なはんプラザで開催されていました花巻市立宮野目中学一年生の版画展
(左)
(中)なはんプラザで開催されていました花巻市立宮野目中学一年生の版画展
(左)
正面が“花巻新渡戸記念館”です(^.-)☆ (中)(右)新渡戸記念館内の景観です
↑↓
花巻新渡戸記念館の景観です
世界平和につくした国
際人 新渡戸稲造とは
五千円札の肖像で知られる新渡戸稲造は、今から約130年前の
1862年(文久2年)に盛岡で生まれ、明治・大正そして昭和の初めにかけて世界平和のためにつくした国際人であります。子供の頃から「大きくなったら、
太平洋の橋になりたい」との信念のもと、日本と世界の文化の橋渡しのため一生を捧げました。
稲造は、農政学者、農産業実践者、法学者、教育者、キリスト教徒、外交家、ジャーナリストとして、それぞれの分野で業績をあげました。
札幌農学校(現在の北海道大学)の教授をふりだしに、第一高等学校の校長、京都大学や東京大学の教授、東京女子大学の学長をつとめ、たくさんの優れた人
々を育てました。
稲造は、日本人の心を世界の人々に伝えることに常日頃、力を注ぎました。
なかでも代表的な著書「武士道(日本の魂)」は、アメリカで出版されるとたちまち大評判となり、当時のアメリカの大統領も数十冊を買い、子供や友人に
配ったと言われています。
日本の武士(サムライ)の生き方を紹介しながら、日本人の心を西洋の人々に分かりやすく書いたものでした。
その後、ドイツ語、フランス語、ポーランド語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、中国語、アラビア語に訳されました。また、新聞や雑誌に社会と人
との生き方、心の持ち方など、やさしい文章で書き続け、多くの人々に希望と勇気を与えました。
働きながら勉強する青少年や女性の人々の教育についても、暖かい手をさしのべました。
そして、大正9年(1920年)から大正15年(1926年)までの6年間、世界の平和と協力を目的として作られた国際連盟の事務次長として、世界平和
のため、そして日本と世界の架け橋として活躍したことは有名です。「国際連盟には、新渡戸ほどの優れた人物はいない。ジュネーブの星である。」と言われる
までになりました。
しかし、当時の日本の社会は軍国主義へと向かって行く時代であり、平和主義自由主義者であった稲造の考えはたやすく受け入れられず、大変苦労しました。
昭和8年(1933年)71歳で亡くなりましたが、その後の日本は軍国主義へと更に進んで行き、新渡戸稲造の名は勿論のこと、その実績を知る人は、あま
りおりませんでした。今になって、新渡戸稲造の国際人としてのすばらしさが、見直されています。
盛岡の岩手公園の中に、「願わくはわれ太平洋の橋とならん」と言う文字の刻まれた碑が建てられておりますが、これが日本と世界の文化の橋渡しのため一生
を捧げた新渡戸稲造の碑なのです。 ---
花巻新渡戸記念館 パンフレットより ---
(中)
(右)安野稲荷神社です
(左)
(中)(右)安野稲荷神社です